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note界の狂人とワイン会

アイデアだけでは意味がない

 何か面白いアイデアを考える人が10人いたとする。そしてそれを実行に至るまで行う人はせいぜい1~2人だろう。それくらい、面白いアイデアを考えるという事と、それを実行するという事の間には隔たりがあるし、アイデアだけでは意味がないと言われる所以だったりする。

人にボリュームをゆだねる狂気のアイデア

 そして面白いアイデアのボリュームを人に委ねる人がいる。簡単に言えばこれは狂気の沙汰である。よくあるのが「RT×1時間勉強します」とか「いいねの数だけ腹筋します」のようなものだが、これに何百という反応が来たら彼らはどうするのだろうか?と心配することがあるし、大概の場合はそれらは杞憂に終わる。
 第一に、何故ならば彼らもおバカではないのである程度の想定ができているから、そんな無茶な数にならないような見立てをし、結果としてそれよりもしょぼい数で終わる。しょぼい数の実行報告をされたとしてもそのアイデアはすでに面白みを失っている。
 第二に、仮にそのアイデアがバズりすぎた場合、逆に実行されない。実現不可能な領域に到達してしまう場合だ。せっかく面白いアイデアなのに実行されない。
 従って、いずれにせよ面白いアイデアが実行される、という事を他人の反応に合わせることは、狂気の沙汰ではあるが多くの場合、過ぎ去った後には狂気も何も残らない。凪が残るだけだ。
 しかし、仮に①面白いアイデアのボリュームが大幅に増えて②実行までする、ような人がいるならばどうだろう。それが僕が言いたかった「狂気の沙汰」である。そして昨年末、アルゼンチンにいたころ、地球の裏側でその狂気をTwitterで見てしまった。

 CotreeのCOO・CN(Note)Oをされている狂人ひらやまさんだ。(褒めている)「ツイッターの投稿にいいねをした人のnoteを読み感想をいう」という企画を、世の中の人は一年で一番ゆったりしているであろう大みそかに告知し、大みそかと元旦に有象無象330人以上のnoteを読むという事をやり切った狂人だ(そして僕もいいねをしてコメントを貰った人のひとりだ)。noteというものは書くことで他人からフィードバックを期待するものではない。記事は確かに読んでもらえている。しかしコメントなど着くことはかなり少ない。そうなるとコメントを貰えることはとてもうれしい。そこで僕は彼に良いねをしたし、コメントを書いてもらえて喜ぶこととなった。

 さて、世の中に狂気の他人委ねの目標設定をし、それを大みそかと正月にやりきるような変わった人、ひらやまさんにお会いしたいと思いながら、時が過ぎて南極から帰ってきたころ、また狂気の募集をしていた。まじで狂気すぎて驚くことになるのだが、「渾身のnote」を紹介してくれ、というツイッターの狂気の投稿に、少しひらやまさんの体の心配をしながらも僕は南極のnoteのURLを送り、「辺境さんに会いたい。」というレスを貰った。まさに渡りに船だ。

 そして3日前に日本に帰国し、昨晩、念願のオフライン対面を果たした。
 このワイン会自体もTwitterで募集しオーガナイズしているのだから、実行力は引き続き狂気じみている。

ひらやまさんと会って

 Facebookが旧知の友人の連絡ツール(しかもオフィシャルな内容やプライベートな内容に特化している)としたら、Twitterやnoteはその性質上、その人の思考が表出しやすいツールである。従って、この一か月間お互いフォローをしnoteやTwitterを読む関係性になっていると大体どのような思考をしている方なのかよくわかるような気がする。あるいは一方的に僕がそう思っているのかもしれないが、少なくとも僕にとってはひらやまさんとの対面は、どこか旧知の友人と会う感覚に近いものを感じていた。

 本当はもっと適切なタイミングで、個人的に、カフェラテでも飲みながら、一時間くらいゆっくり、あるいはそのようなことを何度も重ねて会ったほうがいいのかもしれなかった。しかし僕もこの後どこにいるのかも消えてしまうかも分からない身として、善は急げという事で彼主催のワイン会に参加した。そしてさすがに話すには時間が少なすぎた。だから、ここでは平山さんへのラブコールはこれくらいにして締めくくるとして、昨日のワイン会で僕が持ち帰ったトリビアの話をしようと思います。

講師はヤマシタさん。ワインは計5本。うち2本は黒ワインさん提供。頂いたワインはどれも美味しく、ヤマシタさんの説明はそれを何十回何百回としてきたことが一瞬で分かるくらい慣れていて、明快で、丁寧で、すべての言葉が発見に満ちていた。そして5本のワインは、どれももれなく美味しかったし、肝臓があと3つあればいいと少し後悔するほどだった。特に最後にのんだカリフォルニアのワインは余韻が、バラの花の香りを身にまとっているような多幸感に包まれたような感覚に陥り、僕の知っているワインの世界をもう一次元拡張させてもらえたような体験を得ることができて満足をした。

ワインの飲む際のフレーズ。

味わいを触れる際には「甘み、酸味、渋み」。
色を見て何か言うならば「淡い、濃い」。
匂いについて触れるならば「香り(飲む前)、余韻(飲んだ後)」。
詩的に評価するなら、人や筋肉に例えるなど(マッチョ、しなやか、など)

南アやチリのワインがコスパ良し。

 ワインの値段を決定する大きな要因は、生産者と品種だという。そこに関税や冷蔵配送などの輸送コストが上乗せされて小売価格となる。生産者は機械でブドウを収穫することもあれば、手摘みで収穫することもある。手摘みでの収穫、かつナイトハーベスト(早朝での収穫。高温によるブドウの劣化が起こらない)が理想とされるが、それは手作業・早朝労働を意味するため人件費が高い国では高い人件費がそのまま価格に転嫁される。他方、人件費が安い国では価格が抑えられる。

店でワインボトルを開けることにメリットもある。

 店でボトルを開ける際の良い点は、メニューにあったワインをソムリエが選んでくれること。温度管理やグラスがしっかりしていること。そして万が一(大体~5%程度の頻度で起こる)コルク汚染(ブショネという)が起きており、雑巾のようなにおいが発生してしまった場合でも、良心的な店やソムリエであればこちらが指摘をすれば店の負担で変えてくれる。それは家で空けた場合はそのまま料理酒行きで、かつ、一本だけ買ったワインで高価で大事な日に満を持して開けるようなワインであれば悲惨そのものだろう。そのような点で店でボトルを開けるには一定程度のメリットがある。一方で、唯一のデメリットと言えば値段だろう。4,000円で買えるワインならば店では1万円、10,000円のワインならば店では25,000円程度はかかってしまう。

 Twitter経由で参加をした約10名の参加者もたいへん面白い方でして、一晩経った今、ワインの沼、noteの沼、Twitterの沼にはまりそうになりました。そんな素敵な夜でした。ひらやまさん、またカフェしましょう。

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それでは。

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