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ロスチャイルド

(このツイッターを見て、関連ワードから
もう一度ロスチャイルド家を見直ししてみた。
黒川の言っていることは間違ってはいないが、
やり方が過激すぎたな:フランク)

2024年05月25日(土)

麻生太郎氏の娘がロスチャイルド一族と結婚


麻生太郎の娘が嫁いだロスチャイルド家とは?

淡路島に家を買ったロスチャイルド家




ジョージタウン大学はイエズス会のジョン・キャロル大司教によって創設され、
学外組織アメリカ屈指のシンクタンク『CSIS』も、
イエズス会のエドモンド・A・ウォルシュ神父によって創設。
河野太郎氏、山本一太群馬知事はジョージタウン大学出身

ロスチャイルド家とはどんな家系か

マイアー・アムシェル・ロスチャイルド

ロスチャイルド家は、ヨーロッパの財閥、貴族で、莫大な富を何世代にも渡って受け継いでいる世界で最も裕福なユダヤ人の一族です。19世紀、ロスチャイルド家の始祖であるマイアー・ロスチャイルドが一族の基盤を作り上げました。

ロスチャイルド家は、国家の利益よりも自分たちの利益を優先するような、国家に捕らわれない新しい勢力「国際金融資本家(国際金融業者)」の筆頭として、のし上がります。

ロスチャイルド家は、映画、ファッションなど文化的事業への貢献だけでなく、国際研究所やノーベル財団等など学術界においても大きな業績を挙げています。

一方、ロスチャイルド家のビジネスが各国の政府機関や王室、各国の報道機関などと強く結びつき、軍需企業との結びつきがあることから、ロスチャイルド家は、世界の経済や政治に大きな影響を与えてきました。

ロスチャイルド家の事業

バロン・ド・ロスチャイルド シャンパーニュ

金融事業

ロスチャイルド家は、石油、不動産、鉄道など様々な事業を展開してきましたが、元は金融業からスタートした銀行系財閥です。初代マイヤー・ロスチャイルドは金貸し業を営んでいたことから、宮廷御用商人となり、息子ネイサンはロンドンにわたり金融王として君臨します。

現在、ロスチャイルド家の金融部門は、ロンドン家のイヴリンとパリのデヴィッドが率いる投資銀行の「NMロスチャイルド・アンド・サンズ」、ロンドン家のジェイコブが率いる「RITキャピタルパートナーズ」、パリ家分家のベンジャミンが率いる「エドモンド・ロスチャイルド」、そして世界最大規模の独立系アドバイザリー企業「ロスチャイルド&カンパニー」などがあります。

ワイン事業

ロスチャイルド家は、ワイン愛好家が憧れるボルドー5大シャトーのうち2つを持っています。ロスチャイルド家は、1868年、「ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト・ラフィット社」を設立し、ワイン事業に本格的に参入しました。

その後、1962年に「シャトー デュアール・ミロン」、1984年に「シャトー リューセック」、1990年に「シャトー レヴァンジル」などシャトーを取得しています。

また、ロスチャイルド家はボルドーだけでなく、チリの「ビニャ ロス ヴァスコス」、アルゼンチンでは「ボデガス カロ」の共同運営、2008年には中国で「ドメーヌ ド ロン ダイ」をスタートしました。その後北米や南米、南アフリカやオーストラリアのワイナリーも手に入れるなど、世界の銘醸地でワインを作っています。

家の紋章に記された5本の矢

ロスチャイルド家紋章

ロスチャイルド家の5本の矢とは、紋章に描かれている「手に握られた5本の矢」のことをいいます。

ロスチャイルド家の始祖マイアー・アムシェル・ロスチャイルドは、5人の息子をそれぞれヨーロッパ各国に派遣し、一大金融網を築き上げました。5人の息子を一か所にとどまらせずそれぞれ違う国に派遣したことによって、戦争やユダヤ人への迫害が起きたとしても、1人または2人は生き残り家を守ることができます。

ロスチャイルド家の紋章にある「手に握られた5本の矢」は5人の息子たちの結束を表し、マイアーの遺言にもある通り、兄弟5人が協力してロスチャイルド家を盛り上げ、守るようにという意味で、兄弟5人を表した5本の矢が手にしっかり握られています。

