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「ただしさ」と「たのしさ」の話

amphibianです。

こちらの舞台にたずさわるため東京にきています。
1日目は大好評でおわり、2日目は2/6(日)の昼夜1回ずつ。
配信あります。
見てね。

合間になんか書こうと思ってストックネタのリストを繰りましたが、使えそうなやつ全然なくて悶えてます。
3か月前の自分はゴミ。
すごい勢いで成長しているものと考えましょう。

いまだに文体がさだまりません。
あんま硬くも柔らかくもなりたくないんです。
昔どうしてたのか思い出せない。
正確には振り返りたくもない。
3年前の自分はダニ。
見つけ次第つぶせ。

今回の「ただしさ」と「たのしさ」はずっとぼんやり考えてることです。
記事もスーパーぼんやり進行でいきますのでまずもってお覚悟ください。


例の人狼ホラーゲームを読んでくださった方には周知かと思いますがamphibianは「ただしさ」に関心があります。
人間は「ただしくあること」に並々ならぬ執着を持っていると思います。
それは「合理的である」とか「科学的に裏付けがある」とか「出典がハッキリしている」とかとは違うようです。重なりあうけど同じじゃない。

今のところamphibianは、「ただしくありたい心理」とは「思考停止したい心理」だと思っています。

人間は進化の過程で進んだ脳みそを手に入れ、文化発展の過程で論理的思考法を手に入れました。
「これをこうすれば結果はこうなる」と予想したり、「この状況をみるに過去こんなことがあったろう」と想像したり、「こういった判断材料から自分はこうすべきだ」と決定したりできるようになりました。
しかし実は多くの人間は考えることが好きではないと思います。
だってだいたい頭がぼんやりして先に進めないか、「どうせいつか死ぬんだ」と思い出して暗くなるだけです。
思考は失敗するし、良い未来だけを約束してはくれないし、そもそも脳はバカ食い器官なのでダルいのです。
脳は考えることをやめたがっている。
だから、何かについて「ただしい」と決めつけて、それ以上の思考を止めたいのではないでしょうか。

論理的命題や科学的仮説と違い、社会的な問題の多くには「正答」がありません。
あの子を傷つけないためにはどうふるまえばよかったのか。
就活で好印象を得るためにはどの色のネクタイがいいのか。
防疫と経済をどうバランスとるべきなのか。
だいたいのことは、山ほどのデータや推測を積み重ねて決断をするしかなく、取り返しもつかず、敵対者がしたり顔でもっとマシな方策があったと責め立てるなか、「まあこれが最良だったよね」と片付けるしかない。
それはすごく心にくる。
だから「ただしさ」に飛びつきたいのではないでしょうか。

「男らしく、据え膳を食え!」とか。
「就活では明るい色が鉄則です!」とか。
「人命以上に大事なものなんてない!」とか。
(※例です。そんなただしさが実在するかは知らん)

何かしら「圧倒的にただしいとされていること」でぶん殴られて「そうですね! そうですよね! ただしいことにしたがいます!!」となれば心おだやか頭はればれです。
思考の負荷から解消されればストレスが減りQOLも上がりそうです。
それが科学的論理的倫理的哲学的に間違ってるとか、長い目で見たら有害だとかに関係なく、「ただしさ」を得ることは、人間にとって幸福な体験でしょう。
宗教や神というものは「ただしさ」を求める人間の性質に合致した発明品だと思います。
そんな「ただしさ」は、現生人類が幸福に暮らすためには実は必須なものかもしれません。
日本人は戦争に負けたとき「ただしさ」を一度失ったと思うんですよね。
勤勉とか経済的成功を「ただしさ」にしようとして失敗したとも。
日本人の精神的な幸福度が低いとかよく言われますが、要するに「ただしさ」を見失ってるということではないでしょうか。
経済も治安もひどく実情として超不幸な国があったとしても、自分たちの在り様を「ただしい」と思ってれば、きっと幸福度は高いんじゃないかなあ。

ここまで前段です。
ついてきてる人いるのでしょうか。

「たのしさ」について考えます。
「ただしさ」とゴロをそろえるためこう書きましたが、amphibianは「面白さ」といいがちです。
とりあえずこの記事では「たのしさ」にソロエます。
いわゆるワハハ的なやつに限らない、好奇心、知識欲、悲喜こもごもの感動、リズム感など、さまざまに心を動かされた結果の満足感を「たのしさ」と考えてください。
エンタメ業界が日々ふんばってひりだしているもの、amphibianが作って売って食っていきたいものが「たのしさ」です。
「たのしさ」の本質はまだよくわからず、詳しく考えるとすれば別記事にしますが、これも「思考停止」と関わっている気がすごくします。煩わしい思考を止めてくれる何か、みたいな。

