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「怒り」の根っこ

2023年2月21日(火)
 就寝前のノコ(娘小3)の歯を仕上げ磨きする。
 洗面所の床に正座すると、私の膝にノコが頭をのせる。乳歯と永久歯と、それからグラグラする乳歯が入り混じるノコの口のなかを覗きこんだ。
 歯ブラシを動かしているのに、ノコが喋りはじめる。「磨き終えるまで黙ってて」という言葉を飲み込んで、私は手を止めた。

 学校のお友だちの話だった。

 Sちゃんは、ほかの子との約束は忘れないのに私との約束は忘れちゃうからヤダ
 Rちゃんがまた私の話を聞いてくれなかったからつい強く注意しちゃった。そうしたら「そんなふうだと友だちなくすよ」といわれてムカついたひどくない?
 男子がかげで「ノコは怒りん坊だ」っていってた。男子、嫌い

 ヤダ。
 ムカつく。
 ひどい。
 嫌い。

 学校から帰宅した直後、ノコが子どもの声がすると窓から隣の公園を見た。Yちゃんがいる、という。
 「遊んでくる?」と尋ねたら、「いい、ママと遊ぶ」とめくっていたレースのカーテンを閉めた。
 学校で放課後一緒に遊ぼうとYちゃんを誘ったら「遊べない」といわれたそうだ。先約があったのかもしれないし、帰宅したら予定が変更になり遊びに出られることになったのかもしれない。”かもしれない”をいくら並べても今のノコには慰めにならない感じがした。
 そんな背中をしていたのをふと思い出した。

 ノコが喋るのをやめたので、仕上げ磨きを再開しながら、考える。
 「そっかぁ… それはヤダったし、ムカつくね」
 ひどいねぇ、嫌いになっちゃうねぇ…と続けようとして、ふと思う。
 ノコの言葉をそのまま繰り返すだけでいいのだろうか。
 確かにノコのささくれた心は鎮まるし、ママは私の気持ちを”わかってくれた”気分にはなる。
 なんか、でも、違う、気がする。

 「怒りは二次感情」というフレーズが浮かんだ。どこで読んだ? どこで聞いた?
 怒りは突然生まれる感情ではない。何かその根底にある感情(一次感情)が積み重なって積み重なって発生する二次感情である。ノコはその一次感情が強くて、あっというまに溜まってあふれて、二次感情である「怒り」になってしまうのではないか。もしくは、一次感情の器が小さくて耐えられずすぐにあふれたり、壊れてしまうのではないか。

 仕上げ磨きはおしまい。
 ノコのすべすべな頬と額をくるくると撫でまわしながら、ノコのほの暗い目を見つめて私はいう。
 「Sちゃんがノコさんとの約束を忘れないといいね。忘れられると、大切にされてない気持ちになっちゃうもんね」
 私はノコの怒りの根っこを探す。

 Rちゃんにノコの声が届くといいね。
 友だちなくすよ、なんていわれたら悲しくなるよね。
 その男子、陰口をいうなら、せめて聞こえないところでいってほしいね。ノコさんをもっときちんと見てほしいよね。
 ノコさんだって、怒りたくて怒ってるわけじゃあないのにね。

 ノコが目を見開いた。
 「ノコさんが怒る前にさ、もっと見逃しちゃいけないノコさんの気持ちがあるんじゃないかな。
 Sちゃんのことは、約束を忘れられるのは大切にされてない感じがして、ノコさんは淋しかったんじゃない?
 Rちゃんのことは、ノコさんの話を聞いてくれなくて悲しかったんじゃない? 友だちがいなくなるなんていわれたら、ひとりぼっちになっちゃうかもって不安になるよね。
 男子が怒りん坊だっていっているのを聞いたときは、そう思われていたんだって知って、ショックで傷ついたんじゃない?
 ノコさんの怒る前の気持ちの方がママには大切に見えるよ
 それを言葉にしてお友だちに伝えたら、お友だちもノコさんの気持ちをわかってくれると思うな」

 あぁ、私がすることはノコの言葉尻をなぞるのではなく、ノコの一次感情を読み取って、言語化することなのかもしれない。
 この子はまだ自分の心を見つめることができない。
 心のひだをかきわけて、その根っこを探しにいくことができない。
 そして、言語化するにも語彙がとても足りない。
 ノコにその気持ちを表す言葉を差し出して、あなたのその気持ちは「〇〇よ」と私が名付けてみせないと、いつまでたってもできないんだ。
 わかろうとするって、そういうことかもしれない。

 ただ朝から晩まで怒りをぶつけられると、その余裕が私自身もなくなっちゃうんだなぁ。

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