また、ロスチャイルド家のワイナリーがつくるワインのラベルにも5本の矢が描かれています。

ロスチャイルド家の資産

ロスチャイルド家の邸宅

ロスチャイルド家の資産は、推定総資産1京円と言われていますが、正確な数字は公表されていません。1940年時点での資産は、約5000億ドルと推定され、当時の全世界の富の半分を支配し、アメリカの全資産の2倍を有していたといわれています。

ロスチャイルド家は、その資産を守り増やすために「ロスチャイルド銀行の役員は一族で占めること」「事業内容は秘密とし厳守すること」などの厳しい家訓を守っているといわれています。

ロスチャイルド家は、家族の多くがロスチャイルド系の企業に雇用されているか、または、一族の富を増やすための企業や事業に投資をおこなっています。

遺言に残された名言・家訓

  • ロスチャイルド銀行の役員は一族で占めること

  • 事業への参加は男子相続人のみとすること

  • 一族に過半数の反対がない限り宗家も分家も長男が継ぐこと

  • 婚姻はロスチャイルド一族内で行うこと

  • 事業内容の秘密を厳守すること

ロスチャイルド家の始祖マイアー・ロスチャイルドは遺言の中に息子たちへの「守るべき家訓」を残しました。この5つの家訓は、息子たちはもちろん、その跡の世代へと代々受け継がれていき、ロスチャイルド家の繁栄を支えたといわれています。

ロスチャイルド家の現在

キャピタルパートナーズの本拠地 出典:Wikipedia

第二次世界大戦を経て、ロスチャイルド家は大きく力を落としました。5つあった家はロンドンとパリの2つだけになってしまい、財産の多くを売却するはめになってしまいます。

事業も大幅に縮小し、2003年にはロンドン家とパリ家が運営していた2つの銀行が統合され「ロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングス」が創設されました。

現在は以下の3つが主な事業となっています。

  • スイス:エドモンド・ド・ロスチャイルド銀行

  • パリ家・ロンドン家:ロスチャイルド&カンパニー

  • ロンドン:キャピタルパートナーズ

「エドモンド・ド・ロスチャイルド銀行」は、スイスに本拠地にしている金融グループ。スイスを中心にプライベート・バンキングやワイナリーを営んでいます。また、スイスの証券取引所に上場しており、総資産は140.2億スイスフラン(約1.7兆円)です。

「ロスチャイルド&カンパニー」は、2つの本家が共同で所有する金融持株会社です。こちらはロスチャイルド銀行グループの中心となる企業で、ロスチャイルド傘下の銀行を所有し、統括しています。

主にM&Aのアドバイスを中心においた投資銀行業務と、プライベートバンキングを中心とした事業を行っています。特にM&Aの取扱件数はヨーロッパ一です。

「キャピタルパートナーズ」は、ロンドンに本拠をおく投資信託企業で、アメリカやイギリスを中心に世界各国の企業に投資をしています。イギリスで最大規模の投資信託企業として、トップ5に数えられるほど有名です。

ロスチャイルド家と日本との関係

世界の支配構造まとめ

ロスチャイルド家と日本の関わりは、幕末まで遡ります。パリのロスチャイルド家のジェームスは徳川家を支援し、ロンドンのロスチャイルド家のライオネルは薩長を支援しました。

ロスチャイルド家は、明治以降の日本に対して影響力を持てるよう、伊藤博文と井上馨を育て、以降は榎本武揚、高橋是清、原敬を育てました。

三井家はロスチャイルド家と組んで日本の大財閥となり、日本の金融を動かすようになりました。1904年に日露戦争が起きると、ロスチャイルド家のアメリカにおける大番頭だったヤーコブ・シフは、日本に1000万ポンドの資金提供をしています。

また、渋沢栄一が日本銀行の元となった第一銀行を作ったのは、パリのロスチャイルド家2代目当主のアルフォンソに目をかけられていたからとも言われています。

ロスチャイルド家の家系図

ロスチャイルド家の家系図 出典:Celeby

ロスチャイルド家は、金貸し業を営みながら生活をしていた初代マイアー・アムシェル・ロスチャイルドから始まります。

マイアーは、ドイツの名門貴族ヘッセン家のヴィルヘルム9世と知り合い、高利貸しとなって莫大な自己資金を得ました。その後、ロスチャイルド家を一層発展させ、ロスチャイルド家の基礎を固めたのがマイヤーの5人の息子たちです。

