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深夜の利尻山、日帰り宮之浦岳、降雪の比叡山

noteを書き始めた理由は2つあるが、そのうちの1つが記憶の外付けHDDであった。自分が10年後見返した際に、できる限り詳細な事を文章で残しておきたく、2021年に登って印象的だった山の話を記録した。自己満足ではあるがせっかくなので公開します。その点この後読み進める方におかれましてはご承知おきください。

2021年、百名山をやりはじめる

ここ2年は多くの時間を山で過ごしてきた。

山をやり始めたきっかけは偶然以外の何物でもない。2020年4月の京都への引越し及び緊急事態宣言の発令によりどこにも行けなかった際に唯一行けた場所が、登山口が家から徒歩10分以内にある比叡山であり、京都に友人もほぼおらず気分転換手段として山に登るしかなかったため消去法的に与えられた趣味であった。

ソロ登山をする中で、普段の家や街でのインターネット常時接続環境から思考ないしは場所を離れた状態で、思考の旅を下山するまで長時間かけてできる行為が素晴らしい事に早い段階で気づけた事は僥倖だった。散歩ではスマホを見てしまえるし、ジョギングでは丸一日など長時間続けられない。登山の後は頭がすっきりし思考が整理され日常生活の生産性向上にも大きく寄与しているし、日常に留まらない大局的な事を考える時間を勝手に確保でき、精神衛生上心地がいい。さらに言えば、僕はほぼ一人で山登りを行うが、たまに一緒に登る友人知人の皆様は、経営者なりサハラ砂漠マラソン経験者なり、金銭的ないしは時間的な自由を謳歌している人が多く、話がとても面白く学びが多い。

加えて、登山は単位時間当たりの消費カロリーが大変多い。僕は美味しいお酒とご飯を生きがいにしている一方で、ここ数年は加齢により代謝を生み出さない限りは、お酒やご飯をセーブしない際には罪悪感が付きまとってしまっていた。そんな状況下、登山は非常に適切な趣味であると気づいた。

入り口は偶然だったが、意義づけをするには十分すぎるくらいの理由ができた。

  • 都道府県を跨ぐ移動の制約&家の近くに山がある(外圧)

  • 短期的思考から切り替えでき、長時間思考できる(内発的動機)

  • 好きな友人と、その時したい話を延々とできる(内発的動機)

  • ご飯やお酒を我慢したくない≒消費カロリー増やしたい(内発的動機)

それらの理由で2020年は淡々と比叡山に住んでいた。そして2021年何か変化を生みたく、友人からの後押しもあり、トレラン大会に初エントリーをした。初レースとなる21年5月の比叡山50kmレースは延期(加えて言えば、12月に延期となったが12月のレースも大会2日前に積雪と低温により中止)したため、実際の初レースは21年10月に開催された京都一周トレイルラン二ング59km(制限時間12時間)となった。京都一周トレイル完走のために高い山で鍛錬を積もう、という事で9月末に利尻山(1,721m/百名山の#1)を登った。20年9月に北海道を周遊した際に礼文島から見た利尻富士が超絶に格好良く、登りたいという気持ちを1年越しに叶えられる!と思ってチケットをとった。

それまでは、山は比叡山で十分だと思っていた。コストもかからないし。
しかし百名山#1の利尻山に登ったからには、オセロの両隅ではないが#100の屋久島の宮之浦岳(1,936m)を行けば制覇した気になれる(勘違い)し、辺境から攻めていく方が性に合っている、という形で百名山制覇を開始していた。この2つの山はとても印象的だったので記録をする。加えて、21年の登山はじめ、登山おさめ共に過ごした降雪の比叡山についても記録をする。
※百名山制覇を始めてしまった以上、経済的合理性ではなく、「百名山を登る」という謎の意志で、経済的合理性を自ら捨て去ってしまったこともここに付記しておく。

なお、百名山をnoteに全部記していくつもりはない。今年は10月中旬に阿蘇山に登頂(なお4日後に噴火し今は登れず)、11月中旬の誕生日には韓国岳、宮之浦岳の翌々日には開聞岳登山をした。甲乙つけがたいほどこちらの登山も良かったので写真は残すが文章は割愛する。

