我が友、その死について 3
「確かに、俺は、部屋で何か燻したりするなとは言った」
厨房の出入り口に立ち、バノンは眉間に皺を寄せていた。ただでさえ無精髭のせいで人相は良くないのに、険しい表情のせいでもはや悪党かなにかのようだ。
「だからと言ってだな」
「台所なら火を使っても問題はないだろう? ここの方が安全だ」
「そういう問題じゃねえ!」
かまどに置いてあるのは鍋ではなく、実験用の皿だ。よく分からない煙と臭いが厨房いっぱいにもうもうと立ち込めており、いくら昼過ぎの暇な時間帯と言えども大問題である。
「何やってんだよお前はよ!」
「全ての現場から血痕が付着したものを集めてきた。燻して、試薬検査する」
「それを厨房でやるなつってんだこのスットコドッコイ! あと、お前らも当然みてぇな顔して手伝ってんじゃねえ!」
赤鴉亭の従業員である「自称・看板娘」のエルフや厨房を取り仕切る老年のオークが、きびきびと動いてエリュートの手助けをしている。
「いやあ、みなさん優秀で助かるよ。特にこちらのルービィさんは非常に手慣れていらっしゃる。こういう試験の経験がお有りで?」
「エッヘヘヘ、まあ、そんなところですぅ」
「おぉい鼻の下伸びてんぞ、ルー。そいつはやめとけ。偏屈を煮固めたような奴だぞ」
「何言ってんですか店長! めちゃくちゃ顔がいい男子ですよ? 顔がいい! 顔が!」
「顔が良ければなんでもいいのか!」
「そうです!」
「馬鹿野郎!」
間の抜けた会話をしつつ、エルフの女性は手にしたグラスを日にかざす。試験用の容器代わりに使われてしまった、ちょっと上客用のちょっと値が張るちょっと良い細身グラスの中身は濁った液体であったが、すぐさま無色透明へと変化した。
「三件目、反応なし。四件目ちょうだい」
「はいよ」
いつもの調理と同じ調子で試薬やらなんやらを混ぜている老爺オーク。決められた分量をきっちりと守らなければならない反応試験であるからして、彼の腕前なら確実だろう。と、そこまで考えてバノンは頭を振った。そういう問題でない。
「四件目……反応なし。四件連続でこうなると、全て同じ可能性がありますね」
「そうだね。でも一応全部やっておこう」
彼らが行っている試験がどのようなものなのか、バノンには見当がついていた。魔素の残渣を洗い出し性質を計る検査だ。火なり水なり土なり風なり、なんらかの反応があれば色が出る。ただし、これはどこまで行っても魔素の洗い出しであって、反応しないものもある。魔力を使わないものは素手でも剣でも弓でも槍でも出ないものは出ないし、あとは……
「五件目、黄色。雷です」
「ああ、それは伯父のだから雷の反応は出て当然なんだ」
「なるほど。雷震のレジナルド、でしたっけ」
「ルービィさんよくご存知で」
「エッヘヘヘヘヘヘいやぁ〜それほどでもぉ〜」
「ルー、その言葉は褒めの要素入ってねえんだわ。そいつ相槌打った程度なんだわ」
「エッそうなんですか! てっきり私への称賛かと!」
「馬鹿野郎!」
罵倒の後にさらに罵倒を重ねようとしたが、ばたばたと駆けてくる騒がしい音と大声で掻き消されてしまう。ぼんやりとまとまりかけていた思考も。
「大将ッ、また出たぜ!」
振り向けば、カウンターに身を乗り出して息を切るヒューマンの男。先日情報を持ってきた斡旋業の彼だ。新しい動きがあったらすぐに知らせてくれと金を多めに握らせておいたのが功を奏した。実際、この件は様々なところが動き始めている。稼ぐなら今だ。
「例のやつだ、まだ騎士団も動き始めたばっかりだ!」
「場所は?」
「エキルヴァの大聖堂あるだろ」
「あれの横の湖か?」
「いや、裏の森だ」
バノンに引き続いて厨房から飛び出したエリュート。二人のやり取りを聞いてすぐさま懐から取り出したのは、巻いてある紙。迷いなくそれを開く。紙の上に白く浮かぶ、教会系特有の魔法陣。
「エキルヴァ大聖堂!」
地名を叫んだ瞬間、エリュートの姿は白い光とともに消え失せた。
「あのやろ、ゲートスクロールなんて持ってやがったのか……!」