報道されない権力者 世界の真の支配者ロスチャイルド一族

マイアーは、長男をフランクフルトに残し、残りの4人の息子たちをヨーロッパ列強であったフランス、イギリス、イタリア、オーストリアの首都に送りました。息子たちは兄弟ならではの強いネットワークを築き協力しあったことで、ロスチャイルド家は国際的に発展します。

4か国に派遣された息子たちは、それぞれの国の政府と結びつき、貴族の称号を得てロスチャイルド家の基礎をつくると同時に、国際金融ビジネスの原型を作り上げました。

ロンドンのロスチャイルド家

ネイサン・メイアー・ロスチャイルド

ロンドンのロスチャイルド家は、マイアー・ロスチャイルドの3男ネイサン・ロスチャイルドが作りました。1810年にロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、ネイサンが新しい支配者となり、世界一の金融王となります。

1815年、フランス軍とイギリス軍が戦ったワーテルローの戦いで、イギリス勝利の情報を入手したネイサンは、イギリス国債を売ることでイギリスの敗北を偽装し、自らは紙屑同然のイギリス国債を極秘に買い漁ったことで大儲けをしました。この出来事で多くの投資家と多くの名門家系が破産しましたが、ネイサンは約100万ポンドの利益を得、ロスチャイルド家の財産は2500倍に膨れ上がったといわれています。

1875年には、ロスチャイルド一族の融資によってイギリス政府がスエズ運河会社の最大株主となり、ロスチャイルド一族はイギリス政府との結びつきを強めていきました。ロンドンのロスチャイルド家は、現在に至るまでもイギリス王室や政府と結びつき、MI5やMI6の設立や近代化にも貢献しました。

パリのロスチャイルド家

ジェイコブ・マイエール・ド・ロチルド

パリのロスチャイルド家は、マイアーの5男であるジェイムス・ロスチャイルドがつくりました。ジェイムスは金融業だけでなく、鉄道事業に進出し「ヨーロッパの鉄道王」 と呼ばれ、他にも南アフリカのダイヤモンド鉱山や金鉱山への投資や、ロシアのバクー油田の利権を握るなど、交通産業・エネルギー産業・貴金属産業での権力を拡大しました。

先のワーテルローの戦いで敗れたフランスは、イギリス同盟国に賠償金の7億フランを支払わなければならず、ジェームスはこの支払いを公債として引き受けました。ジェームスは、この公債を売却して得たお金を投資家の貸付けに流用し、年間で50%の利息を稼いだといわれています。また、ジェームスはウィーンのサロモン・ロスチャイルドと協力し、ヨーロッパ全体を網羅する通信システムと馬車輸送のネットワークを作り上げました。

ウィーンのロスチャイルド家

ルイ・ロスチャイルド男爵の逮捕

ウィーンのロスチャイルド家は、マイアーの次男であるサロモン・ロスチャイルドが作りました。サロモンは、鉄道や製鉄所などへの投資で成功を収め、ハプスブルク帝国一の銀行家に。パリのジェームスと共に通信と馬車輸送のネットワークを築くなど、他国にいる兄弟たちと連携をとりロスチャイルド家の力を一層強めることに成功します。

しかし、ウィーンのロスチャイルド家は、5代目当主ルイ・ロスチャイルドが第二次世界大戦下にアメリカに亡命したことで、途絶えます。ナチスドイツに押収されたウィーンの邸宅や資産は、戦後にルイの元に返還されましたが、それらは全てオーストリアに寄付し、ウィーンに戻ることはありませんでした。アメリカに亡命後ニューイングランド地方バーモント州の農場に住み、家業の再開をしなかったルイは、ウィーンのロスチャイルド家の最後の当主となりました。

ナポリのロスチャイルド家

カール・マイアー・フォン・ロートシルト

ナポリのロスチャイルド家は、マイアーの4男カール・ロスチャイルドが始めました。1821年にオーストリア軍がナポリを占領したのをきっかけに、長男アムシェルによってナポリに派遣されました。カールは、ルイージ・デ・メディチ蔵相に接近し、良好な関係を作り上げると、ロスチャイルド家の銀行をナポリにおける主要銀行とすることに成功します。

