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デルタ株の夏

 コロナの感染拡大がおさまらず、ワクチンが希望者に充分行き渡らない状況で、一年遅れの東京オリンピックは開催されようとしていた。飲食店が時短営業もしくは休業、アルコールメニューの自粛を継続していたため、一部の人々は、「路上飲み」と称されるゲリラ的な飲み会を行うようになった。繁華街の路上や駅前広場にアルコールや食べ物を持ち寄り、飲みかつ喰らい、談笑する集団の姿を、仕事帰りに目撃した。当然ながら、感染拡大を促進する行為であり、特に医療従事者からは激しい怒りの声が聞かれた。重症化する確率がより高いと言われる「デルタ株」は、既に日本にも上陸していた。 

 オリンピックの開会式の音楽監督を務める予定だったミュージシャン、コーネリアスの小山田圭吾が、日本中から総攻撃を受け始めた。障碍者の同級生に対して行った極めて悪質なイジメ行為を、自慢話として語った過去の雑誌インタビューが、このタイミングで蒸し返され問題視されたのだった。その内容はイジメの範疇を越えた明らかな犯罪であり、刑法もしくは少年法によって処罰されるべきだったのではないかと思われた。
 該当の記事が掲載されたのは1990年代の「クイック・ジャパン」や「ロッキンオンジャパン」といった、サブカル系の雑誌だった。小山田の年齢から逆算すると、実際にイジメ行為が行われたのは、おそらく1980年代ではないかと推定された。凶行が行われたのは、小山田が通っていた和光学園、東京西郊の、自由な校風を謳う私立の学校法人とのことだった。そのリベラルな理念の下に、障碍者に対するイジメや暴力が半ば公認され、放置されていたという経験談が、卒業生の口から語られていた。
 90年代は、自分にとって青年期に当たるが、それらのイジメ自慢インタビューを、リアルタイムでは読んでいない。自分がその件を知ったのは、2000年代のある時点、情報源は旧2ちゃんねるのどこかのスレッドであった。小山田が、NHK教育テレビで坂本龍一と共演したことがあって、その時もやはり、過去のそれらの記事が掘り起こされて、炎上したことを記憶している。
 今回の炎上は、その時とは比較にならない規模であった。ツイッター、ヤフーコメント、5ちゃんねる、そのほとんど全てが激越な非難の言葉で飽和した。新聞、テレビ、週刊誌といったオールドメディアもこの件を取り上げはじめ、海外メディアまでが報道を行った。小山田は謝罪声明を出したが、全く鎮火せず、結局音楽監督を辞任した。過去に行った行為は、必ず自分自身に跳ね返ってくることが、こうして証明された。
 

 七月二十日火曜日、職場に出勤すると、年長の同僚から、一回目のワクチンを昨日接種したと聞かされた。同僚は埼玉県在住の五十代、持病があり、かかりつけ医が居た。先週の木曜日に接種券が届いたので、そのかかりつけ医に相談すると、すぐに接種の手配をしてくれたとのことだった。ワクチンの種別はファイザーで、発熱などは無いが、接種した左肩が痛く、肩より上に腕を上げることが出来ない、今日の業務にはそれなりに支障が出ると言っていた。自分の周囲で、ワクチン接種者の体験談を聞くのは、これが初めてであった。
 自分は、現在の所、持病なども特にない健康人間で、かかりつけ医など居ない。歯医者にも、前述の理由で長い間行っていない。ワクチンの予約は未だ取れず、いつ取れるのかも全くわからなかった。東京都区部の、外れ自治体の住人は、みな同じ状況のようであった。

 一部の自治体においてワクチン不足が叫ばれる一方で、自治体以外の大企業や学校法人などで行われるワクチン接種、職域接種が進行していた。この職域接種が立案された時点では、ワクチンの数には余裕があり、人手不足で接種が進まない状況であった。接種速度を加速するために、大規模法人が自ら雇用している医療従事者や、既に把握している個人情報、接種会場として使える大規模建築物といったリソースを積極的に活用するというのが、この施策の主眼であった。社会全体としてワクチンの接種が進めば、感染拡大が抑えられ、結果としてより多くの人々を救い、ウイルスに対する闘いの勝利に近づくというのがその基本理念であった。
 しかし、現在のワクチン不足の状況では、人々の間の不公平感を、より助長、強化する施策として、疑問が呈されることとなった。大組織に所属している人間のみを不当に優遇しているのではないかという批判がされ、実際に、結果としてそのように機能してしまった。

