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『コンプライアンス!』『法令順守!』って簡単に言うけど、遵法義務はもうちょっと深い意味があるみたい…

  法律を扱うのは弁護士の資格であり、その弁護士資格は最も難しい(と言われる)司法試験を通過する必要がある。そんな難しい試験なのだから、法律の勉強は難解で、私のような庶民が学べるものではないと思っていた。

 しかし、立教大学法学部教授の瀧川裕英さんの著書『問いかける法哲学』を読み、その考えが大きく変わった。確かに法律自体、難しいものではあるが、「哲学する(考える)方法論」は他分野も同じであり、古来より立法するにあたって培われてきた法哲学の「思考方法」は十分に転用可能なものであった。

■法令順守(遵法義務)という言葉

  遵法義務を、この著者はこう解説する。


 「遵法義務とは、単に法のいうとおりにする義務ではない。法の内容を裏づける道徳的理由を尊重し、各自の信念や良心のみに従って行動することを止めること、そして法に大きく優越する道徳的理由がある場合には、法を是正するために尽力することである。つまり遵法義務とは、悪法を尊重しつつ是正する義務である。


 具体的に言えば、「キング牧師」である。黒人と白人を分ける人種分離法はその時代の当たり前であった。もし、法令順守の立場を絶対とする人がいれば、その時代、黒人であったなら差別を受け、逆に白人であったら差別をする立場となる。それでも、法令順守を重んじるのであれば、「法令順守だから。」と言って差別し、差別する立場を甘受することとなる。

 私はキング牧師の立場を支持したい。そしてこの著者の解釈を支持したい。現代の教育は完璧なシステムなのだろうか。そうでないとしたら、尊重はしつつも、是正するための行動を起こす義務が我々にはある。(『問題を問題として認識する力』を前提とする)


■教師のこれからの役割と〈50cm革命〉


 自ら学びに向かうためには、知識は与えられるものではなく、自らの興味関心・必要性に従い、主体的に獲得するものである。その方法を身に付ける場所に学校は変わる。教師の主な役割は、子どもと子どもを繋ぐ場のコーディネーター・ファシリテーターとなる。


 もちろん知識教授の場面は存在するだろう。でも子どもたちは、教師に頼っていればなんでも問題は解決すると思ったり、教師にただ聞けば答えを教えくれたりする存在と考えることはしなくなるはずだ。自ら餌を捕りに行く本能を忘れた飼いならされた生き物のように、与えられるままでいいわけがない。未来のことはあくまでも予想でしかないが、将来、このことが今よりもっと教育界の中心テーマとして掲げられることと思う。

 このままの日本では、間違いなく今より状況はよくなることはない。国力も経済も政治も、全ての質は低下する。その背後には、「これまでそうだったから」「法律で決まっているから」「法令遵守」という呪縛がある。


 現代に〈キング牧師〉はいるだろうか。おかしいと思うことに対して、世の中の「当たり前」を自らの信念に従って変革を促そうと声をあげ、人々を導く現代の〈キング牧師〉。今の自分はなれない。そんな器ではない。だからこそ、もっと学ばなければならないと思う。

 大きなことより、経済産業省の言う〈50cm革命(改革)〉をすることで大きなうねりを作って行くことが、先生方にできることではないか考えている。

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