現状を打破できるアイデアを思いつく方法
アイデアにはたいした価値はない。
とよく言われますが、
ただ単に「思いつく」かどうかで勝負が半ば決まってしまう、というケースはけっこう多いです。
たとえば、iモードにJavaが搭載されたとき、「テトリスのように、誰もがやり慣れたシンプルな定番ゲームをiモードJavaで提供する」というアイデアで会社を作って爆速成長、2年後にはJASDAQに株式の店頭公開をしてしまった人がいます。
これ、「誰もがやり慣れたシンプルな定番ゲームを提供する」というアイデアを思いついた瞬間、勝負は半ば決まってるんです。
当時の起業家たちで、「くそ、やられた。なんでこれを思いつかなかったかな」と悔しがってた人はけっこういました。
もちろん、資本を調達し、版権交渉をし、優秀な人材を集め……という部分も難しいですし、それをやりきれるかどうかも運次第なところはありますが、そこは優秀な人が延々と努力し続ければなんとかなることが多い部分ですし、それができる人はいっぱいいます。
実際、優秀な起業家たちが、単にこういうアイデアを思いつかなかったというだけで、自称ベンチャーのただの中小企業になってしまったケースや、廃業してしまったケースはたくさんあります。
私自身、この「思いつく」ことができずに失敗した経験がけっこうあります。
で、後から別の人が同じことをやって、その人が「思いついた」ために上手くやったのを見て、「なんでこれを思いつかなかったかな」と悔しがったわけです。
一方で、運良く思いついたために上手くいった経験もあります。
たとえば「難しめの本を読めないような人でも、認知バイアスを、その重要性も含めて、簡単かつ直感的に理解できる」ように説明する方法を思いつかず、長い間悩んでいたのですが、あるとき、ようやく、「錯覚資産」という概念装置を思いつきました。
これを思いつくことが出来なかったら、錯覚資産本を書くのを途中で断念していた可能性は高いです。
で、あとから別の人が「錯覚資産」という概念装置を思いついて上手く認知バイアスを説明したら、「なんでこれを思いつかなかったかな」と悔しがったことでしょう。
「思いつく」かどうかは運と才能で決まる部分も大きいですが、努力と工夫でなんとかなる部分は、それ以上に大きいです。
なぜなら、「思いつく」確率を飛躍的に上げる方法があるからです。
いいアイデアを思いつきまくる人の多くは無意識のうちにこれをやってますし、ダメなアイデアしか思いつかない人の多くは、ろくにこれをやってません。
それは、「思いついていない」ということを認識することです。
「自分が、今、切実に必要としているアイデアを思いついていない」ということを認識しさえすれば、それを思いつくまで、延々と考え続けるので、思いつく確率は飛躍的に上がります。
一方で、「思いついていない」ことを認識できていない人は、「思いついていない」ためにダメなものを作っていても、それに気がつきません。そのため、ダメなものを作って鳴かず飛ばずになってしまうわけです。
もちろん、「思いついていない」ことを認識できなかったとしても、才能さえあれば思いつきます。しかし、才能がない人の場合、たまたま思いつけば上手くいきますが、そうでないとダメなものを作ってしまいます。つまり、思いつくかどうかは運任せになってしまいます。だから思いつく確率が低いのです。
逆に言うと、「思いついていない」ということを認識できれば、僕のように才能のない人間でも、時間さえかければ、才能のある人間並にとはいかないまでも、「思いつく」確率をかなり大きく上げることができるわけです。
では、どうしたら「思いついていない」ということを認識することができるのでしょうか?
