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キッチン

 吉本ばなな、は大好きな作家だ。なにか感性が合う感じがする。作品を読むと心がほっと和むのだ。

 ほぼ全部の作品を読んでいるが、登場人物が、実に個性的で、「ふつう」ではない。そして、小説全体に死のイメージが、降りてきたばかりの霧のように、漂っている。死は生のほんの一部であるかのように。

「キッチン」は、ばななの処女作で

 私がこの世で一番好きな場所は台所だと思う。

 の文で始まる。主人公桜井みかげは、両親が若死にし、祖父母に育てられたが、祖父が亡くなり、大学生となった今、祖母までも他界してしまう。たった一人になった彼女が一番やすらぐ場所が台所で、冷蔵庫の横に布団を敷いて休んだ。

 確かに冷蔵庫は、生き物のように感じるときがある。ブーンと命が吹き込まれて、ふれるとなま温かく、少し震えていたりする。けれどもできあがった氷が器にガラガラっと落ちる音はロマンチックではない。台所で寝るのはわたしには無理だ。

 一人ぼっちになったみかげに、思いがけない訪問者が表れる。祖母が行きつけにしていた花やの店員、田辺雄一だ。彼が家に来ないか、と誘う。「困っていると思って」という理由で。闇の中に「一本の道」を見たみかげは彼のマンションに住むことになる。彼には美しい母親がいるのだが、それが実は男性で、整形していた、というのには驚く。まさに、ばななワールド全開である。

 雄一と惹かれあった原因は次のように記されている。

愛されて育ったのにいつも淋しかった。
ーーいつか必ず、だれもが時の闇の中にちりぢりになって消えて行ってしまう。そのことを体にしみこませた目をして歩いている。わたしに雄一が反応したのは当然なのかもしれない。

 みかげの作った料理を3人で食べる、という平和な暮らしは、なんと美しい母親「えりこさん」が殺されるという事件で幕を閉じる。そのときのみかげの心情は

足を進めることを、生きていくことを心底投げ出したかった。きっと明日が来て、あさってが来て、そのうち来週がやって来てしまうに違いない。それをこれほど面倒だと思ったことはない。きっとその時も自分が悲しい暗い気分のなかを生きているだろう、そのことが心からいやだった。

 ここを読んだとき、心が掴れる気がした。わたしと同じじゃないか!と。
大事な人を亡くして、未来が黒い幕で閉ざされてしまったように感じたあのころ、朝がくるのがたまらなく嫌だった。また、つらい一日が始まる・・・と。


 母(実は父)を失い絶望した進一は旅に出る。

2人の気持ちは死に囲まれた闇の中で、ゆるやかなカーブをピッタリ寄り添って回っているところだった。しかし、ここを越したら別々の道に別れはじめてしまう。今、ここをすぎてしまえば、2人は永遠のフレンドになる。

 みかげもまた、こんな危機感に襲われるが、なすすべを知らない。

 伊豆へ仕事で出かけたみかげは、深夜、宿を抜け出して同じく旅先の雄一のもとへ。なんと豆腐料理ばかりでうんざりしているという、雄一に
かつ丼をとどけるためだ。

 そして、雄一に語りかける。

・・・今より後は、私といると苦しいことや面倒くさいことや汚いことも
見てしまうかもしれないけれど、雄一さえもしよければ、2人してもっと大変で、もっと明るいところへ行こう。元気になってからでいいから、ゆっくり考えてみて。このまま消えてしまわないで。

 それに答える雄一の笑顔は、ぴかぴか光り、みかげは自分が”何か”をほんの数センチ押したかもしれないことを知るのだ。

 
 ばななの世界は現実より少し淡い。ほんの少し、地面より浮き上がっているように感じる。表現も洗練されているというより、感覚に正直で幼くさえ思える。でも、それが心地いい。現実の辛さを知れば知るほど心に迫る。

 そしてストーリーに見事にからんでくる調理の場面、要所要所に登場する料理に、キッチンには亡き人への哀しみと、それでも生きていく人の営みが詰まっているのだ、と知る。


 そんなキッチンに、わたしは立っている。今日も明日も、そしていつまでか分からない日まで…

                

              おわり


福武書店「キッチン」より引用


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