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「なんで金を払ってまで怖い思いをせなあかんねん問題」について向き合ってみた話

※この記事は末尾に他社さんのイベントへのリンクがあります。いわゆるPR記事ではなく応援の意図ですが念のためご了承ください。


amphibianです。まだ東京におり、今日は「株式会社闇」さんを訪問しました。

株式会社闇さんはnoteをやられており、そのうちひとつが琴線にふれたので保存しようとしたら、「マガジンに追加」みたいな形になったようです。
マガジンは自分の記事のみならず保存可能なブックマークみたいなもんらしいです(わからずに使ってすまん)。
さしあたって「amphibianの創作の話」マガジンに入れてみたので興味があったら読んでみてください。つってもamphibianが書いたものではないからちょっと不適切だなってなったらまた調整します。
その記事は以下。超わかりやすいのでぜひ読んでみてください。

ここで取り上げられているのが、表題の「なんで金を払ってまで怖い思いをせなあかんねん問題」。

この問題、個人的にとても関心がたかいです。
なぜならamphibianもこれからホラーを作っていきたいから。
しかし、その過程でいろいろやってるときに同じような発言をいただき、以来ずっと「????」になっていました。
が、この記事で言語化いただいたことで気づきました。
自分が「ホラーつくる側」の狭い視野にとらわれていたことに。

例のゲームがそんな怖くなかったんじゃないか、という反省にはじまり、次はもういかにブチクソ怖いもんをつくるか・やればやるほど成功できる的な思い込みでつきすすみつつあったのですが、そもそも一般的には「怖いこと」がマイナスっぽいですね?

おかしいな。
そういわれれば、amphibianも最初は怖いものが嫌だった気がする。
扉が開いたのはどこだったろう。
「ゲゲゲの鬼太郎」か?
「合成人間ビルケ」か?
「パタリロ!」か?
「バイオハザード」か?
「学校の怪談」か?
「地獄先生ぬ~べ~」か?
「GS美神 極楽大作戦」か?
「ブラックロッド」か?
なんかいっぱい扉あるな。

たぶんこういう、決して少なくない体験の繰り返しによって、「こわい」と「たのしい」がシナプス連結されてきたからこそ、「ホラー」が純然たるプラスとして受け取れる体になってしまっているだけで、一般のひとは多分そうではないのですよね。

闇さんのnoteでは、ホラーに対する一般のひとの感覚が「肝試し」であり、「怖さに抗う」ことが目的と誤解されているのだと看破されています。
そのうえでシンプルかつ強力な解決法も提示されており、非常にクレバーな記事なのでぜひよんでください(2度目)。

それはそれとして。
この記事では自分なりに「なんで金を払ってまで怖い思いをせなあかんねん問題」にせまってみたいと思います。

闇さんの記事では、端的に「こわさに身をゆだねるのが楽しい」とされていました。
これは確かだろうと思います。
なんかのテレビ番組で見た記憶なので怪しいですが、「人間はホラー映画で絶叫してるとき脳内で快楽物質が出てる」とのことだったはずです。
同じくソース不明瞭ですが、「人間が笑ったり涙流したりしてるとき脳内ではストレス物質が出てる」とも聞いた覚えがあります。
このへんざっくりまとめると、「心が動く・感情が動かされる=感動」は「ストレス」である一方で「快楽」とも深くつながっていそうです。
手段も方向性も問わず、心を動かしてしまえば勝ち的な発想は、われわれものづくりモノの間では多寡あれど共有されているのではないでしょうか。
だから「こわい」の感動もアリなはずです。
「こわいものみたさ」という言葉だってあるわけだし。
そもそも「かなしい」だってマイナスの感情なのに、悲劇は大昔から超王道コンテンツです。
個人的には「なんで金を払ってまで悲しい思いをせなあかんねん」と叫びたくもありますが、実際悲しい物語を乗り越えたときの感覚(カタルシス)はきもちのいいものですわよね。
なんかそういうメカニズムにせまりたいんだ。「こわさ」についても。

「こわさ」を求める心理

感動イコール心の動きが求められているとして、方向性は特に関係ないのでしょうか。
「こわさ」は、笑ったり泣いたりと何ら変わらず、心揺さぶるパワーだけが問題なのでしょうか。
多分そうではない。

