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母のこと。

#20231005-252

2023年10月5日(木)
 母から見たら、私は「変な子」だった。
 「ほかの人はみんな、あなたみたいに考えないから
 よく母にいわれた。

 学校を卒業し、社会に出、私の世界が少しずつ広がりはじめると、確かに母は母世代の母のような生い立ちの人たちの価値観をよりどころにし、しっかと抱えていた。ただ「普通は」とよく口にするわりに、妙なところそむきたくなるらしく、みいちゃんはあちゃんなものには飛びついてたまるかと踏ん張る。
 幼い頃はそんな母の「普通は」は窮屈だったが、私が大人になるにつれ、相変わらず受け入れないし、同意もしないけれど、「あなたはそうだけどね」と認めてくれるようになった。

 母はいつも習い事をしていた。
 洋裁、和裁、陶芸、刺繍、編み物、料理、和菓子、などなどなど。
 手仕事を中心に年単位で長く習うものもあれば、1日だけのワークショップまで母を見ているとおもしろい。おかげで、家にはさまざまな材料、道具、教本があり、私は通わずとも母の見よう見まねで遊ばせてもらった。
 
 雪国育ちの母は暑さに弱い。
 夏が近付くと、友だちに「秋までさようなら」というほどだ。
 母の76歳の誕生日。お祝いの電話を入れた。
 ようやく暑さが落ち着いてきたので、新しい習い事をはじめるべく、カルチャースクールに行ってきたという。
 「ここ何年か、ずっと気になっていた講座に思い切って申し込んできたんだけどね」
 母が電話の向こうで笑う。
 そんな何年もためらっていたなんて母にしては珍しい。
 「なんの講座?」
 ふふふ、と母が笑う。なかなかいわない。また、ふふふ、と笑う。
 「あのね。エッセイ

 エッセイ!
 月1回の講座で3ヶ月だという。
 窓口でお金を支払い、領収書を書いてもらっている間に母は講座の詳細に目を通した。
 「そうしたらね! 最初の授業までに1000字ほど書いてくるようにってあったの! 1000字よ、1000字。原稿用紙でいったら2枚ちょっとということでしょ」
 そうだね。400字詰めの原稿用紙ならそうなる。たった3回の講座だ。講師としてはまずはどの程度書けるのか把握したいのだろう。
 「書けないから習おうと思うのに、最初から1000字も書けるのなら習う必要なんてないわよ」
 憤慨しているが、その声に笑いが含んでいる。自分でいいながらもおかしいようだ。
 「しかもテーマが『家族』! そんな知らない人に家族のことなんて知られたくないわ」
 まぁ、どこまで自分の心を解きほぐし、さらけだせるのかも文章を書く上では重要だしね。
 まさか娘が毎日ように家族の日常を綴っているなんて母は知らない。
 「だからね、申し訳ないんだけど、お金もお支払いしたんだけど、お断りしちゃったの」
 申し込んだばかりだったこともあり、窓口の女性は快く払い戻してくれたそうだ。電話でも申し込めるので「お待ちしております」のこと。
 母みたいな人こそ、家族のことを深く見つめ、文章にしたら、76歳で新しい自分を発見しちゃいそうなのにもったいない。
 「やってみればいいじゃん」
 ちょっと背を押してみる。
 「ええええ、イーヤーよ!」

 自分のことを普通だと思っている母。
 私が子どもの頃の母は確かにもっと几帳面で融通がきかなかった。年を重ねるにつれ、奔放さが出てきた。講座に申し込んだのに、その場でやめてしまう。カルチャースクール側に立てば、迷惑な客だともいえる。以前の母なら恐縮してしまい、辞退なんてできなかっただろう。それで開き直って通えばいいが、ウンウン唸って課題が書けなくて、しまいにはブツブツ文句をいう気がする。
 身内ゆえのひいき目だろうか。
 固かったからこそ、今の母の自由さがまばゆい。母はそのカルチャースクールの常連なので、秋めいてきたら何かしらの講座を申し込むだろう。もしかしたら、それこそエッセイかもしれない。
 私からしたら、母も十分おもしろいと思うのだが、これは家族ゆえのおかしさなのだろうか。

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