孤独を他人で埋めようとするな

先刻のnoteのなかで述べたことについて、一つ掘り下げたい。

多くの人間は孤独というものを勘違いしている。

その勘違いというのは、「一人でいて、他者との関わりがないから孤独を感じる」というものだ。

確かに、孤独という言葉を辞書で引けば「一人でいてさみしいこと」というふうに出る。

だが、その辞書的な定義にはなんの意味もない。
大勢に囲まれても一見周りと打ち解けたふうでも孤独な人間もいれば、一人でいて世間から隔絶されても全く孤独を感じない人間もいる。

孤独を感じるかどうかは、自分を愛しているかどうかの違いでしかない。

自分を愛している人間はいかなる状況でも孤独など感じようもないし、自分を愛することを知らない人間はたとえ大勢に囲まれても孤独なままだ。

孤独を解消するために友人やパートナーを求めるというのは愚の骨頂である。
自分を愛していない人間は他人を愛して信じることができないため、不信感、猜疑心が孤独感を加速させる。

他人と結びついて長期的に幸せを増幅させるには、自分を愛していて、一人であっても幸せで満足であることが大前提である。

ただし、これはミクロな個人の話であって、マクロな視点で見たときに孤独を他人で埋めようとする動物的心理が人類を発展させてきたことを否定はしない。

ミクロな人間の幸福追求が人類の繁栄と衝突することはよく有ることだ。

動物として人類の発展に貢献するか、インテリとして自己の幸福を追求するのかは、全く自由だ。


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