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何も知らない彼女は救われてない 『おかえりアリス』評 前編

男の娘が出てくるということで読み始めた押見修造の『おかえりアリス』。1巻から、男の娘けいちゃんの妖しげな魅力に取り憑かれてしまった。小悪魔のような仕草でどこかへ導こうとするかに見える慧ちゃんが、その実、道に迷っていることに気づかぬまま――。

『おかえりアリス』(全7巻)は、高校で再会した幼馴染3人組のけいちゃん(男の娘)、三谷みたに(女)、ようちゃん(男)の三角関係を中心に、性欲による苦しみや葛藤を描いた作品である。

前編となる本記事では、三谷と洋ちゃんという2人のキャラクターに焦点をあて、彼らの性がなぜ虚しいかを明らかにしよう。



それはそうと表情が良すぎる

本題に入る前にどうしても言わせてほしい。マンガという媒体における『おかえりアリス』の最も素晴らしいところは、微細な表情の描き分けによって登場人物の感情があまりに圧倒的な生々しさで表現されている点である。

大した読書経験が無い管見で恐縮だが、このレベルで表情を魅せてくる漫画家を他に知らない。眉、目、口、どうやったらこんなにリアルに語らせることができるのか。すごすぎる。

「洋ちゃん」と三谷から声をかけた次のページに、
口を結んだ三谷の表情が2コマある。
やや媚びた期待感と純粋な疑問の表情が、
返答内容に不満だが追及しづらいという顔へ。
描き分けがすごすぎる。(1巻 p.98)
買い物途中で分かれた阿野に合流する慧ちゃん。
直前に、物語上重要なメンタルブレイク事象が起きている。
何もなければ落ち着いた表情で合流する場面で、
「何かがあった」ことを隠そうとしているが少し漏れている絶妙な顔。(6巻 p.37)

そしてマンガとして優しいことに、「表情」や所作だけで語らせた中でも重要なシーンは、あとでしっかり別の人物の口から「言葉」によって解釈させている。場面からは読み取れなかった読者も「あれはこういうことですよ」という説明のおかげでメインストーリーから置いてけぼりにならずに済む。表情描写に語りを任せることで生じる欠点もカバーされている。

こういう微細な表情はやはり文脈の中においてこそ本来の輝きを放つので、ぜひご自身の手で漫画をお買い求めになって堪能してほしい。

ここから先は、ネタバレ全開である。


ざっくり登場人物を眺める

さて、『おかえりアリス』は、物語を登場人物それぞれの視点から追いかけることが作品テーマの理解につながる。まずは幼馴染3人組の洋ちゃん(男)、三谷(女)、慧ちゃん(男の娘)について把握しよう。

洋ちゃんは、性に興味があるけれど踏み込む度胸がなく、男として性的に劣等な立場から性に翻弄される。女の子にモテないことを感じながら青春を過ごした男子ならよく共感できる造形ではないだろうか。

三谷は、性的な自己評価を回復するため、女として優位な立場を得ようと欲望に素直に立ち回る。

そんな2人の前に、帰ってきた転校生として飛び込んできたのが、3人組幼馴染の最後の1人の慧ちゃん。

慧ちゃんは、男という性的な立場から「降りた」と宣言したにもかかわらず洋ちゃんや三谷と性的に接触し、彼らの性を掻き乱していくトリックスター的な存在である。

ではいよいよ、キャラクターごとに物語の中で何が起きたか見ていくことにしよう。まずは、三谷だ。

物語のハッピーエンドに、彼女はたぶん、救われていない。


三谷から見た世界

三谷というキャラクターの核にあるのは、性的な存在としての自分の優位を確立したいということである。

三谷にとって、高校で再会した慧ちゃんの様変わりした容姿は扱いに困るものだった。中学の頃、手紙で告白をして、「どう思うか確かめてみてもいい?」とキスされたが結局断られている。そんな自分を振って遠くへ行った相手が、女装姿で帰ってきたのだ。しかも、洋ちゃんを親しげに構う一方で、同じ幼馴染の自分にはあまり積極的ではない様子である。

1巻にて慧ちゃんの主催した幼馴染3人の再会パーティの帰り道、三谷は「分かんないけどくやしい」という感情になる。

悔しく感じる理由は、本人の意識の上では分からないことだが、読者視点では明確である。

入学式後の廊下で洋ちゃんに「高校では仲良くしようよ」と話しかけられたことで、三谷は彼の好意に半ば気付いていた。教室での初回の自己紹介タイムを済ませてから……のような自然なタイミングに先んじて、わざわざ話しかけられているからだ。