深夜の利尻山

寝ぼけて南米のフライトを確保してしまうような人間なので、利尻山の事は利尻島に到着してから調べよう、という気持ちで軽率にフライトを確保。とりあえず4日程度滞在して、ワーケーションしつつ利尻山に登ろうと考えていた。リモートワーク前提の仕事をしている一方で、打ち合わせは昼間ずっと入っている。一応定例だけでも月~金まで週5で埋まっているあたり、僕は顧客の要望第一で動く、山伏の皮を被った善良な小市民である。

民宿の壁にはGtoG達成者の名前や日付、出発&到着時刻が書かれていた。なお、GtoGとはGround to Groundの略で、港に位置する民宿の目の前の水面=標高0m地点に靴の裏をタッチしてから1,721mの頂上まで自力で登り、再度水面にタッチするという企画であり、達成者の記録を見ると平均所要時間は10時間。朝9時から打ち合わせが続いていた僕は頭を抱えたが背に腹は変えられない。「やるしかない」という気持ちに頭を切り替え、エクストリーム出社チャレンジを決行した。

最初から「苦行」だった。

深夜2時に起きて2時半出発。麓のキャンプ場まで40分程度小走りしてから山に入る。「山の案内ブログ」ではないから工程は割愛するが、登山日はあいにくの雨で景色が見えない。一本道であるため登りやすいが、朝6時前に登頂し、下りで7合目で一人すれ違うまで約4時間誰とも会わずに何も考えずに山を登った。迷いや熊と会う恐れは一切無かったが、ずっと登りで0mから1,721mをやるとはこう言うことかと思い知らされた。頂上付近の(標高で)200mはガレ場であり、今は登れるが崩れやすい土地となっており将来に亘り登れるかどうか本当に謎な道が続く。距離としては往復20kmではあったが初心者の僕には相当堪えたが、下りの10kmは1時間半で一気に駆け降り、それはスノボやスキーの直滑降と思うくらい気持ちよかった。脚は日々の鍛錬によりまだ動いていた(足を痛めると下りこそ力が出ない事は日々経験しているのだ)ため、下りは全力でいった。結果として往復5時間2分(次なる野望はもちろん2分を縮める事だ)でGtoGを終えて7時半には港及び民宿に到着、9時からの打ち合わせに余裕を持って間に合うことができた。

8合目あたりで引き返したい、という心の声が聞こえたが、どうにか自分を奮い立たせた。あの時自分の弱い心よりも意志を尊重してあげた結果、その後に来たる百名山の旅が始まったとなると、あの時安きに流れる心ではなく意志を選んでよかったなと、つくづく思う。

利尻山全貌。頂上が急峻
8合目から麓をのぞむ
びしょ濡れ利尻山頂

日帰りの宮之浦岳

34歳の誕生日を鹿児島市でウィスキーを飲みながら過ごし、霧島神宮参拝および韓国岳の登頂を終えてなお時間があったためその足で船に乗り屋久島へ向かった。つまり誕生日の夜は屋久島で過ごせた。民宿のおじさんに案内されたその辺の居酒屋の料理は大変美味しく頂いた。感謝の気持ちに加え、宮之浦岳に日帰りで往復するにはどんなルートを辿ればいいのか?と聞いたら「そんなルートは聞いたことがない。2〜3日かけて行くのが普通」と言われた。僕は頭を抱えたが、背に腹は変えられない。誕生日休暇という事で無理矢理休みを取ったのが利尻山からの学びではあるが、日帰りで行くという無理を冒して宮之浦岳チャレンジを決行した。

最初から「苦行」だった。

朝4時50分に宮之浦港近くにバスが到着し、安房を経由して屋久杉自然館まで向かう。さらに30分かけて荒川登山口まで向かって6時20分から登山開始。バスの時間を考慮すると登山口までの帰着時間は15時。約8時間半で、多くの人(実際その日は僕以外全員だった)がトロッコの道8km+トレイル3kmで縄文杉に辿り着き、また戻り合計22kmの山道をやる動きをしている訳だが、僕が目指すは宮之浦岳山頂なので往復で+11km/計33kmの山道をやらなければならない。覚悟を決め、歩いて散策している先行者たちを僕一人だけが走って抜かしていった。