1822年、カールは4人の兄弟ともに、オーストリア皇帝フランツ1世から男爵に叙せられます。1829年には、シチリアの在フランクフルト総領事に任命され、1832年1月にはローマ教皇グレゴリウス16世から騎士団勲章を受けています。

フランクフルトのロスチャイルド家

アムシェル・マイアー・フォン・ロートシルト

フランクフルトのロスチャイルド家は、マイアーの長男アムシェル・ロスチャイルドが引き継ぎました。大陸諸国に侵攻したナポレオンが、イギリスに経済的打撃を与えるため大陸封鎖令を出すと、ロンドンに渡ったネイサンと協力し、大陸にイギリス商品を密輸し、大陸各地に売りさばいて利益をあげました。

1812年に父マイアーが死去すると、アムシェルはロスチャイルド家の家長の座とフランクフルト・アム・マインの銀行を引き継ぎます。アムシェルには子供がいなかったため、フランクフルトのロスチャイルド家は2代目のアムシェルを最後に途絶えてしまいました。

ロスチャイルド家の現在の当主はだれか

ロンドン家現当主ジェイコブ 出典:Wikipedia

現在、ロスチャイルド家は大きく分けてロンドン家・パリ家・パリ分家の3つです。当主はそれぞれ以下のようになっています。

ロンドン家:ジェイコブ(1990年〜)
パリ家:ダヴィド(2007年〜)
パリ分家:パンジャマン(1997〜2021年)

3人とも金融業や慈善活動で活躍し、たびたびニュースになっています。全盛期から廃れたとはいえ、今もなお、裕福な一族としてロスチャイルド家は注目されています。

ロスチャイルド家パリ分家当主パンジャマン氏の死亡理由とは?

パンジャマン氏 出典:WINE REPORT

2021年1月15日、パリ家分家の当主であり、スイスのプライベートバンク「エドモン・ド・ロスチャイルド」の経営者、パンジャマン・ド・ロスチャイルド氏が心臓発作で急死しました。

彼は金曜日の午後に、スイスにある自宅で亡くなっていたと発表されています。元から心臓が弱かったのか、定かではありません。しかし、突然の死だったことは間違いないでしょう。

彼には妻が1人と娘が4人います。ロスチャイルドの家訓では、事業への参加や後継は男子のみとなっています。今後、パリ分家がどうなっていくのか、これからの発表が気になりますね。

ロスチャイルド家にまつわる陰謀論

世界の経済を牛耳っている?

ロスチャイルド家は米国の中央銀行の株主

ロスチャイルドは世界の経済を手中に納めている、という話がまことしやかに囁かれています。その話によると、ロスチャイルド一族が、米国の中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)を支配しているとされています。

これはロスチャイルド家が運営する銀行が、株主として関わっていることが由来となっています。この話の信憑性ですが、結論から言うとロスチャイルドが米国の中央銀行を支配するのは不可能です。

なぜなら、FRBは民間の銀行と政府が共同で運営しているからです。FRBを運営する7名の理事は大統領が指名し、上院が投票によって承認します。また、FRBの上司は議会で、運営の方針は彼らが決めます。

そのため、FRBは勝手に金融政策の目標を変更できません。ですから、これを根拠として、ロスチャイルド家が世界の経済を牛耳っているというのは、無理のある話と言えるでしょう。

原油の利権を握っている?

一時期ロックフェラー家と石油のシェアを奪い合っていた

ロスチャイルドは原油の利権を握っている、という話も囁かれています。ロスチャイルド家はバクー油田の石油権益を得て、1883年にブニト(カスピアン・アンド・ブラックシー・ペトロリアム)を設立。

多くの石油業者と契約し、ロシア灯油の最大輸出業者として名を馳せました。1880年代後半には、東洋の市場へ進出しています。結果、世界市場の約22%をロシア灯油が占めるようになりました。