一番簡単なのは、ジレンマを認識することです。
これも、具体例を挙げないと抽象的でよく分からないと思うので、錯覚資産本の例で説明します。
基本的に、読者の抱えている課題を解決する本は、多くの方に読んでいただけます。
「肥満」という課題を解決したい人はダイエット本を読みますし、
「成績を伸ばしたい」という課題を解決したい人は参考書を読みます。
ところが、そういう本は、たいてい既に書かれていますので、今更書く必要はないです。
しかし、読者の課題を解決する本でありながら、一部の人たちにしか読まれていない本もあります。
それは、「それが重要な課題だということを、多くの人が気づいていない課題」を解決する本です。
その一つが、認知バイアスです。
認知バイアスをちゃんと理解している人は、それをちゃんと理解しないと、認知バイアスによって判断を誤ることを知っています。
しかし、認知バイアスをWeb記事などで読んで理解した気になっているだけの人は、認知バイアスによって相変わらず判断を誤ることが多いままですが、そのことに気づいていません。
つまり、認知バイアスをちゃんと理解していない人は、それをちゃんと理解していないことが課題なのですが、それが課題だとは思わないのです。
整理すると、課題には、次の二種類があります。
「認知バイアスをちゃんと理解していない」という課題は、潜在課題なのです。
潜在課題を解決する本は、ジレンマを抱えています。
その課題をすでに解決してしまった人は、その課題を解決する必要性を理解していますが、その本を読む必要はないです。
一方で、その課題を解決できていない人は、それを課題だと思わないので、課題を解決する必要があるとは思わず、なかなかその本を読もうという気にならないのです。
つまり、その本を読む必要のない人だけがその本を読む必要を理解し、その本を読む必要のある人は、その本を読む必要があるとはあまり思わない、というジレンマがあるのです。
このジレンマを解決するには、ものすごく簡潔な説明で、その課題が存在することを、直感的に理解できるようにしないといけません。
ところが、「自分が直感的に正しいと感じること」が間違っていることを直感的に理解しないと、「認知バイアスをちゃんと理解すること」の重要性は、直感的に理解できません。
やってみればわかりますが、「直感が間違っていることを直感的に理解できるようにする」というのは、めちゃくちゃ難しいです。いくら認知バイアスを分かりやすく説明して、頭では分かってもらっても、実際の判断は、認知バイアスで歪められたもののままであることが多いです。
そもそも、認知バイアスの研究でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの著作『ファスト&スロー』自体が、作者の認知バイアスによる誤った判断に基づいて、再現性のない実験を安易に信じて問題のある記述をしているとして研究者たちから批判されています。ミイラ取りがミイラになったわけです。
もちろん、私の本では、再現性のない実験の引用は注意深く避けたつもりですが、それでも、認知バイアスによって誤った記述をしているところがあるでしょう。
この記事自体、私の認知バイアスによって、誤った記述をしているところがあるはずです。しかし、それを私は自覚できていません。私の認知バイアスによって、私の認知が歪んでいるからです。
それぐらい、認知バイアスはやっかいなものなのですが、これを短い文章で直感的に理解できるようにするにはどうすればいいのでしょうか?
しかし、実は、「どうすればいいのでしょうか?」という問いを発した時点で、ゲームは半分勝っているのです。
なぜなら、「この問題を解決する方法を、自分は思いついていない」ということに、気がついたからです。
あとは、それを思いつくまで、延々と自問自答したり、いろんな人に相談しまくるだけです。
つまり、これは「答える価値があるけど、答える価値があると認識するのが難しく、かつ、未だに答えられていない問い」を認識するゲームなのです。
まとめると、書籍の執筆やプロダクト開発の場合、「自分にとっては解決済みの顕在課題だけど、多くに人にとっては未解決の潜在課題」という課題を見つけて、そのジレンマを解決するアイデアを探すとうまくいきやすいということです。
より一般的に言うと、以下のことをやると、いいアイデアを思いつく確率は飛躍的に高まります。
冒頭に挙げた例で説明すると、「iモードにJavaが搭載されたとき、それを利用して、どんなビジネスをするべきか?」という課題も、ジレンマがありました。「iモードJavaでゲームを作れば、やる人はけっこう多いだろう」ということは、当時の起業家たちは理解していました。しかし、メジャーなゲームのiモードJava版は開発力を兼ね備えたゲーム会社自身が作るので、起業家たちが参入する余地はないのではないか、と思われていました。iモードJavaならではの独自ゲームにしても、ゲーム会社の方が上手く作れそうです。そこで、ゲーム以外のiモードJavaアプリのアイデアをいろいろと出すのですが、なかなかいいものがでない。「よくよく考えると、この市場はあまり美味しくないのでは?」とかみなが思っていたところに、「テトリスのように、誰もがやり慣れたシンプルな定番ゲームをiモードJavaで提供する」という、あのアイデアです。そういうシンプルなゲームは、版権を所有している企業自身が開発する必然性はなく、別の会社が版権だけライセンスして貰ってビジネスできるようなものだったのです。しかも、ケータイゲームをニッチタイムにやる人は多いですから、「誰もがやり慣れたシンプルなゲーム」というのは、iモードJavaととても相性が良かったのです。「複数の課題を一気に解決するものが、アイデアである」というアイデアの定義がありますが、その意味で、これは、実にアイデアらしいアイデアだったのです。