三谷に好意を持っている洋ちゃんは、三谷にとって己の性的価値を示す材料になる。

しかし、彼女の性的価値は慧ちゃんによって二度も貶められることになる。一度目は中学生のとき告白して振られたこと。そして二度目はこの再会パーティ。中学生の頃のかっこよかった慧ちゃん像を「あんなの僕じゃなかった」と本人に否定されたうえ、女の姿になった慧ちゃんに濃厚なディープキスをされた洋ちゃんは、三谷の目の前で勃起する。おおよそ自分のことが性的に好きなんだろうと思われる人物である洋ちゃんが、自分以外の「女」に夢中になって性的に興奮するさまを見せつけられたのである。

自身の性的立場が脅かされていることに、意識の上では気付かずに、しかし無意識ではちゃんと気付いている。ゆえに「分かんないけどくやしい」という感情になる。こんなものを正面から自覚するタフさを持った人はそうそういないわけで、実に人間らしい描写だ。

ここからの三谷の行動原理は、女としての自信を取り戻そうとすることになる。慧ちゃんを性的ライバルとして見て、2人の間にいる洋ちゃんの心を奪おうとする。あくまで、三谷にとっての性的対象は強男だった慧ちゃんであって、弱男である洋ちゃんを性的に見ようとは思えないのだから、ひどい欲望の三角形のような形だ。洋ちゃんは自分の性的尊厳の回復のための手段であり、そのとき彼の人格は全く考慮されずモノ化されている。

2巻冒頭にて2人きりのカラオケで洋ちゃんの好意を確認し、巻末では慧ちゃんの部屋かつ慧ちゃんを押入れからの傍観者にして、洋ちゃんの口から「付き合いたい」「三谷だけを見る」と言わせる。

何度見返してもやっぱり表情が良い。洋ちゃんを部屋に呼び出す前の「私…洋ちゃんのこと”好き”になってきちゃったかも」とか、1ミリも思ってないのに相手の好意を道具として利用するための空々しい態度が最高ですよね。

「かも」ですからね。嘘じゃない。(2巻 p.149)

で、三谷は洋ちゃんと付き合うことになるわけだが、もちろんカースト上位でもない洋ちゃんを性的に受け入れたいとは全く思っていないので、そういう欲求を表現されたときは拒否する。最初のうちは「まだ早くない?」とかそれっぽい言葉で誤魔化せるわけだけど、次第にそうも行かなくなってくる。そして、男として前に進みたいんだと迫られたときに、ついに「いやっ」という本音が漏れてしまう。「付き合っている」という幻想関係は崩れ、そこにはただ、発情の同意取り付けに失敗した弱い男と、弱い男に勘違いされているみじめさを相手に他責する弱い女の姿だけが残る。

翌日、夜中のコンビニで慧ちゃんと洋ちゃんがキスしていたという情報が出回り、三谷は洋ちゃんに確認する。そこで彼から得られたのは、確かにキスをしたし、それ以外にも別日に性的な接触があったということだった。三谷はそれに泣きながら「気持ち悪い」と反応する。付き合っているという関係性も客観的に怪しい今、洋ちゃんを性的に取り合うライバルとしての慧ちゃんに敗北する危機感が非常に高まっているからだ。けれど、あくまで洋ちゃんの性的な意識は奪っておきたいと感じている。そこで、錯乱状態のなか、持っている手札の中で最も使いたくなかった自分の肉体を、彼に差し出そうとする。女体こそ、体が男である慧ちゃんには絶対にたどり着けない最後の領域であるからだ。

しかし、これがまた上手く行かない。ムードもへったくれもないというのが一番の理由だとは思うのだが、洋ちゃんが勃たないのだ。自分が性的に提供できる最大のものをもってしても洋ちゃんを性的に誘惑できない(ように見える)ことの絶望が、「私なんて何の魅力もないんだ…価値が…無いんだ」というセリフに集約されている。

そこから三谷はもう一度、洋ちゃんという「男」の性質をよく考慮して性的に焦らしたうえで部屋に連れ込み、「ちゃんと」セックスをすることに成功する。そこには、自分の性的価値を確認できた安堵と、ほのかな虚無感がある。これについては後でまた触れることにしよう。

自分は洋ちゃんの「男」を十分に満足させることができる、という立場を確保した三谷は、次のステップとして、洋ちゃんという「男」に対して性的に優位に立とうと焦らしプレイをおこなう。

