強いものしか優しくできない、弱いものがする優しさは傷の舐めあいだ

この記事は

私の高校時代の憎い恩師のお話です



1、出会い

恩師、以下K。と呼ぶことにしよう
なぜなら当時私はKのことが大っ嫌いだったからだ。
また、あいつもきっと私のことが嫌いだったと思う。

私がKに初めて会ったのは入学式だ

私より少し小さめの身長、やや長めに伸ばされた髪の毛は後ろで軽く縛られており、オールバックといいつつやや薄めの髪の毛であると思われるオデコがでている。

申し訳程度にスーツを着ていたが、まるで教員とは思えない風貌。
(実際彼は海外旅行が好きでいたがよく空港で引っかかるという話をしていた、どうやら鉄板ネタのようだが、まぁ彼を一度見たものは納得すると思う)

入学式が終わった後、彼はHR(ホームルーム)でこういった


「お前らは今から努力しないと某高校(進学校)に言ったやつらと同じ大学にはいけない」
「お前らは今の段階でそいつらに負けてるんだから努力をしなければならない」


なんていうことをいうんだ。と私は思った。
私の学校はいわゆる私立高校である。

そして、私の住む県は圧倒的公立主義である。
なのでこの担任の言っていることは間違ってはいない。
実際第一志望の高校に落ちてこの学校に入った人は山ほどいる。

しかし、

私はこの学校を単願しており、この学校に曲がりなりにも入りたくて入ったのだ。
一応まぁまぁの成績で多少の給付金をもらったとはいえ、親に頭を下げて金のかかる私立に入れてもらったのだ。

なのに、初日からこの言い草、意味が分からない。なんだこいつは。と私は思った。


2、筆箱事件

私とKのお互いが両想いで嫌いというエピソードはいくつかあるが、その中でも初めてにして一番思い出深いエピソードを紹介する

それが、筆箱事件である。

事の発端はたぶんHRだと思う。
私は筆箱を落としてしまったのだ、それも連続で2回。
そこで少し笑ってしまった。

今でいう薄ら笑いというか、自虐笑いというところだろう。

そこでKはブチ切れたのだ


「なに笑ってんだ」
「俺はお前のそういうところがきらいなんだよ!」


私もきらいだよ。って思ったね。

大体私は生徒たぞ、学校の規則を破ったわけでも、テストでカンニングをしたわけでもないのに何でこんなことで怒鳴られないといけないのか。

これ以降もやたら私は怒鳴られるのだが、これが一番インパクトが強い。私が思い出話として友達と話すと「え~なんでこれで切れたの?」と笑われるいいネタでもある。


3、こわーい進路面談!!その1

なんやかんやあって私は2年生に進級する。
2年の担任もK。そして、2年生にあがると進路面談が本格的に始まることとなる。

ここでもK節は止まらない。
(今思えば何気なくやさしく面接しても怖くて泣いてしまった子もいるらしく、そう考えるとざっくばらんに話そうがなにくそ精神で立ち向かう私は扱いやすい生徒だったと思う)


「今のお前じゃ○○大ぐらいだな」


じゃあ○○大いくよ!
(本当に行った。でも今思えばあの成績からよくそこに行ける成績を出せたなぁとは思ってる)

もちろん、当時にKの言うことを聴いて真摯に取り組んでれば当時の第1志望に行けたのかもしれないけど、私のしたいこと、やりたいことを見たうえでの現実的に狙える点は今の母校だったなぁと思う


4、こわーい進路面談!!その2

そうして、3年生になる私。
担任はK。そう、私は3年間Kのもと育つことになる。

そうして迎える受験の天王山、3年夏休み前の3者面談。
当時の私はまぁ本当に勉強ができなかった、センターの点数は全然足りなかったし英語なんてこれ100点満点?という点数だった。

そこで担任と私の会話を皆様にお伝えしたい


K「お前勉強やってるのか」
私「いや、正直やってないです」
K「お前はそういうところがダメなんだよ。普通そういうときは取り繕うとするだろ、そういうところがダメ。」


