リッチ 「救援活動の際の囮作戦」
干乾びた皮膚が骸骨に張り付き、眼窩に眼球は既に無く、それはミイラと呼ばれて然るべき状態であった。しかし、そいつは動いていた。その挙句、宙に浮いていた。身に纏うのはキリスト教の祭服にも似た豪奢な衣装。嫌が応にも分かった。こいつはただのアンデッドではないと。
死霊術に長けた者が、自らの肉体を不死化するべく至ったアンデッドの究極形。それがリッチだ。意思も知識も持ったままアンデッドになるには、膨大な知識と意志力が必要なのだという。
「吾輩が何であるか、知っている者が居ようとはな。驚いたぞ、民草よ」
会話を逆再生したような、妙に耳障りの悪い声が聞こえてくる。アンデッド、いや、リッチのほぼ骸骨とも言える頭部の下顎が動いていた。
「すっげえな、最近のアンデッドっつうのは日本語喋れるのかよ」
剣吾が半ば驚き、半ば呆れて言う。
「言語魔法というものがあろうに? それすら知らなんだか」
「生憎、こっちは魔法はあんまり普及してねんだ。その代わり科学だよ、かーがーく」
「科学、とな……まあ良い、おいおい理解してゆく故に。楽しみが増えたものよ」
これは時間稼ぎだ。その間に真文が僧に結界の状況を伝えている。歯を食いしばったままであるので黙って頷くと、僧は印を解いた。ワイヤーロープでも千切れたような破裂音がし、光が飛び散って闇の靄が濃さを増す。
「ふむ、解いたか。確かに、お主らの企みは上手く行ったようだのう」
リッチから放たれる闇のような靄。上空に登ってゆくが、途中で止まる。まるで透明なボウルでも被せられたように。
「貴様とて、外から結界が張られたことなど分かっていただろう……余裕でも見せたつもりか、屍!」
「いやいや、余裕など有りはせなんだよ。お主と力比べをしてみたかったのだ。お主、こちらの世界の神官なのであろう? 興味をそそられたのだ、どれほどの力を有しているのかとなぁ。いやはや、侮ってはならんのう……ここまで足止めを食らうとは」
僧に向かって喋るミイラの顔は、表情など無いはずなのに笑っているのが分かった。
「に、しても。ここまで時を稼いでおいて、いざ援軍が来てみれば力もない童子と剣も持たぬ戦士ではないか。吾輩が虚仮にされているのか、それとも、この世界ではこれが限界なのであろうかのう?」
挑発だ。僧も真文もそれには乗らない。その代わり、剣吾は乗った。あえて乗っていったと言うべきか。大人達二人は倒れた他の僧を救護しなければならないから。
「テメェんとこの物差しで測るなよ、こンの干物野郎がッ!」
罵倒の瞬間、黒い靄が弾け飛んだ。風に吹き飛ばされたなどという生易しいものではない。ある一点から炸裂したのだ。さしものリッチも驚いたのか、そこを凝視する。
「余所見してっと、もっかい死ぬぜアンタ」
今度は突風だ。結界によって塞がれた空間になっているはずであるのに、突如巻き起こった強風が靄を吹き払ってゆく。
「童子、魔力も無いのにどうやっておる」
「アンタんとこの世界はさ、詐欺師が逐一手の内を明かすのかよ? 優しい世界だな」
「ふむ、言いよる。だが正しい。この世界は良いのう、吾輩もまだまだ学ぶことがあるのだと知ることが出来る。素晴らしい」
「だったらさ、もうちょっとおとなしーくしてた方がいいんじゃねえの? 勉強するってだけならさ、もっと別のやり方があるっしょ」
風が渦を巻き、靄を巻き込んで、闇を空気に溶かしてしまう。瘴気が薄れ、夜のような暗さが晴れてゆく。
「吾輩が集めた魔素を、ここまで散らすとは。よもや、この風が偶然だとは言うまいな?」
「黙秘します」
「些か厄介だのう」
この間に大人達は倒れた僧の避難を成功させていた。弱った状態で濃度の高い瘴気など浴びていたら、どのような障害が出るか分かったものではない。下手をすれば死に至る。それに、本格的な戦闘が始まってしまえば配慮などしている余裕はなくなる。巻き添えを食う可能性だって上がる。気が散る要素は極力遠ざけておきたいのが本音だ。
恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。