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ピーキー・エンジン


時間が飛ぶ感覚

今日に至るまで、集中の度合いをコントロール出来た試しが無い。

小学生の頃、友人の家に遊びに行った時のこと。
気になった本や漫画があると手に取ったが最後、満足するまで黙々と読み進めてしまうことが続き、呆れた友人に注意された覚えがある。

「友人宅にいること」「部屋にいる友人の存在」「帰りの時間」といった様々な要素が認知領域からどんどん排除され、目前の事象に対し、大量の水のように興味が絶えず注がれていく。

目が悪い人には理解して貰えると思う。極度の近視で周囲に全くピントが合わないあの感じ。視界には入っているが、まるで認識できていない。

抽象的で申し訳ないが、擬音で考えると「キィィィィィン」という音を立てて脳が高速で処理を始めるイメージ。着手から5分もあれば集中力は最大限まで勝手に高まっていく。

石ノ森章太郎先生の作品『サイボーグ009』の島村ジョーが使う「加速装置」の認知能力限定Verである。ただ厄介なのはジョーのように奥歯を噛んでオンオフができず、一度着手すると自動的にスイッチが入ってしまう点にある。
周囲の輪郭がぼやけ、目の前だけに集中するのは、対象物に潜航していく感覚とも形容できる。

これが理由で、大好きなゲームを自発的に禁止している。
活動限界まで際限なくゲームを続けてしまうからだ。生活が破綻する。

この機能の大きな欠点として周囲への注意力が極端に散漫になる点が挙げられる。

例えば物音で刺激を受けたり、友人から話しかけられるタイミングで、緊張の糸が途切れて認識できる領域がグッと拡張する。

だから今でも作業中に人に声をかけられると、物凄く驚いてしまう。

急に個の世界から、外の世界に戻されてしまうのだ。十分に予測出来るはずなのだが、他者の存在が頭からすっかりと抜け落ちてしまう。気がつくと何時間も経っていたりする。

このように時間感覚が鈍いので、人との約束がある場合は家を出る10分前、20分前、30分前にアラームを必ずかけている。

不適合者だとバイトで悟る

初バイトはファストフード店。高校2年生だった。
欲しいギターを買うために、稼ぐ目標金額は10万円と設定した。
頑張ればすぐに稼げると思っていたが、現場はそう甘くはなかった。

ポテトを揚げるところからスタートしたのだが、手先が極端に不器用な私はとにかく容量が悪かった。動きがとろい上に、ポテトの配分が一度で均等にならない。「ピロリピロリ」という揚がった時のけたたましい音で集中が数分毎にリセットされる。

厨房は目まぐるしいスピードでハンバーガーやナゲットを作る先輩達で埋め尽くされ、注文の為に多くの客が長蛇の列を成している。

あらゆる方向から次の指示が飛び交い、どこかしこでヘルプが求められる。
私はその度に頭が真っ白になり、ただポテトを揚げるだけで精一杯だった。
正直全く戦力になっていなかったと思う。給料もまるで上がらなかった。

途中で作る事を諦め、ドライブスルーのレジ担当になった。
驚いたことに、この仕事はとても心地よかった。注文を確認してレジを打つだけの単純作業で数も多くない。時折車両の列が伸びることもあったが、視覚的には目の前にいる一台の車を処理するだけ。しかも注文時は客の顔が見えず、音声だけのやり取りで精神的にも余裕があった。

そして何よりも仕事途中で他のクルーからの横槍が入ることがとても少なかった。音声での注文の確認、レジ、会計。これだけをずっと繰り返していた。求められる表情も車が横に付けるまでのラグで準備できた。

仕事を自分のリズムで進められないと作業効率が著しく下がる事、
そして同時に複数の指示が入ると簡単にパニックに陥る事を学んだ。
少しずつ、自分は仕事が出来ないタイプの人間だと悟っていった。

インターン中の信じられないミス

その後もアパレル店、喫茶店、コンビニ、JR駅員、ジャズバーとバイトを複数掛け持ちしたが、接客業は突然客に話しかけられるという側面を持っていた。当然忙しい時はスピーディな対応が求められる。

