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母になっていくはなし14(生後0週)

2021年末、およそ一年間の不妊治療を卒業し
2022年8月、娘を出産しました。
不妊治療の門を叩いた日から
妊娠9週、母子手帳発行まで書いた不妊治療のマガジンはこちら↓


妊娠してからというもの
noteでたくさんの先輩方の妊娠・出産・育児記事を拝見したことで
準備をしたり、見通しを立てたりできているので
誰かの役にたったらいいなという思いと
自分の記録を兼ねて、妊娠10週からは
こちらのマガジンで綴っています↓

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2022年、8月。
41週0日、我が家に新しい命が誕生しました!!
今回は緊急帝王切開を終えた、入院中の様子です。


◆生後0日目
回復室で過ごす一晩

緊急帝王切開を終え
手術室から回復室へ運ばれた私。

酸素マスクは外れたものの
尿、点滴、酸素を計る指
足にはめられた血栓予防のポンプなど
あらゆる管には繋がれたまま。
寝返りは打てず
首だけが左右に動かせる状態でした。

この一晩、役にたったのが
数年前の股関節手術の経験。
当時、術後丸3日間寝たきりで
骨を切って移植した痛みに耐え続け
さらに1ヶ月、寝返りの打てない生活だったので
痛みのやり過ごし方や
寝たきり時のベッド操作など
助産師さんも驚くほど冷静に、スムーズに対応できました。

赤ちゃんは、助産師さんが見てくれるとのことで
しばらくお別れ。
だんなさんが帰宅した後は
寒さや痛みで、寝たり起きたりしていました。
麻酔から覚めていくのに比例して
傷の痛みと、強い生理痛のような後陣痛が
定期的に襲ってきました。

助産師さんがこまめに様子を見にきてくれて
点滴を交換し
尿を捨て
熱を測り
傷の様子を見てくれました。
また、痛み止めが必要か聞いてくれました。

こういう時、ついつい痛みを我慢しがちですが
痛いものは痛いと伝え
できる対策は、やってもらったもん勝ち!
(股関節手術での学び①)
点滴や座薬など、必要に応じて処方してもらいました。


だんだんと意識がはっきりしてきて
痛み止めも効き、耐えられる程度になってくると
スマホをいじる元気も出てきました。
ここで、スマホに入っていた
助産師さんが撮影してくれた出産時の写真を初めて見て
うおおおお、こんな撮影してくれたのか!と感動しました。
ほんとに出産したんだなあ。
なんかまだ、実感ないなあ。
そんな気持ちで、家族や親しい友達に出産報告も送りました。

寝たり起きたり、スマホをいじったりで
出産を終えた朝から夕方に。
寝たきりな背中や腰に
熱がこもり、凝りもだんだん辛くなってきて
リモコンでベッドの高さを操作してやり過ごしました。
上体を少しあげて傾斜をつけ
さらに足をあげ膝を曲げる格好になると
腰や背中が、だいぶ楽になります。
(股関節手術での学び②)

さらに、18時になると
おかゆが出ました!
お腹すいていたのでうれしい〜。
でも、食事をとるために
上体を垂直に起こすのはとても怖かったです。
助産師さんにフォローしてもらいながら
なんとか姿勢を整えて、完食!


その後、この日の夜はとても長かったです。
わたしのいる回復室の隣は
助産師さんが預かる赤ちゃんが過ごす部屋。
足元のドアはナースステーションにつながっていて
換気のために開けていた頭上ドアの向かいには
ふたつの分娩室があります。

夜、どんどん運ばれてくる妊婦さんに加え
分娩室からは、絶賛お産中の妊婦さんのシャウト
そして隣からは、赤ちゃんの泣き声
足元からは忙しくする助産師さんの声。
私がお産した8/6の土曜日と
日付変わった8/7の日曜日は
本当にお産ラッシュだったようで
一晩中、これらの声や音が聞こえていました。

とくに、お産中の妊婦さんのシャウトは凄まじく
自然分娩したかった気持ちと
自然分娩に耐えられたのかしらという気持ちが入り混じりながら
心の中で、妊婦さんを応援していました。

「ごめんね、うるさくて全然休まらないよね」
「たなかさんの赤ちゃん、とても元気ですよ」
様子を見にくる助産師さんが、私を気遣ってくれます。

命が誕生する、人生でとても尊い活動を
親子の形に合わせて臨機応変に判断しながら支え
産後は、赤ちゃんの面倒も見ながら
私のような状態の妊婦のケアまでしてくれる。
助産師さんって、ほんとにすごい。

そして、ここまで
出産時の夜勤、日勤、夜勤と
数名の助産師さんが
私の面倒を見てくれたのですが
どの助産師さんも開口一番
「たなかさん、大変だったねえ」
「よくがんばったねえ」
「ほんとに無事でよかったねえ」
「陣痛と帝王切開、両方の痛みに耐えるなんてほんとエライ!」
と声をかけてくれました。
また、個室で赤子の異変に気づき
帝王切開のための点滴を入れてくれた
あの助産師さんも
夜勤明け、帰り際に回復室により
「ほんとによく頑張ったね!!」
と声をかけてくれました。