そもそも「こわさ」は生存に直結した感情と考えられます。
これを励起すると当然すごいストレスがくるのでしょうが、そのストレスからの解放でより「生」を感じられると想像つきます。
これが楽しいのか?
でも、さっきのテレビ番組によれば、快楽物質はホラー見終わったあとじゃなく見てる間もドバドバ出てるようなことを言ってたはず。
そうなると、何か人間側に特殊な機序がありそうです。
「自分の安全が確保された状況で他人の不幸をみると気持ちいいと感じる」とか。
ううん、それはあるかもしれない。
けど、こと「こわさ」に関しては、「自分の安全が確保」されているかどうかには若干疑念があります。

誰しも経験あると思うのですが、こわいコンテンツ摂取したあとは一人でトイレ行くの怖くなりますでしょう。
「こわさ」は明らかに、視聴者に伝染し、「自分ごと」となってあとをひく性質を持っていると思います。
こういうとき「自分の安全が確保」されている心理とはとうてい思えない。
なにか違っているような気がします。
(※もしかしたらそのテレビ番組は「ホラー」というより「スプラッタ」を話題にしていたかもしれない)

感情や脳の働きについて専門知識ナシでこれ以上踏み込むのは避けたいですが、一方で、感覚的にたぶん確かではないか、と思えることがあります。

「こわさ」が、「非日常への入り口」として、非常に強力なツールだということです。

前回の記事で、「ただしさ」は方針決定による思考の停止、「たのしさ」は感情の動きによる思考の停止、みたいなことを示唆しました。
これらはどちらも、過酷な現実への対応・心の防御機構という点で共通していると思います。
複雑化し自我を肥大化させたヒトの脳は、生命の維持と引き換えに社会維持のための著しい負荷を受け、かといってオチは絶対不可避の死というクソシナリオに各個で耐えねばなりません。
それを「嘘でもいいから前向きに受容する」のが「ただしさ」で、「ひととき否定・拒絶・忘却して感情を解き放つ」のが「たのしさ」ではないか……と、仮にですが考えてみてます。

さて「こわさ」ですが、これは第一には「たのしさ≒感動≒ひととき現実を否定・拒絶・忘却させるもの」に含まれると思います。
だから現実を打ち破らなければならないのですが、こういうとき良いことより悪いことのほうがリアルに受け止めやすくないですか。
おなじくらい荒唐無稽なこととして、
・あなたは天使に祝福されたので100年長生きします
・あなたは悪魔に呪われたのであと7日の命です
どちらのほうが「わがこと」としてリアルに受け止められるかといったら、後者ではないでしょうか。

人間はたしか悪い想像のほうをしやすいみたいな脳のメカニズムがあったはずです(全部うろおぼえ)。
そのへんも手伝ってか、「こわさ」の付与されたフィクションは容易にヒトを非現実の世界へと引きずり込むことができます。
天使や悪魔が出てこなくても、もしいま、殺人鬼やストーカーやハムスター人間があなたの背後の暗闇にひそんでいたとしたら?
苦痛、絶望、死、どれだけ悪くとも、どう転ぼうとも、つまらない現実が消し飛ぶことだけは確実です。
それが、「たのしさ」を求める心の需要に合致するのではないでしょうか?

かてて加えて「こわさ」はひっそりと「ただしさ」を裏打ちする効果もあるとおもうのです。
幽霊とかの存在を描くと、死後の世界や神・超越的な法の存在も同時に肯定され、結果として「ただしさ」の道行きが示されたり、死の恐怖が少し薄まったりする気がします。
「ただしさ」と「たのしさ」がプラスとマイナスみたいな関係だとして、「こわさ」は「たのしさ」のマイナスにマイナスかけた結果「ただしさ」が浮かび上がってくるというか……
ちょっとここは言語化できてません。
単に「ただしさ」と「たのしさ」が同じもんだって話になるかもしれない。

ともあれ。
「こわさ」によって観客を非現実へと引きずり込むのは、非常に強力なやり口だと思っています。
実際、ホラー以外のジャンルでも、普遍的に行われているやり口だと思うのです。
身近な殺人事件を描くミステリ、こわもてヤクザが暴力と恐怖をぶつけあうアウトローもの、大災害を描くディザスターもの、人間の理解が及ばぬ世界の深淵を描くSFなど、「こわい」要素が明確にありつつもホラーを名乗らないジャンルはあり、それぞれに成功しているように思います。

なのになぜ、ことさらホラーに対してのみ、「なんで金を払ってまで怖い思いをせなあかんねん問題」が発生するのか?

