数十年の月日を結ぶ旅
イタリアへ行く前に一瞬弾いてもらったピアニストの音楽は透明で、色が無かった。
引退したという彼の音楽は、心をどこかに置いてきたかのような音楽だった。
きっと、何かがあったのだろう。
まだ、私には触れさせてはもらえない傷のようなものを隠していたかのようだった。
日本にいる共通の恩師の施設に2人で訪れた時。
私の向かうイタリアのマスタークラスの指導者の中に、彼は、彼の海外で師事した恩師の名前を見つけた。
施設に向かう車の中で、私が自分の25年前に亡くなった恩師の話をしたとき、彼が言うには、なんと彼は恩師の娘さんと同級生だという。
恩師の名前を知る人と初めて出会ったことに驚く。
帰り道に戸惑う私を送ってくれる彼とすごく縁があるような気がした私は、彼と再会の約束をした。
でも、激務な彼とは再会するまで話すことはできなさそうだった。
仕事の邪魔はしたくない。
イタリアに旅立った私は、そこで彼の恩師と再会した。
20年前の生徒である彼を秒も過ぎずに思い出してくださった。
ビデオメッセージを撮影し、日本語翻訳して、イタリアから忙しい彼に送る。
返信は不要です、と書いておいた。
だから、彼は、どう感じたのかまだ知らない。
私の中では、数十年の時を越えた様々な縁で彼と繋がっていることは不思議でしかない。
彼は引退したから誰とも弾かないと言っていた、と彼の恩師に勝手に告げ口をしてみた。
彼の恩師は、それは、ダメよ、と言っていた。
私も知ってる。弾かなきゃ世界には通用しないのだ。
私は、透明になってしまった彼の音楽に色を付けたいと感じている。
私と彼が出会ったのは、彼にもう一度ピアノを弾かせるためだったのかもしれないと思っている。
僕はもう引退した。
音楽に引退なんてない。
心に音楽が溢れたら弾かずにはいられない。
私は心から全ての愛が消えて無くなった時に弾けなくなったことがある。私の時は、私の音楽が戻ってくるのに数年かかった。
もしかしたら、彼は今その状況なのかもしれない。
心が折れてしまったのかもしれない。
彼の恩師から、再び彼が弾くように働きかけてほしいと言われたから。
私は、彼の心からの音楽を聴ける日を夢見てしまう。
私は、きっと叶うと信じてしまう。
彼の音楽を遺したい。
私達音楽家が生きた証を。
彼は、まだ私の野望を知らない。
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