私自身は、分娩時、本当にされるがままで
母子ともに無事だったのは
テキパキした助産師さんと
先生のおかげ以外のなにものでもないと思っていたので
「よくがんばったね」という言葉は恐れ多かったです。
一方で、自然分娩したかった気持ちを振り払うために
どこかで自分の出産を肯定したかった私にとって
その助産師さんの声がけは、とても救いになりました。
助産師さんたちのねぎらいは
それだけ緊急性が高いものだった
=帝王切開以外の選択肢はなかった
という納得につながったからです。

この産院の助産師さんたち
どんだけホスピタリティが高いんやー!!


◆8/7(生後1日目)
回復室から個室へ移動

「産後は1分でも多く寝てくださいね」
出産前、先輩ママたちにもらった言葉を思い出しつつも
なかなか寝れなかった最初の夜が明け
次の日の朝。

明け方、個室移動に備えて
痛み止めの座薬を投与。

出産から24時間が経ち
だんだんと私についていた管も外れ
8時、朝食の時間になりました。
この食事から、通常食!
ベッドを起こし、姿勢を垂直に整えるのは
相変わらず恐怖でしたが
朝ごはんのフレンチトーストがとても美味しくて完食!

唯一の暇つぶしだったスマホも
ついに電池が切れてしまい
ずっとドキドキしながら、その時を待ちました。

やっと助産師さんが声をかけてくれて
点滴、尿のカテーテル、足のポンプを外し
部屋の移動開始!!

ベッドから起き上がるのはほんとに怖くて
リモコン操作に頼って
なんとか上体を起こし
足をおろして
一休憩。
痛みに耐えながら立ちあがり
そろりそろりと院内の壁を伝って歩き出しました。
しかし、下腹部の痛みと傷が怖くて
ものすごい小股でしか歩けない!
助産師さんの付き添いのもと
なんとかエレベーターで上の階にあがり
自分の個室に戻りました。

個室到着後
室内のトイレに行くように指示されたのですが
便座に座るのも、かなり怖かったです。
この時、自分の胴体の状況や傷に、初めて対面します。

ものすごく巨大な生理用ナプキンが
分娩時に着替えた産褥ショーツに装着され
その上から腹帯(ガーゼでできた腹巻みたいなやつ)が巻かれ
ワンピースのようなパジャマと
自宅から着用していた着圧ソックスを着ていました。

傷は、大きなキズパワーパッドのようなもので覆われていたのですが
ものすごい量の浸出液と血液が見えて
怖くなって、それ以上見ませんでした。
(今回の私の帝王切開は、ちょうど下着で隠れるくらい
お股の10cm上あたりに
横方向に15cm弱の傷でした。
この傷と対面し、状態がわかったのは数日後。)
また、産後の悪露もかなり出ていたので
助産師さんに教えてもらいながら
巨大な生理用ナプキンを交換しました。

なんとかトイレを済まして
自分のベッドに生還。
一挙一動が痛みとの戦いで
朝方、痛み止めを投与してもらって
ほんとによかったと思いました。

助産師さんに個室の使い方を説明してもらいながら
一息ついたのも束の間。
このままでは、助産師さんが下の階に行ってしまい
部屋に一人になってしまう!
スマホの充電器など
生活の用意をしたいけど
パッキングしてきたキャリーケースを
屈んで開けるなんて、絶対無理!
助産師さんにお願いして
買っておいたお茶などの飲料と
スマホの充電器を出してもらいました。

こんなんで、ここから先
個室で一人、生活できるのかしら…

「赤ちゃんは、いつでも同室開始できます。
タイミングはお母さんの体調優先で決めてくださいね」
と助産師さん。
赤子とは一刻も早く対面したかったのですが
お部屋の引っ越しで、どっと疲れたのと
この日の夕方に、だんなさんが面会にきてくれる予定だったので
その時間に合わせて赤子を連れてきてもらうようにお願いしました。

助産師さんと別れ
お茶、スマホ充電器、てぬぐいなど
全てが自分の手の届く範囲に置き
ベッドサイドに柵がないと起き上がれないので
なんとかそれもセッティングします。
再びベッドリモコンを駆使して
なんとか横になり、ほっと一息。

ふと見えた自分の足が
浮腫んでないことに気づきます。
こんな薄い足の甲見るの、数ヶ月ぶりだ…。
このタイミングで個室移動、かなりスパルタだな…。
自然分娩の場合もスパルタなのかしら…。

そんなことを考えながら
だんなさんが到着する夕方まで
ウトウトして過ごしました。

<つづく>


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