ホラーというジャンルの「ケガレ感」

※ここから、あまりに憶測がすぎてゆきます。

あくまで自分の感覚ベースになりますが、「ホラー作品に触れること」自体、現実において何らかの不吉なものを呼び込むような気がしませんか?

お岩問題や百物語の例をひくまでもなく、「トイレいけなくなる問題」は実在し、ホラーに触れた人間は大なり小なりビビるわけです。
それは生存と直結し警戒感を励起する恐怖という感情の特性によるものだとamphibianはおもいますが、一方で恐怖のさなかにある人は「ホラーなぞに触れたから恐ろしい目にあっている」と因果を連結し、結果として「ホラーは不吉なもの」「ホラーに触れるべからず」の感覚をもちうると思います。
これ、「汚いものに触れたくない」、もっといえば「ケガレ意識」と非常に似てないでしょうか。

じゃあケガレ意識が希薄な欧米ではホラーへの忌避感が薄いのかとか言われるとそうかもしれないけど、ちょっと分かんないです。
が、「ホラーをみること」がシリアスに取り返しのつかないことを招きかねない、という発想は、なんとなくですが日本のほうが強そうな気がします。
そもそも見たり触れたりしただけで問答無用で祟られる神々がしろしめした国です。
そのうえ、ライトサイドの権威を束にくくって投げつけた戦争に敗北したせいで、うっすらみんなライトよりダークのほうが強くね? と思ってる気がします。
日本でクトゥルーものが流行ったのってこの辺にあると思ってますが、それはともかく。

「ホラー」が「ケガレている」、つまり「きたねえ」「ばっちい」「ちかよんな」の感覚で忌避している人は、結構いそうな気がしています。
実際、ホラーもののパッケージングって、見るからにおぞましい、生理的恐怖感・嫌悪感をあおるものも多いですしね。
そうすると、対策もうかびます。
パッケージをきれいにするとか。
ホラーの文字をカテゴリ表記から外すとか。
そんな単純な施策すら、けっこう単純にききそうです。
あの大反響映画「MID SOMMAR」も、ホルガ村の情景がグチョグチョデロデロで、パッケージングが臓物とかかぶってる図像だったら、もうちょっと受け入れられてなかったとおもうし。

でもなあ。
こっち側、「ホラー」と「たのしい」がシナプス結合してしまった側からすると、隠すのはいかにも残念なのですよね。
だってそういうきったねえゲチョゲチョがおもしろい・かっこいい・ナイスと感じちゃってるのだから。
そういう楽しみもありうると、知ってしまってるから。
本質を隠して勝負するのも卑怯っぽいし。
くさみもえぐみも包み隠さず好きになってほしい。
……モテない人間の意見っぽくなってきたな。

おわりに

やっぱり、今後、ホラー的な作品(でかいやつ)は作りたいと思います。
が、「なんで金を払ってまで怖い思いをせなあかんねん問題」を無視することはできないと思います。
今回考えたようなことを意識して、「こわさ」をうまく運用することは心がけると思いますし、場合によっては色々と小手先を弄するかもしれません。
今後出していくものに、こういう思考がどう生きてるか、見てみてもらえたらうれしいです。

ちなみに今回話した株式会社闇さんは、ちかぢか大掛かりなWEBベースの参加型ホラーイベントを計画しておられます。

ネタバレは一切もらいませんでしたが、かなり先鋭的な試みが盛り込まれているらしいのと、お話の端々から感じられるクレバーさとホラー愛に、amphibianはすごく期待を膨らませました!
あとやっぱ「死ぬサイト」とか好きですよ。
インターネット黎明期の香りが残る時代に「赤い部屋」とか触って育った世代としては。

事前開催に参加させてもらえることとなったので、感想などはTwitterでつぶやくと思いますが、よければぜひ、ご自分でも目撃されてはいかがでしょうか。

それではみなさま、よい生存を。