毎日少しずつ、脱獄の穴を掘る狂気が必要だ
久々に、頭の中を整理するための壁打ち配信をしました。さらに深く掘り下げたい話がいくつか出てきて、とてもおもしろかったです。定期的にやりたい。
内容は抽象的で万人受けするものではないので、話した内容はざっくりとnoteにまとめ、アーカイブはメンバーシップの限定公開にしようと思います。
配信時から1日くらいはYouTube上で無料で公開しておこうと思いますので、タイミングが合えば見に来てもらえたらうれしいです。
重いタスクを進めるには、まとまった時間よりもまとまった気持ちが必要
9:34~12:22
重いタスクは、「よしやるか」っていう気持ちをひとまとめにしないと、時間だけたくさんあっても前に進まない
気持ちをまとめるのにも時間がかかる
気持ちをまとめているときには他のタスクができない
価値観は手続き記憶
21:00~26:08
価値観や考え方は、身体的であり、ゴルフのスイングのようなものであり、自転車にのる技術のようなもの
それなのに本を読んだだけで分かった気になってしまう。変わった気になってしまうから自己啓発本の読みすぎには注意
知識と身体のギャップに苦しんでしまう
「お行儀のよさ」への抵抗感
29:45~34:15
身体的なクセは良いシグナルでもある
34:15~46:49
自分には髪をさわるクセがあるが、このクセがでているときは思考にストレスがかかっているとき
つまり、髪をさわってしまうときというのはやりたくないことにちゃんと向き合おうとしている、というシグナルでもある
言葉で思考する効率の悪さ
51:47~1:11:30
頭の中の作業台には7個しか物がおけない
このスペースをいかに有効活用するか
たとえば記憶術
「いまここ」を生きるためには、毎日少しずつ、脱獄の穴を掘る狂気が必要
1:14:50~
『プリズンブレイク』の脱獄は目標志向の脱獄だが、『ショーシャンクの空に』の脱獄は、いまここを生きる脱獄だ
ドゥルーズ&ガタリのいうところの「逃走線」にもつながるかもしれない
実際に逃げられるかどうかより、いつか逃げられるかもしれないという希望を少しだけ積み重ねるという行為が、過酷な現実のなかで意識をいまここにとどめ置くために必要な装置なのかもしれない
夜と霧のヴィクトール・フランクルは、過酷な収容所での経験を心理学者として観察し、「この地獄から抜け出したとき、体験を語る」ことを希望に生き抜いた
しかし同じ「希望を持つ」でも、「どうやら今年のクリスマスに戦争が終わるらしい」という希望にすがって生き抜こうとした人の多くが、クリスマス前に命を落とした
そういうことが毎年、起こったらしい
かれらとフランクルの希望の持ち方にはどのような違いがあるのだろうか
その違いは、『ショーシャンクの空に』と『プリズンブレイク』の脱獄との違いに近いような気がする
読みたい本がたくさんあります。