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1月13日

東京で雪が降ったらしい。Twitterのトレンドに「東京 初雪」の文字が並んでいるのを見つけた。「まだ降っていたりして」なんて、淡い期待を胸に窓を開け、外に頭を突き出した。鬱々としながら机に向かっている間に降って、今はもう止んでしまったようだ。どうやら空の機嫌は少し良くなってしまったらしい。すぐに頭を引っ込めるつもりだったのに、気づけば5分くらい頭を出していた。特に意味はなかった。私の家とお隣の家の間に空いた、人一人分の隙間から覗ける妙に明るくて濁った空は、何だか薄気味悪かった。頬を突き刺すような冷たい風が、徐々に私の髪を冷やしていくのが分かった。ずっと暖房の効いた部屋にいたせいだろうか。冷たすぎるはずの風は、何だか心地よかった。冷たい風に吹かれて、結っていた髪は少し乱れた。上半身を小窓から出して、薄気味悪い空を眺めながら、少し考え事をした。した、気がする。詳しいことは覚えていない。それは抽象的なことで、曖昧なことだった。ただ1つ言えるのは、懐かしい感じがした。「懐かしい」と言うと、情緒的で、あたたかくて、オシャレナカンジがするけど、私が感じた懐かしいは、「それ」ではなかった。どこか嫌な感じがした。物凄く嫌な感じがした。胸がザワザワして、不安になった。この不安は、真夏の夜の帰り道に感じるものと似たようなものだった。前から知っている、つい最近まで感じていたものが、戻ってきた気がした。随分と長い間私にまとわりついていたそれは、自由を手に入れ世界が広くなったはずの私の元に、ちゃんと戻ってきた。戻ってきてしまった。死神のごとく。「この世界にはもう自分の味方なんか居なくて、一人で生きていかなくちゃいけない。みんなにはそれぞれの大事なものがちゃんとあるから、私の方には目を向けてくれない。このまま一生この狭い世界で、狭い世界しか知らずに生きていくのかもしれない。少しSNSを覗けば、世界を旅している人も、自分のロックを世界に届けようとしている友人も居るのに、私はずっと“やらなければいけないこと”に取り憑かれている。この地獄は終わらないかもしれない、一生続くのかもしれない。スタート地点が遠い。」みたいな、あまりにも極端でどうしようもないことだ。そういうことを、ずっと考えてきたせいで、癖になってしまっている。救いの手を差し伸べてくれるのは何処かの誰かではなく、自分自身だと気づくまでに19年かかった。その時間はあまりにも長すぎた。長すぎたその時間は、私の心臓に少し傷をつけ、私の目に映るものを歪ませた。信じる力が欠如しているのだと思う。人のことも、未来のことも、過去のことも、自分のことも。

「人は騙す 人は隠す 人はそれでも それでも 笑える___信じ続けるしかないじゃないか」なんてことを、好きなロックミュージシャンが、私の神様が歌っていた。初めてその歌詞を聴いた時、私は中学の学生服を着ていた。今よりずっと、私の世界は狭かった。強いショックを受けたような記憶がある。高校でも聴いていた。朝一番乗りで着いてしまった日、暖房の効いていない冷えきった教室の片隅で。そして今。リビングに「明日着る服」として用意されるものが、学生服から私服に変わった今も、聴いている。きっと1年と少しした後、そこにリクルートスーツが用意されることが当たり前になった日も、聴いているのだろう。「人を信じるって、難しいな」と、無意味に空を仰ぎながら。

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