女の友情
親友が結婚した。
女子校時代からの大大大親友、せいらちゃんは、東京で帽子デザイナーをしている。
自分でデザインして、自分で作って、自分で売っている大変たくましい女である。
東京の乃木坂にある神社で結婚式をするというので、超大喜びで参列させてもらった。
これは、このすばらしい日をわすれないように、わたしの喜びの記録である。
はじめて参列する神前式。
神社の御社殿に座って、新郎新婦の入場を待つ。
都会にありながら、緑が多く、空の広い神社。
まだ気温は高いけれど、風が吹くと秋を感じた。
時おり、木漏れ日が差し込む朝の本殿は、荘厳な雰囲気に包まれていた。
にわかに太鼓が鳴り、遠くから雅楽の音が聴こえてきた。
“花嫁行列”だ。
「参進の儀」と呼ばれる入場で、楽人・斎主・巫女さんに先導された新郎新婦を先頭に、後ろには親族が行列を成して、こちらに向かってくる。
白無垢を着た親友が遠くに見えたとき、その美しさに涙が止まらなかった。
ここに来るまで、着物を着付けてもらっている間に人知れず最速で泣いておいたので、この日2度目に込み上げた嬉し涙だった。
帯でぎゅうぎゅうに締められながら、今日みたいな日がやってきたことが心から嬉しかった。
なぜだか思い出されるのは、ふたりではしゃいで歩いた生徒会室からゴミ捨て場までの道。
あの時代、あの瞬間、世界には最強のわたしたちだけで、生垣にはツツジが咲いていた。
それが、今日!今日!今日!今日は世界の全てがせいらちゃんを祝福する。
ああ、なんてすばらしい日なんだろう。
こうして思い出しても涙が出てしまう。
さて、遠くに見えた親友の花嫁姿は、それほどまでに胸を打つ、一生忘れたくない光景だったが、カメラ撮影は禁止だったので、めいっぱい滲ませてから目に焼き付けた。
言いようがなく、すべてが彼女に似合っていた。
祝詞奏上、三々九度の杯、など、ガチ“儀式”がつづき、「これは縁起のよい舞です」と、面をつけたオレンジ色の人が雅楽にあわせて舞い始めた。
こ、古式ゆかしいとはこのこと………!!!
縁起はよければよい方がいい。
わたしはひどく気に入った。
縁起のよい舞、わたしもできるようになりたいな。
YouTubeでも覚えられるかな。
式のあとの披露宴もすばらしかった。
司会を入れずに、新郎新婦自身による、自己紹介と全ゲスト紹介。
すべてが生きた言葉で、ユーモアも感動もあり、あっという間に時間が過ぎていった。
結婚がすばらしいのではない。
自分で決めて、それが叶うことがすばらしいのだ。
大好きな親友の身に、また一日、そんな日がやってきたことで胸がいっぱいだった。
あなたの選んだすべてが誇らしいよ。
披露宴では、親友のお母さんのたった一言で、女子校仲間のテーブル全員が一斉に「うっ」と泣いてしまったり、新郎の結びのスピーチが本当によくって、それだけで一生分の信頼を置いてしまったりしたのだけど、なんだか何を話してたのかはもうすっかり忘れてしまった。
あんなに感動したのに、まるで思い出せない。
これはわたしの世界の話だけど、ずっと、「言葉」はからっぽで、だから無限の想いを運べるのだと思っている。同じ言葉を使っても、人それぞれに質量がちがうから。
すると、“心は大きく動いたのに、忘れてしまった言葉”というのは、わたしにとって、かえって重大な真実に思えてならない。
いま、どんな言葉もいらないくらい、胸いっぱいの気持ちだけが残っている。
おめでとう〜〜〜〜〜
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