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特に意味なんてないんです


僕は今年22歳になるとしになる大学生だ。そろそろ将来設計など多くを見据えて行動しなければならない歳だという社会的な重圧は勝手に感じている。

そんな時に、生きる意味だとか哲学が頭を過ぎるがそんなこと考えたところで苦しくなるのは理解しているが、自身が理解とは別のところで悩んでしまう面倒な性格であることは認知しているつもりだ。


しかし、人生には特に意味はなくて所謂ゲームみたいなものという言葉が身の回りでよく聞くようになった。これは、必然ではなく自身がそれを求めているから身の回りにあったのかもしれない。

しかし、若林正恭さんの著書「社会人大学人見知り学科卒業見込み」で人生には意味がなくて、折角なら楽しんだ方が得だよねという考えがあった。

僕は、この考えや言葉が自身の体の中の中心に染み込んで行くのを実感していた。自身が幸せかどうかだとか、不幸だとかは飽くまで自己決定の範囲でしか測れないものだ。

そういう自己決定を前向きに検討できる人は、社会的、一般的な幸福論からは外れたところで生きていけると思う。

幸せだと信じて理想を追い求めるのも活力として有意に働くことは間違いないが、どの環境でも変わらない楽しむ技術習得の方が僕には合ってるのかもしれない。

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