教会が一定額のお布施に対し配布する、教会建物への転移を可能とするスクロール。有り体に言ってしまえば収益のために販売しているのだが、これが結構な値段であるうえに使い捨てだ。気軽に使えるようなものではない。
「ルー、追っかけろ!」
「行ってきます!」
ルービィも白い光に包まれて消える。バノンはそれらを見送って、カウンターの下から用意してあった報酬の金を取り出した。情報を持ってきてくれた男に無造作に渡す。
「ほいよ、あんがとさん。今後もよろしく頼むわ」
「毎度ありィ。大将んとこも、なんだその、大変そうだな」
「まあな……適当なの見繕ってあてがうわけにもいかねえし、かと言って俺が介入すんのもできそうにねえし……あ、試薬試験途中じゃねえかあの野郎……残りやっとくか……」
「大変そうだな」
エリュートを追いかけ転移したルービィは、かろうじて彼の背中を確認することができた。転移特有の浮遊感と暗闇が終わり、ストンと大聖堂の床に立って顔を上げたそのときにはもう、エリュートは既に正門を抜けていたのだ。
「んもぅ早い! 風の加護入ってるのかな? 早い!」
しかし、場所の見当はついているので見失っても追い付くことはできるだろう。エキルヴァ大聖堂の裏の森は人の手が入っている整備された空間だ。確か、集会だかなんだかのための開けた場所があったはず。
ルービィが懸念せずとも、現場をひと目見ようと野次馬が集まり始めていたので嫌でも追い付いた。教会の神職たちがそれを追い払おうと躍起になっている。その合間をくぐり抜けるエリュート、追うルービィ。
「……何、これ」
現場に近付くにつれ、妙な感覚が彼女を襲う。魔素の濃度が異様だ。しかもこれはあまりよくないヤツだ。人が死んだのだから、遺体から発する負の魔素はまあ分かる。だが、この濃度はおかしい。息が詰まりそうなほどだ。
すれ違う神職たちが様々な道具を運んでいる。全て祈祷に使うものである。遺体の処理よりも先にそちらを優先するというのだろうか。
それに、この感じ、これは……
突然立ち止まったエリュートにぶつかる形で、ルービィの意識は現実に引っ張られた。衝突を謝罪しようとしたが、できなかった。彼の肩越しに見えた現場のせいだった。
切り裂かれた樹木。飛び散る血と肉。すぐにでも祈祷を行わなければならないほどの淀んだ魔素。荒事に関わるような人間でも目を背けたくなるような惨事。
しかし、ルービィが黙ってしまったのは、その凄惨さにひるんだからではない。
「……これは」
漏れた声にエリュートが振り向く。ルービィの表情から先程までの愛嬌も笑顔も消えていた。
「この太刀筋は」
「知っているんだね、ルービィさん」
余計な言葉を挟まず、エリュートは射抜くような視線をルービィに向ける。
「……ああ、思い出した。貴女のことを思い出せそうで思い出せなかったんだ。知っている情報とあんまりにも雰囲気が違ったものだから、記憶にかすりもしなかった。やっと分かった」
ルービィもエリュートを見つめ返す。すっかり仮面が剥げ落ちて、そこにあるのは冷徹な鋭い目つき。
「氷血のルービィ。三年前に壊滅したニムロ商会の私兵団、ニムロス海兵隊の参謀。ルービィ・ピジョンブラッド」
正体を指摘されても、ルービィは眉一つ動かさなかった。別段隠しているわけでもないからだ。学府の研究員であり魔導兵団副団長の甥、知っていてもおかしくはない。
「僕は、今の貴女の顔付きのほうが美しいと思うよ。貼り付けた笑顔より、その剥き出しの怒りや、殺意や、侮蔑の方が、僕にとっては好ましい」
「なるほど、店長の言う通りですね。やめておいた方がいいわ。今の私にはあの笑顔が必要だし、あれが一番良い状態なんです」
「ふふ、それは残念だ。さて、ここの血痕を採取してから、宿に戻って話を聞かせてもらおうかな。貴女の知っていること、洗いざらい」
恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。