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ありがとう #シロクマ文芸部

「ありがとう」は感謝の言葉だが、必ずしも感謝を表しているわけではない。
ヘルパーをしていたころ、会社に電話がかかって来ると、受話器をとって
「お電話ありがとうございます。○○ケアセンターでございます」と言うように、と指示された。従ってはいたが、こちらの社名を言うだけでいいんじゃないか、と内心疑問を感じていた。この場合、申し訳ないが
「ありがとうございます」に感謝の気持ちが込められていたわけではない。
単なる挨拶代わりの意味合いが強い。実際、訪問介護の時間が迫っているときの電話はありがたくはないし。

詩の会で、ダントツで一席になった詩があった。それが

感謝の言葉は
数多あるが
笑顔を添えた
ありがとうが
一番いい

というものだった。え?これがポエム?どちらかと言えば格言に近いじゃないか、とわたしは合点がいかなかった。なんとなく「ありがとう」の言葉が
干からびて感じられる。難しく言えば形骸化している印象だ。

マックでバイトしていたころの「ありがとうございます」はもう惰性で
言っていたから、そんな軽い「ありがとう」もある。

では、本当の「ありがとう」は、どんな「ありがとう」なんだろう?
財布をはじめ貴重品一式の入ったバッグを駅のベンチに忘れたことがある。なんと馬鹿をやったものだ。他のことを考えていて、仕事の資料の入った大きな紙袋だけ持って電車に乗ってしまったのだ。「ない!」と知ったときの絶望感!震える手で最寄り駅に電話したら、「お預かりしています」の返事
駆けつけて受け取ったときは、泣きそうになった。最敬礼して
「ありがとうございます」
もう感謝しかなかった。こんなときの「ありがとう」は「ありがとう」を越えていて、「ありがとう」だけでは気持ちが伝えられない。

なんだか、くだらない経験を例にしてしまったが、もっと真に迫った
「ありがとう」もあるだろう。命を救われた場合のような。

言葉は、気持ちを伝えるものであるけれど、伝えきれないものだ。
何も言わないでいた方がいいときさえある。それでも言葉を大事にしていきたい。心のこもった「ありがとう」ばかりでは疲れてしまうから、挨拶代わりでもいいのかな。言葉の表せる限度を知っていれば。

               おわり


小牧さんの企画に参加させてください。
小牧さんお世話をおかけしますがよろしくお願いいたします


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