客前での表情管理も難しい上に、異なる系統の業務を複数並行して行う事にストレスを感じた。とにかく一つのことだけに集中したかった。

大学4年時には、インターンとしてIT企業に入った。
そこではデスクワークを求められ、ネックである業務の横槍は最低限で、指示系統も一元化されていた。今までの職場環境の中で最も秩序が保たれ、ダントツに安定していた。

成果物を自分のタイミングで上長に報告すればよかったので、今までの仕事でとかく苦痛だった6〜8時間の勤務もそこまで嫌ではなかった。

しかしここでも上手くいかない。目の前の業務に集中するあまり、隣に置いていた、たっぷりのコーヒーを腕で勢いよく倒し、支給された自分用のパソコンを早速おしゃかにしてしまった。

よく自宅で食器を割ったり、飲み物を床に溢してしまうのだが、落とした時、つまり集中が切れた時に一瞬ラグがあり、飲み物や食器が床に飛散した時の初動対応がワンテンポ遅れてしまう。

残念ながらそこは今でも治っていない。

見え方として最悪だったと思う。コーヒーをパソコンに派手に溢して、1秒程フリーズして状況を把握後、急に焦り出すという始末だ。私が動き出すよりも、隣の席の先輩の「コーヒー溢れてる!」という指摘の方が早かったように思う。

何が恐ろしいかというと、次の週にも全く同じ事をして、パソコン計2台を壊してしまったことだ。流石に2回目は自分でもドン引いた。

最初は優しかった上司も、短期間で同じ失敗を繰り返す私を見て不思議そうにこう言った。

「もしかして過集中? 特性は仕方ないから、仕組みで解決しよう」

その言葉の響きがどうにも気持ち悪く、レッテルのように感じたのを覚えている。ニュアンス的にきっと良い言葉ではないだろう。どこなら私は歯車として上手く機能するのか。不安ばかりが押し寄せていた。

過集中という属性

当時調べた時は別のサイトだったと思うが、概ね以下の内容と一緒であったので一部引用する。

「過集中」とは、文字通り集中しすぎることを意味します。

ADHD(注意欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)のある子どもに見られる特性のひとつである「同じことをし続けたい」「切り替えがうまくできない」「感覚の過敏さ、鈍感さから疲れなどの感覚を感じてやめたり、周囲からの働きかけにうまく反応できないことがある」などによって、結果として過集中につながりやすい面があります。

つまり、ADHD(注意欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)の特性として過集中があるわけではなく、それぞれの発達障害の特性の結果として起こることがあるというだけであり、これが必ずしも発達障害のサインというわけではありません。

LITALICOジュニア「過集中とは?困りごとの対策例や発達障害に関する相談先も紹介します

うーん、いくらなんでも思い当たる節があり過ぎる。というか昔から身に覚えのある、仕事時の違和感はこれだったのかと腑に落ちた。

当時は上司の理解もあり、自分の人格や能力を否定するのではなく、対策を講じて仕組みでミスを回避する方法で定期的にケアしてもらっていた。本当にありがたかった。

一方で、「君はとても高い能力があるのに、仕事に全部の力を注いでいないよね。もう少しだけその力を仕事に使って欲しい」と言われたこともあった。

上司の真意はわかりかねるが、この言葉は今でも過大評価だと思っている。
私の中では得意な事と苦手な事の落差が激しいままだ。

周囲からの評価と自分の中の自己評価にどんどん乖離が生まれていく。

少なくとも褒められるような人間ではない。要所要所で天然だと言われることもあったが、恐らくそんな可愛いものではなく、隙あらば人様に迷惑を与えてしまうだろう、タチの悪さが横たわっている。

このじゃじゃ馬はいつになったらいう事を聞いてくれるのか。

IQテストとの邂逅

そんなある日、職場でIQテストを受けることになった。SPI等、新たに雇う人への試験を導入する一環で、文字通り社員としてテストする羽目になった。

インターネットで受ける全10問のとても簡単な問題で、これを解いて何がわかるのか、この問題を作っている運営元に教えて欲しいとさえ思った。
会社でやる意味がない。

解き終わると全問正解の文字が。推定IQ120以上らしい。流石に嘘だ。
被験者は60万人以上いたが、満点だったため、同率で1位と表示された。

その後職場でそのテストの話が挙がった。
職場の方々はあまり点数が取れなかったようで、IQ100前後の方が多い印象だった。素直に驚き、自分の点数を公にするのはその場では差し控えた。

