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【Q2完結】【Q2.小岩井駅から小岩井農場まで歩く】2.小岩井農場まきば園にて

 広大な駐車場は既にその半ばが埋まっている。とにかく腹が減っている。速やかに入場券を買い、三角屋根のゲートをくぐって入場する。直進すると「まきばのラーメン」という看板が視界に入ってくる。即座に並ぶ。


 使い捨て容器に入ったラーメンをすすり、ビールを飲む。白いスープの口当たりが良く食べやすい。腹が減っているので、何を食べても旨い。ビールはキリン一番搾りだ。麦芽百パーセント。


 乗馬体験コーナーと、トロ馬車乗車コーナーを見つける。いずれも、券売機でチケットを買う必要がある。既にすごい行列が出来ている。子供のために並ぶ親ばかりだ。断念する。


 来る日を一日間違えた。昨日だったら平日なので、まだ空いていただろう。また、平日には、朝九時台のバスが無い。今朝の徒歩旅行も、個人的な自己鍛錬に留まらず、公共交通機関のみを用いた最速達ルートの探求という、より有意義な意味を持つ営為となっていたはずだ。
 トロ馬車は、馬が牽引するトロッコだ。かつては、小岩井駅と牧場の間を結んでいたという。一応、軌道上を走行する交通システムだが、鉄オタ達のフォローの対象とされているかどうかは知らない。
 骨太で頑丈そうな馬に曳かれ、トロ馬車は軌道上を進む。徐行運転だ。そのレールの幅、軌間については、どの掲示物にも特に説明は無かったように思う。
 撮影していると、途中で立ち止まって糞を落とし始める。長閑だ。
 やがて再び歩き始める。岩手山を背景にゆっくりとカーブを曲がりコースを一周する。


 
 十一時頃から、羊毛刈りの実演が始まる。係員が軽妙なトークを交えながら、手際良く羊を押さえつけて刈っていく。口も手も器用に良く動く。上手いものだ。プロだ。家畜化された羊は、野生動物と違って、自然に毛が生え変わらないので、人間の手で刈ってやる必要がある、そうしないと最後には毛の重さで身動きが取れなくなり、死んでしまうのだとのことだった。
 毛を刈り終えた後は、伸びた蹄を切る。削蹄だ。この作業も手慣れた手つきで済ませる。


 丸裸にされ、随分と小さくなった羊が、牧場の奥の方へ去っていく。刈り取られたばかりの羊毛に触ってみてくださいと係員が呼びかけると、見物人がその周囲に集まる。自分も参加する。脂っぽい。肌に良い成分が含まれていて、その効果で羊飼いの手は綺麗なのだという。



 ラーメン屋の行列は、さっきとは比較にならないほど長く伸びている。真っ先に飯を喰っておいて正解だった。
 
 午後からは、文化財指定を受けた、古い時代の畜舎群を見に行く。現在自分が居る、まきば園のメインの敷地とは別の場所、幹線道路を隔てた反対側にある。係員の誘導に従い、通用口のような狭いゲートから、一旦このエリアを出る。入場券を買った際に一緒に渡された、QRコードのチケットをかざし、文化財エリアに再入場する。


 その畜舎群は今でも現役で使用されている。覗く。牛たちが寛いでいる。畜舎内ではファンが回っている。牛糞の臭いを存分に浴びる。畜産業のリアルが鼻腔を貫く。


 資料館を見学する。小岩井農場の名の由来は、創設者の頭文字を一文字ずつ取ったものだ。「岩」の字は、岩崎弥之助(岩崎弥太郎の実弟)の頭文字だという。つまり法人としての小岩井農場は、三菱グループの一員で、株主には同グループの企業が名を連ねている。朝飲んだビールは確かにキリンだった。


 宮澤賢治に関しても、当然コーナーが設けられ、解説されている。
 敷地内には、賢治の詩碑がある。『春と修羅』に収録された、小岩井農場の散文詩の一節が刻まれている。 


 まきば園側に戻る。凄い人だ。去年の今日、自分は京都の清水寺を、同じく徒歩で訪れたことを思い出した。その時と同じだ。既視感。スマホの電波が繋がらない。
 ソフトクリーム売り場はどこも長蛇の列だ。諦める。飲食店にも、土産物屋にも、並ぶ気がおきない。屋外の売店でかろうじて南部せんべいの小袋を買い、小腹を満たす。


 牧場に来たからには、ソフトクリームは無理でも、せめて牛乳ぐらいは飲んでおきたい。瓶入りの牛乳を買う。懐かしい佇まい。爪を立ててキャップを外す。喉が渇いていたので、思わず一気飲みをしてしまい、味は良く分からなかった。腹がパンパンになる。そう言えば、自分は余り牛乳が好きではない。


 人混みに疲れ、敷地の片隅の、蒸気機関車コーナーに逃れる。閑散としている。その解説文などをしばし読む。昭和50年まで、北海道を走っていたという。この蒸気機関車が、役目を終えた後、この場所で保存されているのも、やはり、かなり、賢治の影響力だろうと思う。


 本当に賢治は偉大だ。教師として、アマチュアミュージシャンとして、エスペラント語の話者として、化学肥料のセールスマンとしては、どのようであったかは分からないが、真に偉大なコピーライターだ。賢治の残した言語表現は百年の時を超え、岩手の地に存在する様々な人工物や自然物の価値を、今も刷新し続ける。「銀河鉄道」という天才的な造語。ブルカニロ博士の力によってスクラップの運命を免れた蒸気機関車が、イーハトーブの地にはもう何台かあるのだろうと思う。


 
 トラクターに牽引された客車に乗って、牧場を一周するツアーが出発していく。ただ見送る。これも、朝の時点でほぼ満員だった。


 帰りのバスの列にだけは、並ばなければならない。果たしてこれだけの人間が乗り切れるのか、周囲の人間が心配している。バスの列から離脱し、スマホでタクシーを呼ぶ者もいるが、すぐには捕まらないようだ。
 バスは時刻通り、二台体制で来る。それは良いのだが、バス停の行列を整理する係員などは特に居ないので、人々は皆勝手に、バスの入口に雪崩れ込む。秩序もマナーも順番も無く、前後二台に並んだバスに、早い者勝ちで乗った者が座れるという結果になってしまう。


 当然ながら自分は座れない。立つ。途中から、今朝歩いてきた道を外れて、別ルートにて小岩井駅まで向かう。道が悪いのか、運転が荒いのか、バスは良く揺れ、跳ねる。
 小岩井駅でかなりの人が降りたので、座ることが出来る。駅ロータリーを回って出ていく時に、後続のバスが入っていくのが見える。
 盛岡の中心部に向かって進む。昨日訪れた、イオンモール盛岡の近くの国道を通る。
 盛岡駅東口に着く。このバスにはSuicaが導入されているので、支払いはスムーズだ。鉄道では交通系ICカードが使用できない一方で、駅構内の売店やバス路線ではSuicaが使える。バスのワンマン運転はスムーズである一方で、ローカル線の運賃精算には手間がかかり、同乗する車掌はしばしば煩瑣な小銭の処理を強いられる。地方都市を旅するたびに、幾度となく直面させられる現実である。
 まだ明るい。今日の宿は決まっていない。とりあえず東に進んで北上川を渡り、市の中心部や城跡公園を散歩しようと思う。

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