しかし、ロスチャイルド家の躍進は止まり、第二次世界大戦後は中東が市場の大半を占めました。そのため、ロスチャイルド家が原油の利権を握っているとは言えないでしょう。

ロスチャイルド家の歴史年表

〜1744年「マイアー誕生前のロスチャイルド」


ロスチャイルドは元々お金持ちだったわけではない

マイアーが誕生する前のロスチャイルド家は、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)の自由都市フランクフルトのユダヤ人居住区で暮らすユダヤ人の家でした。決して裕福な家ではなく、生活も貧しいものでした。

なにかと話題になるロスチャイルド家が、もとは一般的な家庭だったとは驚きですね。

1744年「マイアー・ロスチャイルド生まれる」

マイアー・アムシェル・ロートシルト

1744年、ロスチャイルド家の始祖となるマイアー・アムシェル・ロスチャイルドが、フランクフルトの「ゲットー」と呼ばれるユダヤ人地区に生まれました。当時のフランクフルトのユダヤ人には、公的な家名は許されていませんでしたが、マイアーの家族は赤い盾(roth Schild)の表札の付いた家に住んでいたことから、マイアーは後に「ロスチャイルド(ドイツ語:ロートシルト)」 を家名としました。

1769年「マイアーが宮廷御用商人になる」

フランクフルトゲットー

13歳で両親を亡くしたマイアーは、ハノーバー王国のユダヤ人銀行家オッペンハイム家に奉公し、宮廷御用商人の業務を学びます。20歳の時、フランクフルトのユダヤ人街で古銭の販売業を始めました。古銭の収集という趣味を通してフランクフルトの領主ヘッセン侯爵家のヴィルヘルム9世と縁ができたマイアーは、1769年26歳の時、ヘッセン侯爵家の宮廷御用商人となります。

1789年「ロスチャイルド家が正式な金融機関になる」

1789年、ロスチャイルド家はヘッセン侯爵家の正式な金融機関の一つに指名され、対外借款の仕事に携わります。1795年頃からは、ヴィルヘルム9世の大きな投資事業にも参加し、ロスチャイルド家は銀行家としてドイツ内だけでなく、ヨーロッパ中へと事業を拡大します。

ナポレオン戦争で莫大な富を得る

ナポレオン 出典:Wikipedia

1792〜1815年まで、フランス革命戦争とナポレオン戦争が勃発しました。自由主義を掲げるフランス軍はロスチャイルド家を含むドイツのユダヤ人たちにとって、国の束縛から解放されるチャンスでした。

また、ロスチャイルド家にとってはヘッセン・カッセル伯の好意に依存していた不安定な状態から脱する絶好の機会となりました。戦争中、ロスチャイルド家の三男ネイサンはイギリスに常駐し、綿製品を安く購入。ドイツへ送り、莫大な利益をあげました。

ネイサンはそのお金を元手に金融業を開始しました。

さらに1806年にナポレオンが大陸封鎖令を出し、支配下の国々にイギリスとの貿易を禁止。これはロスチャイルド家にとって大きなチャンスとなりました。

ロスチャイルド家は独自のルートでイギリスから商品を仕入れ、大陸各国に高値で売却。更なる大金を得たほか、物資不足で困っていた現地人から感謝されました。

1812年「マイヤー・ロスチャイルドが死去」

1812年、マイアーが亡くなると、遺言のとおり長男アムシェルがフランクフルトの事業全て継承し、ウィーンでは二男ザロモンが、ロンドンではすでに移住した三男ネイサンが、ナポリでは四男カールが、パリでは五男ジェームズがそれぞれ事業を開始します。

1822年「男爵の称号を得る」

ナポレオン戦争が終わると、フランスの賠償金についての話し合いが行われました。しかし、ロスチャイルドはこの話し合いから弾き出されそうになります。
そこでパリのロスチャイルド家は、フランスの公債を大量に購入。それを一気に売却し、圧力をかけました。これが功をなしロスチャイルド家は会議に招かれました。

この時にオーストリア帝国の宰相クレメンスとの関係が始まります。会議のあと、ロスチャイルド家はクレメンスとの関係を深め、1822年に男爵位をハプスブルク家から与えられました。
また、五兄弟の団結を示す5本の矢を握る紋章も与えられます。ロスチャイルド家は男爵位を授けられてから、名前に貴族を示す「von(フォン)」や「de(ド)」を入れるようになりました。