縄文杉を超えてからが凄かった。誰も登山客がおらず5時間ほどずっと一人。屋久鹿が屋久杉の麓にだいたいにおいて隠れており、猿の大群が道端に溢れている。しかも猿と鹿は仲良く戯れている。そこには天敵がいないのだろう、警戒心のとても強い鹿ですら僕の近くに寄ってくる。さらに登り森林限界を越えると、ゴロゴロした数十メートル級の岩が出てきて、人類が踏み入れるには烏滸がましいと思えるような光景が広がる。次々と、山頂と思っていた頂の奥に新たに山頂と思しき山が出てきて、横には見たことないほど急峻な山々が広がる。ずぶ濡れで、あいにくスマホも壊れ時間もわからない。道もわからないので不安しかないが、こんな天上界のような場所に身を置けること自体僥倖と捉え、山頂まで行った。そしてフルサイズ一眼で写真を撮影し(雨の中無理矢理駆使したため、そのあとすごいレベルでセンサーにゴミが入りクリーニングする事となった)、時間もわからない中で一気に下った。下りでは誰より早く走って行った身分であったため、皆んなに「どこまで行ったのか?」と尋ねられ、山頂と言って仰天された。僕は縄文杉を超えた後の天上界の景色については触れず、屋久島の秘宝の"ご開帳"の光景は一人で愉しんだ。結果として、屋久島の常識である「宮之浦岳は連泊必須」という既成概念を覆せた。

縄文杉を過ぎると出てくるオレンジ色の木
本懐のご開帳
猿と鹿のお遊戯
定番のウィルソン株

降雪の比叡山

21年の初登山は1月3日だった。大晦日と元日を諏訪で過ごし、2日を東京で過ごして夜行バスで3日の朝に降雪の京都に戻りそのまま比叡山に登った。そして年末は12月17日の東京出張の翌日に大雪の京都に登るという年を通じて慌ただしい生活をしていたのだなあと振り返る。

比叡山は前述の2山と異なり1,000mもない、848mの低山だ。しかし普段雪山登山経験もない、装備も軍手に杏仁豆腐のモコモコパジャマのような薄手の防寒具だけだ。でも友人たちが待っている為、そのチャレンジを決行する運びとなった。

最初から「苦行」だった。

雪の比叡山は年始も年末も友人(たち)と登ったが、一人ではそもそも寒い事や下りが滑るリスクがある事でもあり、一人ならば確実にチャレンジしていなかった。実際に、寒さで正常に機能しなくなった手や雪が入りぐちゃぐちゃになって不快感しかない足と一日過ごして大変だった。しかも年末の登山に関しては登って一旦坂本側へ下って再度登るという地獄のコースをしており、一人では確実に心が折れていた。しかしながら山頂で見た光景が大変に、それはもう普段登ってる山なのに改めて感動するほどに、普段絶対に見ることのないような素晴らしい樹氷が一面に連なっており、登ってよかったと純粋に思わせるものであった。

樹氷を真下から
いろんな木の樹氷
比叡山山頂で見た樹氷

さいごに

まとめると、全ての印象的な登山は「苦行」でしかなかった。元々苦しみを求めて山に入るのかといえば、そんな訳はないし僕はドMではない。しかしながら、何かしらの制約下において我々は生きている。時間は好き放題コントロールできないし、天候もまたそうである。結果として最初から苦行とならざるを得なかった。しかしながら登頂後の結果を言えばどの行程も大満足となるものばかりだった。

2年前に南極を訪問し、非日常≒外的要因に刺激を求めるのではなく、日常≒内発的動機から発見を見出すような生き方をしようと決めた。僕の選択が正しいか正しくないかなど正解はなく、ただ正しくする意志を持つことを決めた。今はコントロールできないものや理不尽なもの含めて楽しめている。一人でしかいけない行程も、逆に友人がいなければ踏ん切りがつかない行程もまたあった。2022年も多分一筋縄ではいかないが、苦行を受け入れ、結果として楽しみつつ、山をやって生きていこうと思う。


最後に文章では割愛した山々の写真を。

韓国岳からみる光景
開門岳からみる枕崎方面
韓国岳からみる高千穂峰
噴火4日前の阿蘇山
74kmの六甲山縦走をした際の最高到達点

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