本題的なもの。
ときどき、「ただしさ」が「たのしさ」を粉砕している光景を目にします。
いわゆる○○警察とか、「○○的正しさ」に反する表現を棒で殴る行為とか、そういうやつです。

表現側からすれば「そんな圧力きにするな!」「たのしさだけを見せてくれればいい!」とか言ってもらえるとありがたいのですが。
一方で「ただしくありたい」人たちの気持ちもよくわかります。

「ただしさ」は安心と満足感をもたらしてくれると思います。
でも一方で「ただしくなさ」が視界に入ったとたん、ものすごい不快感が発生し、幸福感が損なわれるという副作用があると思います。
さらに「より幸福感を得るためにより強力なただしさを求める」というヤク的クソ性もある気がします。
さらに、「ただしさ」そのものは「たのしさ」と違うと思うのですが、
「自分のただしさが他人に承認されることはムチャクチャたのしい」と思うのです。

だから「ただしさ」を胸にいだく人は、「ただしくなさ」を指弾・破壊するし、「ただしくないたのしさ」はもはや、その人にとって「たのしさ」ではないのでしょう。

amphibianも例に漏れません。
たとえばamphibian、現時点では田舎に住んでおり、別にそのことで卑屈になったことはなかったのですが、かつてTwitterで「ヤバい集落モノの創作物は田舎蔑視・田舎差別の感覚から生まれている」的な言説が出てきて反発したときに、「そういった概念を正当化・追認しかねない表現は良いのか」とご指摘をいただいて考えこみました。

このときの声明は今でも自分的に納得できるラインのものでしばしば見返しているのですが、それとは関係なく、このときした議論のあと、いろんなものが「田舎差別」に見えて腹が立つようになっちまったのです。

例えば田舎の生活を紹介する番組で、山ん中で爺さん婆さんが苦労してるところを見てタレントが「えらいなー」と言いながら笑う。
なんだその上から目線は。
非効率的な生き方をしてるのがそんなに面白いのか。
お前ら都会人がふとしたはずみに「ふるさと」とか口ずさみながらノスタルジーを消費するために回想する「原風景」は、実際は先人が命と時間を削りに削って開拓したものなわけだが、それがみるみる失われる恐怖と心痛にあらがうために無力を承知で足掻いてる人々の必死さがそんなに滑稽か。
そんな怒りが湧きかけては、これ「ただしさ」にやられてないか、と背筋が寒くなるわけです。
あのときした議論で「田舎は差別されているのでは」という発想を得たamphibianは、「田舎差別にあらがうべし」という「ただしさ」を胸に抱くに至り、それらしいまなざしを見つけることで「あっ確かに差別されてる! 殺そう!」と考え始めているかもしれません。

いじめや差別みたいな問題の本質について話すとまたキリがなくなるので避けます。
何らかの理不尽や失礼に遭遇したときに「殺そう!」となるのは、やっぱり自分が「ただしい」と思っているからでしょう。
この「ただしさ」、もしかすると「たのしさ」に繋がらないばかりか、「たのしさ」の創生も享受も阻害しちまうのではないでしょうか。
「ただしさ」なんて知らなかったなら、何の気兼ねもなく「たのしさ」を味わえたはずだし、もっと自由にいろんなものを作り出せたはずです。amphibianも田舎差別の概念を知らなければ田舎番組を何も考えずに楽しめたはず。
○○も△△を知らなければ××を何も考えずに楽しめたはず。
汎用テンプレです。

△△という「ただしさ」に染まっている場合、この表現はとてつもなく邪悪に見えるでしょう。
じっさい無知こそ幸福で最善なんてわけがない。
でも現実として、「ただしさ」は「たのしさ」を駆逐するし、「ただしさ」なくして多くの人は生きられない一方で「たのしさ」がないと生きられない人もいるので、問題がさらに難しくなっているように思えます。

「ただしさ」と「たのしさ」の共存。
これができたら人類は進化したといってよさげな難問です。
むしろこのまま人間社会がすすめば「ただしさ」も「たのしさ」も捨て去る退化が起きそうな気さえします。
でも目指したくないですか進化。
みんなでハッピーに進化していきたい。
それがamphibianのめざす「ただしさ」なので、こんなことをいっぱい考えていきたいです。


ここまで読んでくださりありがとうございました。
さぞや、お疲れでしょう。

こちらの舞台でぜひ小難しい思考から解き放たれていただければさいわいです。
いや小難しさはあるかもしれない。
「住人全員が探偵かつ悪党」という奇妙な環境を定義し、それがなぜ生まれたのか、その環境が人をどう歪めるか、みたいなことを考えながら、それにはあんま触れずギャグとドシモネタと異能推理バトルをボンボコ盛りつけた娯楽作品です。
興味をもってくださったらぜひ、配信やアーカイブでもご覧ください。
以上です。
みなさまよい生き残りを。