1853年「水道会社の設立」

1841〜1854年まで、パリの市民に届く1日の水はわずか4Lだった

パリ家は1853年、オタンゲルなどの投資会社と共に総合水道会社ジェネラル・デゾーを設立しました。さらに5000株を所有し、大株主となります。資本金2000万フラン8万株で事業はスタート。
好調な滑り出しで1860年9月にはパリ市に、ジェネラル・テゾーが有利な条件をつけ、営業を譲渡しました。具体的には以下の6つです。

  • 水道会社がセーヌ県の市町村とかわした給水契約のすべてと、同社が所有する全水利施設をパリ市に譲り渡す

  • 給水管理権はパリ市が持つ。また、水道会社が契約者に給水するための十分な水量をパリ市は確保しなければならない

  • 水道会社は水の配分と販売、水道管の建設、契約金の長州、商業的給水泉の管理義務を負う。さらにその収入を毎週パリ市の金庫に振り込まなければいけない

  • 損害賠償として、総合水道会社の年間利益に相当する116万フランを総合水道会社は受け取る

  • 管理費として、総合水道会社は年間35万フランを受け取る。また、総額360万フランを超えた収入分については、総合水道会社が超過分の4分の1を受け取る

  • 契約期間は50年間。その間、総合水道会社はセーヌ県の市町村と新たな給水事業契約を結ぶことはできない。契約はパリ市が担う

要するに営業と仕入れをパリ市に任せ、水道会社は管理だけを行う契約です。しかも一定金額が毎年入ってくるほか、収入が一定金額を超えた場合は追加でもらえます。
会社はこの契約によって、毎年40万フランほど収入を増やしていきました。

1854年「帝政ロシアと敵対」

ロシア帝国の国旗 出典:Wikipedia

ロスチャイルド家はユダヤ人迫害を推し進めるロシア帝国と敵対的な関係にありました。1854年のクリミア戦争では、ロシアと敵対するイギリス・フランス・トルコの連合陣営を金銭面から支援し、さらに軍事費を調達。
トルコには莫大なお金を貸しました。結果、オスマン債務管理局(オスマン帝国の借金返済を促進する機関)の債権者である英仏と債務者のトルコ両方の財政の詳細を、ロスチャイルド家は知ることができる立場となりました。
ロシアがクリミア戦争に敗北し、ロシアはロシア領アメリカをアメリカへ売却します。しかし、再び財政が困窮してしまいロシアは公債を発行。これにロスチャイルド家パリ家当主が協力し、その報酬としてバクー油田でも最大のバニト油田をロシア政府から譲り受けました。

1914年「ロスチャイルド家の衰退が始まる」

19世紀後半になると、各国で起こった戦争の影響を受け、ロスチャイルド家の事業も衰退を始めます。フランクフルトの本家は、新しい金融の中心地ベルリンに移らなかったことと、後継ぎがいなかったため衰退し、ウィーンのロスチャイルド家もハプスブルク家の衰退とともに弱まりました。
1914年に勃発した第一次世界大戦の際には敵味方に引き裂かれました。最も栄えていたロンドンでは、戦争によってロスチャイルド銀行の大きな部分を占める公債発行が危険な投資になってしまい、戦後、ロスチャイルド家はこれまでの事業を守るのがやっとでした。

1838年「ナチスによる迫害」

ウィーンのユダヤ人大富豪のルイス・ロスチャイルドを逮捕したヒトラー

1938年にオーストリアがドイツに併合されると、ウィーンのロスチャイルド家の人々は、当主のルイ男爵を除き殆どがイギリスへ亡命しました。ルイはゲシュタポに連行されますが、全財産没収と国外追放を条件に釈放され、アメリカへ亡命します。
1940年、ナチスがフランスに侵攻しパリが陥落すると、パリのロスチャイルド家の人々もアメリカに亡命し、屋敷や銀行はナチスに押収されます。ロンドンのロスチャイルド家はナチスの被害を免れました。第二次世界大戦の影響は大きく、戦争が終わった時に残っていたロスチャイルド家はロンドン家とパリ家のみになってしまいました。

