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ヘルパー日記8

Oさんは、住宅地の二階家にご主人と二人で住んでいた。通り2つほど離れた場所に、理髪店を開いている息子さんがいて、日に一度は両親の様子を見に来ていた。
Oさんは、認知症があるが歩行は可能、ご主人は食事とトイレ以外ベッドに横になっていて、二人で補い合って暮らしている様子だった。ただ、Oさんは認知症の人によくある、被害妄想があり、ヘルパーをなかなか受け入れようとはしなかった。

息子さんからの依頼で、ヘルパー事業所の責任者が訪問した時も、「うちはけっこうです。人様に面倒を見ていただくような、大層な家ではありませんから」ときっぱり断られ、家に入れてもらえなかったそうだ。こんなときは、息子さんに頼むしかない。「市役所から来たことにして下さい」と事前に打ち合わせをして、責任者のMさんと、担当することに決まった私、息子さんの三人でOさん宅を訪問した。

息子さんの「市役所から来てくれたよ、お母さんの様子が心配で、僕が頼んだから」の言葉が功を奏し、家の中の入ることができた。Oさんは、疑い深げであったが、すべてわかっているご主人が歓迎してくれたため、無事わたしは毎週水曜日の午後、Oさん宅を訪問することになった。仕事の内容は、掃除、洗濯、夕食の準備、ご主人とOさんのトイレ介助だった。

冷蔵庫の中には、息子さんのお嫁さんが、材料を入れてくれていたため、二人分の夕食のおかず三品は、なんとかできた。が、台所に立っているわたしをOさんは、居間の障子を開けてじっとみていることが多く、その観察するような目に怯えた。

あるとき、「わかってますよ、あなたが財布を隠したこと、よくも平気な顔でいられるね」とじっと私の顔を見ながら言った。内心動揺しながらもさりげなく、「そんなことしませんよ、そんなことしたら、市役所くびになっちゃいますから」と微笑みながら言った、つもりだったが、顔はひきつっていたかもしれない。

Oさんが「お金がないお金がない」というのを知っていて、息子さんが財布に小銭だけ入れて持たせていたのだが、Oさんはそれでは不満だったのだ。畳の上に小銭を並べ、ひい、ふう、と何度も数えては、こちらを見る・・・晩御飯の支度は監視つきで、いたたまらない気分になった。


老いが言わせた言葉
かわしきれずに
夕暮れの空
見上げて
帰る日

ご主人がお元気なころは、とりなしてくれたが、半年ほどで亡くなってしまわれた。一人になったOさんの認知症はますます進んできた。冬の寒い日、突然外に出かけてしまう。わたしは、ガスを止める間も惜しんで、エプロン姿のまま後を追った。流石に足は速くないので、すぐに見つかったが、「寒いから帰りましょう」と言っても無視して歩き続ける。しばらく二人で人通りのない裏道を歩き、Oさんが満足したころを見計らって「帰りましょう」と声をかけ、やっと帰る、そんなことを繰り返していた。

玄関のカギは内側から開くので、一人の時出ていってしまうのを警戒して、息子さんが外側からかけられるカギをとりつけ、台所の横のガラス戸からヘルパーは出入りすることになった。帰るときは、ガラス戸の上のOさんが気づかないところに取り付けた鍵を、外に出てからかける。見つからないよう、ひやひやしながら。

家の中でもOさんは気ままで、ふらふらしながら一人で二階に上がってしまい、階段が心配であとを追いかけた。二階は二部屋あって、広い方の部屋は物置のようになっていたが、狭い方の六畳間には置いたままの机、本箱があった。息子さんの部屋だったそうで、Oさんのお気に入りだった。息子さんと住んでいたころを思い出すのだろう。

あるとき、Oさんが、窓を開けて、「ほら」と外を指さした。そこには満開の金木犀が甘い香りを放っていた。

「この木は、嫁に来た時はこんなに小さかったのに・・・」とあまり言葉を話さなくなっていたOさんが、話し始めたのにびっくりし、それでもなにか嬉しくて、二人で香りの中で花を見つめていた。

「財布をとったの、あなたでしょ」とはその後何回も言われ、思い余って「担当を変えて下さい」と願い出たこともあったが、なかなか担当するヘルパーが見つからず、結局退職するまで通い続けた。

金木犀が咲くころになると、あの日の生き生きしたOさんを思い出す。

甘い香りと
鮮やかな金色の花が
忘れていた日々を
呼び覚ましたのだろうか
この花はね・・・と老女は話し出す
窓の外には一面の金木犀

                

           ヘルパー日記8おわり


この年の12月、わたしはケアマネージャーの試験に合格し、翌年3月から
ケアマネになった。介護保険業界のなかでまたまた、苦難が始まった。




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