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見ることを楽しみつづける

SNS上でどの写真を見ても感動しなくなる現象、というのが印象に残っていて、表現のコモディティ化の話からずれるけどつらつらメモする。

SNSは普段、好きなものを見つけてたくさん感動したいと思って開いている。たくさん感動したいわりに、出会ったものをじっくり味わうということをつい後回しにする。量ばかり求めて、SNSで得られる体験の質を、自分で下げている時があるよなと思った。

特に写真は手軽で。すべての情報が同時に目に入って、一瞬で引きつけられる。感覚的で、文字より速く心が動く。一方で手軽だから、消費してしまいがちだなとも。いいものに出会ってるんだけど、次々と情報が流れてくるから、見落とさないようにすぐに新しいものに目を移す。

感動に浸らず、消化しきれない情報が頭に中に積もっていくと、もやもやとした疲れが残る。いいものに出会えているはずなのに、充実感があまりない。なんだろう、食べてるつもりが食べられているというか。コンテンツを消費していると、自分の方が消耗している。

SNS上で見つけた考えや知識をノートに書き写すと、保存した写真をゆっくり見ると、疲れが解消する。また見たいものを分類したり、感想をメモしたり、たまに感想をnoteにまとめる。
直近で載せた感想はこれ。惹かれる写真の共通点を知りたい、と思って色やモチーフをそろえてまとめるんだけど、やってみると個々の写真の魅力は一括りにできない。その多様さがおもしろい。

これは感想というか写真から書いたフィクション。最初の400字弱は写真を見る前に考えたけど、続きは写真の印象を元にしている。写真から感じた心地よさを、そのフレームの外へ広げていこうとすると、また違う発見があった。

好きなものが分からなくならないように、目で追っていたものを、手を動かして味わう。自覚的に楽しむと、情報を絶え間なく摂取しつづけた時の疲れがなくなる。
加えて、記事を読んで感じた。こうやって好きなものを確かめることは無感動にならないようにするという意味でも大事かもしれないなと。
じっくり味わうと、アンテナが鋭くなるんだと思う。情報があふれる中でも、偶然出会った瞬間、通り過ぎない。これが好きだと、ちゃんと反応できる気がする。自分から探しに行くときも、合うものを見つけやすい。

最近は目で追っているだから、保存した文章や写真を見返せるよう整理しなきゃなーと思った。
出会った瞬間に湧きあがる、理屈ぬきの感動。ぶわっと体温が上がったような感覚は代えがたいんだけども。スキを押すだけだと、楽しさは流されてその1回で終わってしまう。
写真やイラストはなんで好きか分からないことが多い。
特に初めて見つけた時は冷静じゃないし、何に感動してるんだろうってなる。見た瞬間に強い高揚感はないけどじわじわと惹かれる場合も、何が気になっているのか分からない。
何回か見たり長く眺めたりして、具体的にどこがいいか、引っ張り出されたイメージや感情が何なのか、うっすら分かってくる。そこからたどっていくと、日々の違和感や欲求、子供のころの記憶、物と物、人と自然の関係とか。ふだんは意識しない、でもわりと大事そうなことに結びついたり、今まで当たり前だと思っていた物の見方が変えられていることがあって、おおーと静かにびっくりする。

あと記事を読んで、この本を思い出した。

本来は、その場所に行ってみよう、さらに深く調べてようと人々を触発するための情報。けれど大量の断片的な情報に触れつづける人々は、実際にはその情報に目を通しただけで満足してしまう、知らないのに知った気になってしまうという現象が起きる。
「分かった」「知ってる」とそこで思考を停止させるのではなく、「知らなかった」と人々をときめかせ、さらに好奇心を引き起こす情報をかたちづくれないだろうか。そんな問題意識を持つ、グラフィックデザイナーであり、武蔵野美術大学教授の原研哉さん。ゼミ生と共に情報のあり方を模索し、様々なアプローチで取り組んだ結果を本にまとめている。このシリーズは何冊かあるけどその中の「四万十川」、「RESORT」、「植物」。作品集は写真が多くて気軽に楽しめるけど、久しぶりに開いてのそのそと読み進めている。

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