あと、誤解のないように補足しますが、ジレンマにはたくさんのバリエーションがあって、同じ手がいつも使えるとは限りません。
たとえば学習効率本(※1)も潜在課題を解決する方法を提供した本ですが、こちらの方は、錯覚資産本と同じ手法は通用しません。
錯覚資産本の場合、そもそも既に「認知バイアス」という概念が既に作られていて、あとは、その重要性を直感的に理解できるようにすればいいだけです。欠けていたのは最後の1マイルだけでした。だから、「錯覚資産」というワンワードを創り出すだけで、それを直感的に理解できるようにすることができました。
しかし、学習効率本の潜在課題は、そもそも、それを言い表す言葉が存在しません。研究者たちが、それの様々な側面を、様々な専門用語を使って言い表そうと試みていますが、一般人から見ると、群盲象をなでる状態で、非常にわかりにくいです。「認知バイアス」みたいな、一つの言葉で表せるような概念ではないのです。最後の1マイルどころか、そもそもまともな道が存在せず、一見しただけでは道なのかどうかもはっきりしない獣道がちらほらと見え隠れするだけなのです。
最初は、「これをわかりやすく説明するのは不可能なので、本にすることはできないんじゃないか」と思っていましたが、ずっと考え続けているうちに、いくつもの論文のデータを突き合せて、それらのデータを矛盾なく説明できるようなシンプルなモデルを作ることで、潜在課題を直感的に理解できるようにする方法を思いつきました。
このモデルは論文のデータから理詰めで作り上げたものですが、数学の難問を解くときに「ひらめき」が必要なように、このモデルを作り上げるのにも、たくさんの「ひらめき」が必要でした。あのときひらめかなければ、あの本は完成することなく、途中で投げ出していたと思います。
このように、一口に「潜在課題」でと言っても、それが潜っている深さによって、そのジレンマを解決するために必要なアイデアの形は異なるのです。
それと、もう一つの重要な注意点があります。
よく「部外者による、ただの思いつきには価値がない」と言われますが、そんなことないです。
アイデアを形にするのは本当に大変な作業で、その苦労をしていない部外者がアイデアだけ出してオイシイところだけ持っていこうとするのは不愉快です。だから「部外者による、ただの思いつきには価値がない」と思いたくなりますが、それは現実ではなく、ただの願望です。そう思ってしまいがちなのは、公正世界誤謬(just-world fallacy)などの認知バイアスで認知が歪んでしまっているからでしょう。
部外者のただの思いつきが、偶然、自分が直面しているジレンマの解決策のヒントになっていることは、よくあります。
たとえば、iモードにJavaが搭載されることになって、それを利用して、どんなビジネスをするべきか?と考えていたときに、部外者が、「ケータイでテトリスできるんだったら、私はやるかな」と、ポロリと言うことは、ありえます。
もちろん、部外者は、そのアイデアの価値を認識できませんので、そのままでは価値を生じません。
しかし、「iモードJavaでどんなビジネスをすべきか?」ということを、高い解像度で延々と血が出るほど考え続けている人なら、そのアイデアに価値があることに気づく可能性は、部外者よりもはるかに高くなります。
結局、アイデアというのは、次の3つがそろって、はじめて役に立つのです。
この(C)に労力が必要なことは比較的誰でも分かりますが、(A)と(B)に多くの労力がかかることの認識が薄い方は多いです。(A)と(B)が楽だというのは認識が甘すぎますし、それが楽だと思っている人の作るプロダクトは、たいていろくでもないです。
私が本を書く場合、上流工程から下流工程まで、細かいアイデアを全て含めると、(A)と(B)の割合が非常に大きいです。イラスト一つとっても、どんなイラストをどこにいれるべきかを、思いつけるかどうかでクオリティが劇的に変わります。文章なんて、なおさらそうです。どこにどんな文章をいれるべきかを、思いつけるかどうかで、クオリティが全然違うのです。
特にやっかいなのは(B)です。「いいアイデアを思いついた!」とそのときは思ったのだけど、あとから考えると、実はあまりいいアイデアではなかったことに気づくことがよくあるのです。数時間後にそれに気がつけば数時間分の作業のやり直しだけで済みますが、数カ月後に気がついたら、数カ月分の作業がやり直しになったりします。このやり直しを少しでも減らすために、(B)の段階で念入りに自問自答して、アイデアの価値を検証するわけですが、それでもやっぱり、やり直しは発生してしまいます。
また、(A)が出てないためにやり直しになることも非常に多いです。「思いつくべきなのに、思いつかなかったアイデア」を後から思いついたために文章を書き直したことは、果てしなくたくさんあります。
さらに、私が「今日は一行も書けなかった」という日がよくあるのは、(A)と(B)がボトルネックになっているためであって、(C)が問題なのではありません。むしろ、(A)と(B)さえ上手くいっていれば、(C)はめちゃくちゃ楽な作業で、爆速で進みます。苦労のかなりの部分が(A)と(B)なんです。
もちろん、ものによりますが、プロダクト開発や本の執筆などでは、(A)と(B)に十分な労力をかけたかどうかが分水嶺になることは、とても多いのです。
現場からは以上です。
この記事の作者(ふろむだ)のツイッターはこちら。
■補足
※1 学習効率本は、錯覚資産本とは売れ方のパターンは異なりますが、多くの方に読んでいただいている本です。
※この記事は、文章力クラブのみなさんにレビューしていただき、ご指摘・改良案・アイデア等を取り込んで書かれたものです。
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