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Currywurstの松

Currywurst 、カレーソーセージのことですが、先日にそれの「松」に出会いました。ビストロ的な、店内に本格的なバーがあって、洒落たオープンカフェになっているお店で、きちんとしたコックさんが作った品でした。

前に書いた記事に出ていた「呑み屋さんでのそれ」はコレ

カレーソーセージ

まさに質より量、調理してくれた人も「呑み屋のマスター」で、調理人ではありません。

しかし、トータルでの満足感では、後に振り返ってみると「同じくらいかな」と思えます。その理由は、Massenerhaltungsgesetz的な、「実用上」同等に思えるからなんです。Massenerhaltungsgesetzの邦訳は「紙を燃やした時、煙や灰を完全に封じ込めて居れば、燃やす前と燃やしたあとでの質量は変わらない」的な小中学校あたりの理科の実験でやった「あの法則」です。

呑み屋さんのカレーソーセージのソースは、ケチャップベースであることは明らかで、ソーセージは焼いてさえありませんでした、まるでカップ焼きそばの様に茹でてあるだけでした。カレー味はふりかかっていたカレー粉に頼り切っていて、ポンメス(フライドポテト)は無論、冷凍庫から取り出したものを高温で揚げていて、大量の食用塩と混ぜてありました。はっきり言って、下品な皿です。

しかし、その下品な皿と松の間の埋めがたい溝、フェイクと本物を見分ける真贋の眼をおおいに曇らせるもの、それはその場での「雰囲気」でした。呑み屋さんの「アットホームで寛いだ会話が楽しめる雰囲気+下品な皿」は、「給仕の専門職にサーブされるお洒落なお店の雰囲気+松的な皿」と限りなく同等(≒) だったということです。

同等と思える、のですから、どっちに転ぶ、次にどちらに行くかはその時になってみないと分かりません。ちなみにどちらも同じ人と行って飲み食いしていますし、楽しい時間を過ごせています。




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