とはいえ、テストの結果は管理部に送らなければならなかった為、結果的に社内の一部の人間には共有されてしまった。あまり気持ちのいいものではなかった。何だか色々と自分の中で整理がついてしまったからだ。

「過集中」というワードと、仕事時に顔を出す自分の社会不適合感。
今回のIQテストの結果。点と点が線になっている。

一度ちゃんとテストを受けてみたいと、この頃から考えるようになった。

一抹の安堵感

その後、WAISという知能検査を受けようと試みるも、電話口の看護師に「日常生活に困っている程、重度のレベルではない場合は受けられないこともあります。先生の判断で決まるので、一度診察に来てください」 
と言われ、一旦受験を断念した。

調査不足だった。お金を払えば受けられるものではなかったため、冷やかしのように見えるのを避けた。本当に困っている人の邪魔をしたくはない。

詳細は割愛するが、暫くしてコロナ禍が落ち着き、高知能団体としてTV等でも取り上げられるMENSAの試験が東京でも徐々に再開されていた。たまたま残りの枠に滑り込むことができ、2023年の年末にテストを受けた。

試験に関して具体的な話をすることは固く禁止されている為、詳しい言及は避けるが、何歳の時点で自分が受けても、直感的に解けるような気がした。


結果はメールで届いた。
IQ130以上あるとの文言。合格していた。


見た時、「やった!」という素直な気持ちと、「やっぱりか…」という残念な気持ちの両方が湧き上がってきた。

医療機関で診断されていない為、明言は出来ないが私は発達障害の可能性が極めて高い事が答え合わせとして出たのだ。

あの時上司に言われた「過集中」という見立ては正しかった。
そしてこの特性を改めて認知し、向き合いながら社会生活を送らなければならない。正直なところ、もっと早く知りたかった。

バイトといえど、社会に出るタイミングでこの摩擦に気付いた時のショックは、立ち直るまでに数年の歳月を必要としたからだ。原因がないまま対策するのは、単に自分の実力不足と解釈する他なかった。

幼稚園から小学生の子供達が何人もMENSAに入っている事を後で知り、心底羨ましいなと思った。悩みを分かち合える友達と出会えるし、そんな子供を持つ親同士も相談し合いながら子供の教育が出来る。

幾許か孤独感は薄れただろう。

今後の方針

私がMENSAの試験を受けたいと思ったきっかけは、応援していた(元)日向坂46の影山優佳さんが合格したからだ。

知的なコメントや番組内での立ち振る舞いに自然と惹かれていた。
彼女はMENSAに合格した事をSNSで以下のようにコメントしている。

複数の視点を持ちすぎて混沌としてしまう部分や頭が回転しすぎる部分を

自分の人生の中でポジティブに活かせたらいいなと思い、

それを分かりやすくお伝えできるような肩書きをと受けてみました✏️

影山優佳 Instagram

自分は彼女ほど能力が高いとはとても思えない。
しかし魅力を感じた人が、同じような特性で悩んでいた事にとかく安堵した。

もう少し身の周りの事が落ち着いたら、一度正式に医療機関に出向き、発達障害(かもしれない) その内訳を確認してみたい。またグループの中でこの問題と上手く付き合っている人の話を聞く機会があれば、積極的に出席するつもりだ。


昔から「変わっている」「何を考えているのかわからない」と言われてきた。


言われ慣れてしまったので今では何とも思わないが、ずっと抱えてきた理由の不明な「変」が、理由の明確な「変」になることは、精神的に大きな作用をもたらした。

今でも仕事をする際は、過集中に陥る事実を忘れていない。
蓋付きの飲み物をパソコンと離した場所に置いている。
油断をするとまたコーヒーを溢すような失態に繋がるとわかっているからだ。

いつか、この特性が人の役に立ったり、人生において機能する事を願ってやまない。

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