あんまり覚えてない(ごめんなさいウイスキー飲んで文章が)んですけどとにかく勉強どうこうじゃなくてとにかく自分の性格を非難されて終わった面談だった。なぜか勉強しろとは言われなかったし、そのあとその夏は本当に勉強した。


5、いいところも言っておく

ここまで言うと身バレしたときにこの人がたたかれちゃいそうなのでいいところも言っておく。

この人はいい意味で変わらないので、最期の進路面談、12月ごろの面談で私がたくさん併願を出したときに行ってくれた


「お前そんなに併願だして、受かってそこに行くのか?」
「受かったら行くと思えるとこだけ受けろ」


正直、怖かったのだ。
点数が足りるのか、その時浪人ということまでは考えなかった私は、どれだけランクを下げてでもひとまず大学に入らなければと頭がいっぱいになっていたのだ。

だがKはその気持ちをくんだうえですべて一蹴した。

私は今の母校に行きたいという気持ちを強く望み結果合格を勝ち取った。

実際の受験シーズンにおいても推薦文書いてもらうために叱られたり、面接練習なんていらいないと突っぱねられた記憶もあるが、どれも私のためだと今は思ってしまうのが自分は現金な人間だなぁと思ってしまうところである。


6、卒業式

そうして現在では母校となった大学への合格を決め、自主登校をやり過ごした私は、卒業式へ向かった。

私の高校では全員が卒業証書を受け取る方式ではなく、担任が全員の名前を読み上げた後生徒がお礼の言葉を言い、それに担任が返すようなものだった。

その時何を言ったかは正直覚えてない、正直卒業式は、生徒会長をやった同じクラスの女の子のことしか覚えてない。
たぶんK先生大好き―みたいなこと言ったと思う。どうせKのことだから適当に流したと思う

正直記憶に残っているのはその後のHRでもKの言葉だ。


「強いものしか優しくできない、弱いものがする優しさは傷の舐めあいだ 」


その時Kのやっていたことすべてが腑に落ちてしまったのだ。
この人はこれが心にあるから、ずっと厳しかったんだなと思った。

だからお前らには強くなってほしいといわれた。

普通に、感動してしまったよ私は笑。
というか今お酒飲んでるから泣きそうになってるよ笑。


7、後日談

この後、私は卒業し、自分がOBとなった吹奏楽部の定期演奏会で早速Kと再開することになる。

Kはこういうのに来ると思ってなかったから、意外だったけど、おしゃべりした。
Kは相変わらずだったけど、少しだけわかったことがあった


私「どうですか、新しい1年生は。またたくさん怒ってるでしょ」
K「まぁ相変わらずだよ」
私「私もめっちゃ怒られましたもん」
K「まぁお前はたくさん怒ったわ」


なにそれ、特別扱いで怒るな。
ちょっとうれしかったわ。

今思えば私は、よくしかられるタイプの生徒だった、昔から。
それで気にするタイプじゃないし、特に学生の頃はなにくそ精神で頑張るタイプだったから、きっとそれをこの人は見てたんだろうなぁと思った。


8、まとめ

こういう話すると最後は

「今では私の旦那さんです」
とかあるかもしれないけど。

無事Kは別の元教え子とゴールインしたらしい。
あんなに結婚否定してたのに何してんだおめぇはといいたい。
そして今また会いたくなった。

今思えば嫌な思い出ばっかりだったし、この人の顔色うかがってやってみては失敗することもたくさんあったけど、今思えばいい経験ではあったと思う。

ごめんなさいもう酔っぱらってちょっと、わけわかんなくなってきちゃった笑。

会いたくなったなぁ、元気かな、きっと相変わらずクラスで怒鳴ってるんだろうな、今の私を見て「お前は何がしたいんだ」って怒られたいわ。


中途半端ですが、終わり。
今日は期末ですね、皆さん頑張りましょう


「金、土土土、日日日」 とげのは。

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