1950年「ロスチャイルド家の復興」

戦後、ロンドンのロスチャイルド家の復興は、分家のアンソニー・グスタフ・ド・ロスチャイルドを中心に、パリのロスチャイルド家の復興は、当主であるギー・ド・ロチルドを中心におこなわれました。特に、パリのロスチャイルド家の復興は目覚ましく、1957年には石油会社の設立、1967年にはロチルドフレールをロチルド銀行と改称しました。

現在

世界のヤング大富豪 ロンドン在住のデヴィッド・デ・ロスチャイルド

2003年、ロンドン家とパリ家の両銀行が統合され、「ロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングス」が創設されました。現在は、スイスに本拠におく「エドモンド・ド・ロスチャイルド銀行」、パリ家とロンドン家が共同所有する金融持株会社「ロスチャイルド&カンパニー」、ロンドンに拠点をおく「キャピタルパートナーズ」の3つがおもな事業となっています。

ロスチャイルド家の関連作品

おすすめ本・書籍

金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った

金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った (5次元文庫)

いかにロスチャイルド一族が、富を自分たちに集中させ、持続させてきたかが理解できます。ユダヤ人の陰謀論ではなく、現実にロスチャイルド家が、一族に富が集まるようにどのようなシステムを構築してきたのか、歴史的事件を追いながら紐解いています。

ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡

ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡 (講談社現代新書)

ロスチャイルド家とはどのような一族なのか、大まかな輪郭が理解できます。ロスチャイルド家がかかわった事業や文化的貢献がこれほど多いのか、とあらためて驚かされます。

広瀬隆『赤い楯』全4巻セット

広瀬隆『赤い楯』全4巻セット (集英社文庫)

表の世界ではなく裏の世界を知ることで、世の中のしくみがよくわかる、ということを説明してくれます。今までとは違った世界の歴史をみることで、新しい視野がひらけるのではないでしょうか。ただし、登場人物も多く、話が複雑なのである程度歴史の知識があるほうが、すんなりはいってくるかもしれません。

ロスチャイルド家に関するまとめ

ロスチャイルド家についてご紹介しました。
ロスチャイルド家は、投資と金融からスタートし、
フランフルとのゲットーに住む一市民から世界一の大富豪となりました。
長い間自分達の国を持っていなかったユダヤ人は、
頼れる国がありませんでた。
しかし、「国」という自分達を縛るものがなかったからこそ、
一族が国境を越えて結びつき、世界一の大財閥というところまで
昇り詰めることができたのではないでしょうか。

ロスチャイルドが所有し、管理している銀行の完全なリスト

FRBとIRS

一般大衆にはほとんど知られていないが、
アメリカ連邦準備制度理事会は、
アメリカ法の影響を受けない、
まさに自分の土地に居る民間企業だという事実だ。

この私有企業
(ロスチャイルド家、ロックフェラー家、モルガン家が支配している)は、
アメリカ政府のためにお金を印刷し、
アメリカ政府は、彼らに「好意」の利子を支払っている。

つまり、今日、国の債務をリセットし、
紙幣の増刷を開始すれば、
政府に貸し付けた最初のドルからFRBに借金をすることになるのです。

また、米国に住んでいるほとんどの人は、
内国歳入庁(IRS)が外国の機関であることを知りません。

より正確には、
IRSは国際通貨基金(IMF)の外国の民間企業であり、
連邦準備制度理事会(FRB)の民間の「軍隊」です。

その主な目標は、アメリカ国民が税金を払い、
善良な小さな奴隷になるようにすることです。

1835年、アメリカ大統領アンドリュー・ジャクソンは、
国際銀行家を軽蔑すると宣言した。

「お前は毒蛇の巣窟だ。
わたしはお前たちを敗走させるつもりだし、
永遠の神によってお前たちを敗走させるつもりだ。
もし人民が、わが国の貨幣と銀行制度の階級的不公平ささえ
理解するならば、朝までに革命が起きるだろう。

その後、ジャクソン大統領の命を狙った暗殺未遂事件が起きた。
ジャクソンは副大統領のマーティン・ヴァン・ビューレンにこう語った。

「銀行、ヴァン・ビューレンさんが私を殺そうとしている」

これは、その後数十年にわたって
ホワイトハウス自身を悩ませることになる
陰謀のパターンの始まりでした。
リンカーンもJFKも、
この国から銀行家を追い出そうとしたかどで殺害された。

