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アントニオ猪木 ~燃える闘魂~

写真は、濃尾大花火大会当日の商業施設のイベントのサンバ。
アントニオ猪木(本命:猪木寛治)の故郷、ブラジルのイメージ
から。ピンボケボケで申し訳ない。

アントニオ猪木はブラジル移民出身で、日本のプロレスの草分け、
力道山に見いだされ、付き人としてプロレス界に入った。力道山
亡き後はジャイアント馬場とBI砲、ということでタッグを組んで
いたが、やがて独立し、新日本プロレスを立ち上げた。

全盛時の強さは半端なく、例えば夢枕獏の餓狼伝のグレート巽は
明らかにアントニオ猪木がモデルであろうし、格闘漫画の
グラップラー刃牙では馬場とともに実名で登場している。研ぎ
澄まされた運動神経と、「ルーズジョイント」と呼ばれる柔軟な
関節を活かしたグラウンドテクニックで、鬼人のごとき強さを
誇った。

梶原一騎と組んだ格闘技路線は賛否あろう。極真会館のウィリー・
ウィリアムスとの漫画とタイアップした対決は、事前に盛り上がる
だけ盛り上がった上、リング下でうやむやの結末、世紀の対戦と
謳われたモハメド・アリ戦での寝技とアリキックはいかにも見栄え
が悪かった。パキスタンの英雄、アクラム・ペールワンとの死闘
は、相手がギブアップしなかったため、腕を折る、という凄惨な
結末となった。アリとの対戦で新日本プロレスが抱えた借金は
莫大で、初代タイガーマスクがブームを巻き起こさなければ倒産
していたであろう。それでも世界の知名度は高く、参議院時代に
北朝鮮が訪問を数度に渡って受け入れたのもそれを示している、
と思う。

選手生活の晩年、ビッグ・バン・ベイダーやスタン・ハンセン、
ブルーザー・ブロディ、ハルク・ホーガンといった巨体を持つ
選手との対戦はだいぶ分が悪くなってしまい、特にハルク・ホーガン
のアックス・ボンバーで鉄柱に頭をぶつけ、失神したシーン
は衝撃と共に一時代の終わりを告げる象徴であった。

実業家としての才能や運は今一つで、アントン・ハイセルという
会社に入れあげて新日本プロレスの社長を盟友、坂口征二に譲ら
ざるをえなかったり、一時独占していたタバスコの販売権利も
手放した。

それでも格闘界の存在感は抜群で、多くの選手があこがれて
プロレス界した。近年はどうやら車椅子生活のようだが、相変わらず
トレードマークの赤いマフラーを身に着けてインタビューを
受けていた。入場曲、「イノキ ボンバイエ」も印象的で、この曲
を聴くと血が騒いだ昔を思い出す。

以上、今回は全て記憶に頼って書いたので、細かい間違いはご容赦。
全盛期時代に同じく全盛期のヒクソン・グレーシーと闘って
欲しかった・・・

お茶うがいの輪を広げてコロナを収束させたい!
https://note.com/from_free/n/n406bc5302094
https://note.com/from_free/n/n98097eb72720

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