 

 オリンピックには全く興味が無く、見るつもりも全くなかった。その開催の是非をめぐる議論とは関係なく、自分はそもそも余りスポーツ中継に興味が無い人間なのであった。開会式の夜は、同時刻に行われていた麻雀の放送対局の行方をフォローしていた。ツイッターのトレンドをふと見ると、入場行進にはゲーム音楽の有名どころが使われているというではないか! 慌ててパソコンのブラウザを開く。結局、ドローンやピクトグラム、聖火が長嶋茂雄の手を経て、最後に大坂なおみが点火するところまで見てしまった。
 ドラクエからはドラゴンクエストマーチ、ファイナルファンタジーからはメインテーマといった、最も有名どころの曲がチョイスされた一方で、クロノトリガーからは「ロボのテーマ」「カエルのテーマ」が選曲された。選んだ人間のこだわりが感じられた。1990年代の日本製RPG、いわゆるJRPGが好きなのだろうなと思った。カエルのテーマはどこか東洋っぽく、なおかつ勇壮であり、日本で行われるオリンピックに実にふさわしい。似たような性格を持つ曲として、ファイナルファンタジーシリーズからも「カイエンのテーマ」(6)ぐらい使っても良かったのではと、一人で勝手なことを思った。

 

 

 国立駅構内の燕の巣は、七月末の時点で、四巣を数えた。去年よりも繁殖は盛んであった。
 生活のために続けざるを得ない日々の労働という現実と、メディアから摂取する消費物としての、感染拡大や自然災害や海外の武力衝突のニュース。その間にあって、燕の雛達の生命力に溢れた姿を眺め、その鳴き声を聴く時だけが、本当に価値のある時間なのかもしれなかった。大量生産、大量消費されるマスコミからの情報ではない、自分自身の知覚によって得られる、真に貴重な経験であった。彼らと過ごす時間には、一回性、固有性、個別性があった。精一杯気取って衒学的な術語を用いるのならば、そこにはアウラがあった。自分以外の他者の存在、自分と世界との接続を、最も強く実感できた。 親鳥がホバリングをしながら、大きく開いた雛の口に餌を突っ込む給餌の瞬間を、今年も撮影しようと試みたが、上手くいかなかった。毎年挑戦しては、失敗している。躍動そのものを視覚で捕らえることは、極めて難しい。

 
 八月になり、オリンピックは何時の間にか終わっていた。開会式以降、一秒も見なかった。

 八月九日、早朝出勤時、駅近くのコンビニ前で、若者達が喧嘩をしているのを見かけた。マスクはしていなかった。

 デルタ株が猛威を振るっていた。感染者、重態者、そして死者の数が増え続け、医療体制は限界に近づいていた。医療従事者は最大限の努力をしていたが、コロナ以外の病気や怪我の治療にも、支障をきたす状況となった。受け入れられる病床が無く、救急車が立ち往生するケースが報じられた。必要な治療を受けられず、自宅で死ぬ者も現れはじめた。

 人々が渇望するワクチンは未だ、充分に供給されず、日本中が焦燥と、憤怒と、死の気配に包まれた。

 職場の接客部門は再び閉じられ、電話番と清掃が主な業務となった。


 

 そのような状況下で、フジロックフェスは開催を強行した。批判の声が多数上がったにもかかわらず、有観客であった。主催者側の私的な金儲けのために、医療従事者の負担を更に増大させ、苦しめる選択であった。ウイルスと人類との闘いにおいて、明確にウイルスの側に立ち、アシストしていた。仲間内だけで通用する、陳腐な反権力しぐさ、反体制ポーズの一種にしか思えず、明確に親ウイルスであった。間接的な殺人犯であった。

 日本のロックミュージシャンの歌う愛というのは、新興宗教の教祖やデート商法の勧誘者が用いるそれと同義であり、法人もしくは個人が金儲けのために用いるキャッチコピーに過ぎなかった。異性を都合よくコントロールするための、二連続の母音で構成された一つの単語に過ぎなかった。彼らがどのような歌詞を歌ったとしても、その内容はただ一つのメッセージしか伝えていなかった。「患者や医者の命よりも、自分の金儲けや快楽の方を優先してやるぜ!」

 音楽は人を救わない。社会問題を解決しない。ただ、その場にいる演奏者と観客が、一体感を感じて、その瞬間だけ気持ち良くなるだけだ。

 

 八月も半ばを過ぎると、国立駅の燕の巣には、誰もいなくなった。


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