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【Q6.北海道の日本海岸を巡る】1.ノシャップ岬から最北の日本海へ(稚内半島先端到達)

 起床。チェックアウト。稚内駅に向けて歩く。途中、交差点の上空を盛んに飛び回るウミネコ達の姿を撮影する。
 レンタサイクルが営業を開始するのは、9時30分だ。それまで駅周辺をブラブラして待つ。
 道の駅の駐車場にはキャンピングカーがとにかく多い。ネットで調べた限り、稚内周辺の宿泊施設はほとんど空きが無く、残っているのは高級ホテルのスイートルームのような、とにかく高額な部屋ばかりであった。おそらく、インバウンドと円安がもたらす圧倒的な盛況下にある今の北海道は、どこも似たような状況なのだろう。

 緊急避難的に廉価な宿泊施設として使える、快活クラブ等のネカフェや各カラオケボックスが、複数ある大都市は、道内では限られている。移動費・宿泊費の節約、あるいは自然災害による鉄道の遅延、運休等の事態を考慮すれば、キャンピングカーで旅して回るのは、自由かつ合理的な選択肢なのかもしれなかった。
 
 レンタサイクルの受付には、昨日のイケメンのお兄さんが居た。聞くと、ノシャップ岬まで自転車で片道二〇分程度とのことだ。ノシャップ岬は、日本最北端ではないが、ここ稚内半島の最先端であり、行っておきたい。
 二時間二〇〇〇円のコースを選ぶ。車種も色々選べるが、自分としては前カゴが付いているものが良い。パナソニックの、ママチャリ型の電動アシストサイクルにする。自宅で自分が使っている電チャリもパナソニック製なのだが、良く似ている。

 この時のために、自転車ハンドルに取り付けるタイプのカメラマウントを用意している。池袋のビックカメラで買ったものだ。早速取り付ける。取り付けは思ったより難しく、思ったより安定しない。
 稚内駅のシンボルである、黄色く塗装された最北の車止めを起点として出発! 高級ホテル「サフィールホテル稚内」の脇を駆け抜け、海沿いの道を進む。視界には漁船と漁網。低空飛行で滑空するウミネコ達と並走するシーンが幾度もある。爽快なこと、この上ない。映像作品の主役になった気分になる。


 海沿いの緑地で、一頭の鹿がのんびりと草をはんでいる。エゾシカだ。中年女性が接写している。人を恐れる様子が全く無い。奈良市街地のような風景だが、北海道なので当然エゾシカである。角は無い。自分もまた、そのエゾシカに近づき撮影を行う。


 ノシャップ岬に着く。これで、稚内半島の最北端に到達した。自転車に施錠し、展望スペースを歩く。鍵の形状は、本当に自分のチャリと同じだ。イルカのオブジェを撮影し、周囲を一通り見て回る。昨日の宗谷岬でも、今日のノシャップ岬でも、樺太島を見ることは出来ない。



 周囲には飲食店と土産物屋がある。飲食店は当然のことながら、海産物で誘惑を仕掛けてくる。だが今は少しでも前進したい。とにかく時間が惜しい。それに自転車を漕いでいるので、海鮮丼を喰いながら日本酒を一杯という訳にもいかない。
 土産物屋でスタンプを押し、記念カードを買う。最北の自治体らしく、「すみっこぐらし」とコラボしたスタンプラリーが現在開催されている。


 サイクリングを再開する。道なりに岬を回り込み、自転車は進行方向を徐々に南に変える。右手に見える海は、日本海となっている。それが、このサイクリングの目的だ。「日本最北の日本海」を見るために、ここまで走ってきたのだ。
 道路沿いの建造物は減り、次第に寂しい景観となっていく。時に廃屋、時に廃ラブホテルが見られる。左手、陸側には稚内半島の大部分を占める丘陵地帯。右手の日本海の向こうには、晴れていれば利尻富士が見えるはずなのだが、今日も見えない。今回の旅の全行程を通じて、樺太島と利尻富士の姿は、一回も見ることが出来なかった。
 無心にただひたすら走る。どこまで走るのか、自分でも良く分かっていない。特に決めてもいない。ただ、いつまでも走り続ける訳にもいかない。時間の問題があるし、電動自転車のバッテリーには限りがある。天候も何だか不安だ。
 海側に聳える、一基の風力発電機を見つける。孤立して、一人ポツンと佇んでいる。あれで良い。あれにしよう。横道に入り、砂利道を走り、その足元に辿り着く。
 「一富士本店風力発電所3号機 C99110A01 北海道稚内市富士見四丁目1180番1」ここが、このサイクリングのゴールだ。僕だけの場所、僕のパワースポットだ。これで良い。上出来だと思う。


 八月とは言え、稚内の風は冷たい。冷風を受け、風車のブレードは勢い良く回る。





 
 来た道をそのまま引き返す。ノシャップ岬を回り込んで暫く進むと、サフィールホテル稚内が見えてくる。この地域一帯で、もっとも高い建築物であり、無論私の身分では、高過ぎて泊まることはできない。
 当たり前のことだが、どんな観光地においても、駅前一等地には、その土地において最も名の通った、ナンバーワンの宿泊施設が盤踞している。富山県、立山の室堂なら、ホテル立山がそれに該当する。

 帰路、北防波堤ドームに寄る。昔、稚内と樺太を結ぶ鉄道連絡船が出港していた場所だ。かつてはここまでレールが敷かれて鉄道車両が乗入れ、人々はこの場所で連絡船に乗り換えていたという。古代ギリシャのパルテノン神殿のような円柱に支えられた壮麗なドームが、宗谷海峡から吹き付ける厳しい風雪から人々を守っていたのだという。


 ここもまた、多くのユーチューバーによって、既に紹介されまくっているスポットだ。マンガ『ゴールデンカムイ』において杉本、アシリパ、鯉戸、月島が樺太行きの船に乗ったのは、この場所であっただろうか? 宮澤賢治が稚泊連絡船に乗ったのも、この場所だろうか?


 今日、この時間は、誰も居ない。自転車でそのまま乗り入れ、最奥まで一気にそのまま駆けてみる。愉快だ。
 稚内と、樺太側の港町である大泊の間に航路が拓かれたのは、一九二三年(大正一二年)のことだ。その当時、南樺太は日本の領土であった。ここ稚内は「国境の街」ではなく、連絡船の街であったのだ。宗谷本線が敷設された理由は、樺太との接続のためでもある。


 二〇二三年は、稚泊航路開通から丁度百周年となる。今回稚内に行く旅行企画を立案したのも、そのことが影響している。しかしながら、その百周年を取り上げて祝うような雰囲気は、宗谷本線沿線のどこにも、稚内の街のどこにも無く、イベントらしきものも特に見かけない。現在のロシア、過去のソ連の悪行を見れば、仕方のないことであろう。
 現在、稚内・樺太間の連絡船は、運休中だ。再開の見込みは立っていない。
 看板類の表記にしばしばキリル文字が併記されていることが、国境の街であることを僅かに感じさせる。
 
 防波堤ドーム前の広場を、自転車でしばらく走り回る。返却した後、駅近くのオレンジの飲食店ビルに入る。駅前一等地なのに、店内は妙に薄暗く、客も余り入っていない。昨日教えられた稚内名物の一つ、たこしゃぶがメニューにあったので、それにする。薄くスライスされたタコを熱湯に浸すと、そよぎながら収縮していく様子が愉快だ。日本酒を傾けながら食べる。満足だ。

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