故郷の先人・光治良と私とフランスと
ブローニュの森へ午後の日差しが斜めに差し込んでいた。さやさやと葉を揺らす風の音に混じって低く聞こえるのは、パリ市街をとりまく高速道路からの走車音のうねりだろうか。「パリに死す」の主人公伸子が、夫に身ごもった喜びを告げたのはどのあたりだったのだろうか、と、私は木立の間を歩きながら思った。パリを訪れた日のことだ。
「パリに死す」の作者、芹澤光治良は静岡県沼津市の生まれである。同じ静岡県でも、もう少し西部出身の私は、沼津とは中学時代魚市場見学に行ったくらいしか、なじみのないのが残念だ。その魚市場から狩野川を挟んだ対岸の、我入道の網元の家で光治良は生まれた。
彼の作品には、自叙伝ともとれる大作「人間の運命」を始めとして、故郷沼津の情景が繰り返し描かれている。随筆「ふるさとについて」のテーマは故郷の自然が壊されていることの嘆きである。
「パリに死す」には、主人公伸子が過去に鞠子という恋人のいた宮村と結婚し、フランスで娘萬里子を産み、結核で亡くなるまでの短い結婚生活が描かれている。この中にも、伸子が宮村の叔父の家に案内される場面がある。
叔父夫婦は喜んで歓迎したが、足の踏み場もなく狭くて、漁具をあちこちに積んで生臭い空気が家に漂っているようで、熱心にすすめられるが家に上がる気にならず、縁側に腰を掛けた。
伸子は決して輝くヒロインではない。宮村のかつての恋人に嫉妬し劣等感を抱いたり、夫の行動に疑心暗鬼になって悩んだりする。そんな姿に、ついつい引き込まれてしまう。一方娘の萬里子は、亡き母のノートを読んできっぱりと言っている。
母が一途に縋りつくように父を愛そうとしたことが悲しい。自分を生かすことで、良夫をも生かすという道が、女性にとって本道ではないか、と。とても魅力的な文だが実現は・・・難しそうだ。
沼津中学を卒業した光治良は、第一高等学校、帝大へと進み、ソルボンヌ大学で学ぶ機会を得、その後何度もフランスを訪れているから、そこを舞台とする作品が多いのも頷かれる。四人の娘に恵まれたが、結核を病んだり、癌を疑って悩んだこともある。また戦争経験者として、「死の影を見つめてー広島の記」などの平和の書や、「神の計画」などの神の書も多く残している。
すぐれた作家の作品は、無限の広さと深さをもっている。たった1200グラムほどの脳に、これだけの広さ、深さが秘められていることがが、不思議としかいいようがない。その作品にふれることで、読者の心も広がり、心を占めていた悩みさえ、小さいものだと知る。これが読書の楽しみ、喜びの一つだろう。
何度か渡仏する機会を得た私は、そこでさまざまな経験をした。人種差別にあったことも、フランス人の自己主張の強さに圧倒されたこともあった。「イタリア語もスペイン語もわかるけど、英語は海の向こうの言葉だからわかんないね」と笑っていたバスの運転手さんは元気だろうか。光治良の作品を読み返しながら、忘れていた思い出が次々と浮かんだ。
生まれた土地や、住んだことのある土地のことは、人間の記憶深く刻まれて消えないものだ。九十三歳で逝った私の祖母は、晩年、ずっと以前に取り壊されて思い出の中にしかない生家に、連れて行っておくれ、と何度も訴えた。多くの作品を残して九十六歳で天寿を全うした、光治良の脳裏に最後に浮かんだのは沼津の海だったのだろうか。それとも、パリのマロニエ並木だったろうか。
おわり
新潮文庫より一部抜粋
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