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シビアな環境なほど勉強が進む説

10/29(日)を最後に、大宮には一度も足を運ばず。その手の店には通わず。自己発電はしない主義なので、完全に断射中。

まだ書き足りないことが山程あるのに、筆が進まず。書くなら伝えたい文章を書きたい完璧主義が邪魔している。

今回、そのガス抜きも兼ねて、あまり考えずに。

今日は今まで後回しにしていたことが、大きく進んだ。

今日、ジムでトレッドミルしながらテキストを読んで問題を解き、車の運転をしながらテキストを読んで問題を解き、タリーズでもテキストを読んで問題を解き、家に帰ってもテキストを読んで問題を解いたら、今月末期限の中間レポート、5本提出完了してしまった。

新たにゲーミングチェアを購入したり、ハイタイプのこたつを用意したりと、自宅で快適な環境を準備したというのに、集中できなかった。

自宅では全く勉強ができないタイプ。昔からそう。

コロナ禍前、通勤していた時代は電車がいい勉強スペースだった。わざと当駅始発に乗って各駅停車にのって、1時間20分で行ける通勤、2時間かけて通っていた。でもよく寝てしまう。

車の運転、寝ると事故って死ぬ。なので寝ることは許されないし神経が割りと活性化しているので、車の運転中の勉強は捗ることに気がついた。信号待ちで本を読んでいたり。渋滞のときに本を読んでいたり。もう何年も、片手に本をもって運転している。危ないのは承知。

徒歩中の勉強も有効。よくやっていたのは、退社後、品川の山手線には乗らず、そこから有楽町までの1時間、リュックを背負って歩きながら本を読んでいた。二宮金次郎の気分で。彼は山や木々を、私はきらびやかな高層ビル群を眺めながら。

時々コースを変えて品川→渋谷だったり、品川→新宿、品川→池袋も徒歩帰宅を挑戦したこともあった。手元が暗いので、読書ライトを本に挟む。疲れも紛らわせて勉強も捗るので、ウォーキングと勉強の組み合わせは、なかなかいい。

コロナ禍以降通勤がないので、そのかわり、いまはトレッドミルでそれをやっている。

車の中では、頭にヘッドライトを付けて本を照らしていたりもする。

つまり、勉強のための環境では勉強が捗らず、ながら勉強じゃないとダメみたい。

「電車に座っているのが退屈だから本でも読むか。」
「車の信号待ちが退屈だから本でも読むか。」
「徒歩が退屈だから本でも読むか。」
「カフェに来たけどやること無いので本を読むか。」

ていう具合。「時間を有効に使えている俺かっけー!」みたいな。

明日はどこへロングドライブするか悩む。

で、今日Twitterタイムラインで流れてきて、気になってて、買った本。

難しいらしく、途中で断念したレビューがいくつかあるので、挑戦したくなった。


入門編もあるみたいだね。

本当はこっちのほうが良かったらしいが、たまたま立ち寄った秩父の本屋には売ってなかっただけ。

今日はあのカツ丼を食べるためだけに、往復6時間ぐらい運転していたんじゃないかな。

いや違う。シビアな環境で勉強するために、カツ丼を食うのを大義名分にし、ドライブしたのだ。(普通は大義名分が勉強、隠された真の目的はカツ丼だろう)


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