世界のメガバンク

地球上のすべての国に融資を提供するメガバンクは、
世界銀行とIMFの2つです。
1つ目は、ロスチャイルド家を頂点とする世界トップの銀行家が
共同で所有しており、
2つ目はロスチャイルド家が単独で個人所有しています。

これら2つのメガバンクは「発展途上国」に融資を行い、
返済がほとんど不可能な利権を利用して、
土地と貴金属という真の富を手に入れようとしている。

でもそれだけじゃないんです!
彼らの計画の重要な部分は、
秘密裏に所有されている企業を通じて国の天然資源
(ガソリンやガスなど)を搾取し、精製し、
同じ国に売り戻して莫大な利益を上げることです。

しかし、これらの企業が最適に事業を展開するためには、
いわゆる「発展途上国」には通常欠けている強固なインフラが必要です。
ですから、銀行家は、返済がほとんど不可能なローンを提供する前に、
資金のほとんどがインフラに投資されるようにします。

これらの「交渉」は、
いわゆる「経済的殺し屋」によって行われ、
彼らは、国を売り払う立場にある人々を、
見事に報酬を与える(つまり、賄賂を贈る)か、
死ぬと脅すことで成功する。

それらすべてを支配する唯一の銀行である「国際決済銀行」は、
明らかにロスチャイルド家によって支配されており、
「バーゼルの塔」と呼ばれています。

ロスチャイルド家の真の力は、銀行帝国をはるかに超えています

もしあなたがまだロスチャイルド家の力に驚いていないのなら
(私はあなたがそうであることを知っています)、
彼らもまたナポレオン以来のすべての戦争の背後にいることを
知ってください。
その時、彼らは戦争の両陣営に資金を提供することが
いかに有益であるかを発見し、それ以来、それを続けています。

1849年、マイヤー・アムシェルの妻である
ガトル・シュナッパーは次のように述べている。

「息子たちが戦争を望まなければ、戦争は起こらなかったでしょう」

ですから、世界は、
ロスチャイルド家とその寄生虫銀行家の血統にとって、
非常に、非常に有益であるため、まだ戦争状態にあります。
そして、私たちがお金を使い続ける限り、
世界は決して平和を知ることはありません。

アメリカ合衆国が外国から支配された企業であることを知ることは、
多くの人にとって衝撃的です。
元の名前はバージニア会社であり、
英国王室が所有していました
(主に儀式的な能力のみで機能する女王と間違えないでください)。

英国王室は会社をバチカンに寄付し、
バチカンは開発権を王室に返還しました。
アメリカ大統領はCEOに任命され、
彼らの仕事は、毎年利益の分け前を受け取る
英国王室とバチカンのためにお金を稼ぐことです。

英国王室は、
シティ・オブ・ロンドンとして知られる677エーカーの独立した
主権国家から密かに世界を支配しています。
このもう1つのクラウンは、
イングランド銀行が率いる12の銀行の委員会で構成されています。
誰がイングランド銀行を支配していると思いますか?
そう、ロスチャイルド家だ!

1815年、ネイサン・メイヤーは次のような発言をした。

「太陽が沈むことのない帝国を支配するために、
イングランドの玉座にどんな傀儡が置かれているかは気にしない。
イギリスのマネーサプライを支配する男は大英帝国を支配し、
私はイギリスのマネーサプライを支配する。

ロスチャイルド家は、まさに権力のピラミッドの頂点にいます。
彼らは新世界秩序と世界のアジェンダの完全な支配の背後にいます。
彼らは欧州連合とユーロの背後にいて、
北米連合とアメロという考えの背後にいる。
彼等は世界の全ての諜報機関を支配しており、
彼等の私兵はNATOだ。

https://t.co/tYesXPkMKU

真田幸光氏「世界の富の99%はハプスブルク家と英国王室が握っている」ロスチャイルドもロックフェラーも王家たちの執事でしかなかった

(真田幸光氏の理論には賛同しかねる。
ロスチャイルドは通貨発行権を手に入れて、
金融システムを築き上げたので
ハプスブルク家から金を借りる必要なない:フランク)

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