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言葉の力を借りずに、普通の言葉で自分のなかからでてくるものを表現する

執筆教室の第4期の募集が始まっています。

昨日は第3期の相談会で、メンバーさんの執筆にまつわる相談に倉園さんと僕がお答えしました。


この会で倉園さんがが仰っていた

「言葉の力を借りずに、普通の言葉で自分のなかからでてくるものを表現しましょう」

という話が僕に刺さりました。今日はその話を交えて執筆教室の魅力を書いてみたいと思います。



僕らは会話をするときに、自分の言葉を飾ったりはしない。言いにくいことには口ごもり、吃り、沈黙し、前置きし、言い訳し、それでもなんとか伝えたいことを口の動きに変換しようともがく。

目の前の相手が大切な人ならなおのこと緊張し、誠実であろうとする。

その必死さや真摯さ、一生懸命さは、言葉を飾らなくてもそのまま相手に伝わる。

しかし僕らはそれが文章になったとたん、急にカッコつけたくなってしまう。ふだんは絶対に口にしないような表現を平気で使う。より強烈なエピソードを持ち出そうとする。

本来、僕らは表現したいことを、普通に話すかのように書くだけでいいのだ。それを強い言葉やエピソードで補強する必要はない。より強烈な形容詞を使わなくていい。より辛い過去をもちださなくていい。

自分のなかから出てこようとしているものに、

「一体何が出てくるんだろう」

と自分自身がワクワクしながら手を動かす。普通の言葉で、使い慣れた言葉でそれを描写するだけでいいのだ。


「価値のあるものをつくらなきゃ」
「プロとして恥ずかしくないものを」

聞こえはいいけれど、そこには一抹の「不安」が潜んでいないだろうか。

「誰も読んでくれなかったらどうしよう」
「ひとつも売れなかったらどうしよう」
「いいねをもらえなかったらどうしよう」

そういう不安をかき消したくて、僕らは言葉の力に頼ってしまう。

でも、あなたのなかには確かに伝えたいことがあり、そしてそれを発表する場所がある。つまり、それを受け取ってくれる人がいる。

僕らが何かを創ってしまうのは、自分のためだけではない。自分を通ってこの世界に生まれようとしているものを、ちゃんと責任をもって形にして、待っている人たちに届けるのがあなたの役割だ。

それを自分のために飾ろうとしない。自分のために出し渋らない。自分の入口と出口を空けたまま創作する。

それがうまくできているとき、僕らは自分のつくっているものに自分で驚いてしまう。自分も気づいたらその作品の読者になっている。

この感覚はいつも味わえるわけではない。創作に誠実であり続けることで、たまに表現の神様みたいなのがくれるご褒美のようなものなのかもしれない。創作に惹かれ続けてきた人なら、きっと誰しも身に覚えのある体験だと思う。


倉園さんとの執筆教室は、子供のころはいつも身近にあった表現や創作の楽しさと、もういちど大人として出会いなおすための「お稽古の場」です。

バズる文章の書き方とか、毎日書く習慣を身につけるとか、そういう話は一切でてきません。

僕と倉園さんは、ただただあなたの作品がいかに素晴らしいかをあなたに熱弁します。

ただし、あなたのなかから出てこようとしている表現を、あなた自身が照れたり、怖がったり、カッコつけたり、楽しようしたりして邪魔しているときには、倉園さんからきっちり朱が入ります。これがまた痛気持ちいいのです。


第4期は12月1日から、年末年始を挟んで2023年1月21日までです。

初回講義は11月27日(日)14時から。アーカイブで後追い視聴もできます。

12月24日~1月10日は倉園さんの朱入れやF太のコメントなどはお休みの期間となりますが、年末年始に時間をとってしっかり創作と向き合いたい方には、今期はとてもおすすめです。



12月からのおよそ2ヶ月弱をともに過ごせることを楽しみにしています。

読みたい本がたくさんあります。