この性的なお預けは、付き合いたての頃の性的接触の拒否とは全く異なるものである。なぜなら、当時の彼女は勘違い弱男に求められて戸惑う同格の弱女だったが、今や弱男を手玉に取ることのできる格上の立場にいるのだから。ひとたび女とのセックスの味を覚えさせた洋ちゃんは、もう私から逃れることができない。男を性的に支配する立場。

ここには、自分の性的価値を二度も貶めた慧ちゃんという「男」への復讐感情も含まれている。その極地に達するのが、6巻でのデートシーンである。三谷によって徹底的に焦らされた洋ちゃんは乳首を触っただけで感じるところまで開発が進んでいた。その性的に屈服させられた姿を、街で偶然出会った慧ちゃんに見せつけ、何の発言も出来ず帰すことに成功するのである。ライバルの慧ちゃんから洋ちゃんを完全に奪ったことに加えて、女として男の性欲の主導権を完全に握り嘲笑する。これが三谷の望んだ到達点であった。

洋ちゃんの意識

洋ちゃんは、終始一貫して女の子と性的な関係を結びたいという欲望に囚われて苦しめられる存在として描かれている。

中学の頃から三谷が好きで、何度も妄想してオナニーしつつ、しかし校舎裏で三谷が慧ちゃんとキスしている場面を目撃してから、自身が男として劣等の弱男であるという意識に悩まされる。

高校で慧ちゃんと再開してからも、慧ちゃんにディープキスされて勃ったり手で抜かれたりした自分に困惑し、付き合っているはずの三谷が性的関係を進めようとしないことに悩み、拒絶に狼狽え、今度は三谷からセックスしようと言われたにもかかわらず勃たせることのできない自身の不能に絶望し、上手くセックス出来たはずなのになぜか苦しみがあり、性で男を操ることに嗜虐心をそそられた三谷による焦らしプレイに翻弄される。

性という股間の鎖で体を括り付けられていると感じた洋ちゃんは、その果てに自身の性器を切り落とそうと思い立つ。

なぜ2人のセックスは虚しいか

4巻後半にて三谷と洋ちゃんは初めてセックスという行為を一通りおこなうことができたわけだが、恋人同士のセックスから想起される幸せなイメージとは異なり、2人はお互いにそれぞれの虚無を抱えている。

三谷にとってのセックスは、自分の性的価値の証明であり、男という自身の性的対象への復讐である。それは体験そのものから得られる純粋な喜びではなく、相手をダシにして得られる昏い喜びだ。

そのうえ、洋ちゃんを焦らしプレイで性的に蹂躙するなかで、彼が肉体のうえでは屈服していても精神では抵抗していることを感じ取っていく。洋ちゃんが、精神的には三谷を拒絶していることが伝わってくる。それが面白くなくて、洋ちゃんを平手打ちして独り帰ったりする。

一方の洋ちゃんにとって、初めてのセックスの意味は、「ちゃんとできた」というところにある。一度目のチャンスを勃たなかったせいで流してしまったため、二度目に性的能力があることを示せたことは、男として良かった。

けれど、挿入しながら洋ちゃんが感じていたことは、「まるでオナニーみたい」ということだった。

なぜ2人のセックスは虚しいのだろうか。

彼らが自分たちのセックスを通して無自覚に実現しようとしているのは、自分の性的有能さを示すことだ。勃たなければ男失格……男に求められなければ女失格……。彼らはそういう性的観念を持っていて、己が性的に優れていることを証明したがっている。

「私」は魅力がある、「僕」はちゃんと勃起する、自分にはそういう能力があることを相手に認めてほしい。

セックスを、自分の価値を表すためにしている。

しかし、その目的の中には、相手の存在がない。お互いに、自分を証明するための手段として相手を見ている。その目に映っているのは相手のようでいて、自分のために使われるただの道具である。

自分の能力を示そうとすることが目的の人は、どこまで行っても孤独だ。だから、肉体的に最も近接するセックスの最中でさえ、心理的には遠く隔たっているような感覚になる。「オナニーみたい」と感じる。

だから虚しい。

だから孤独が解消されない。

2人でいるのに1人でいるように感じる。

無自覚な者は救われない

この自体の解決をより困難にしているのが、彼らが苦しみの原因に無自覚なことである。これは特に三谷において顕著だ。

三谷は自身の苦難の原因について、恐ろしいほど何も自覚していない。自身が性的アイデンティティの危機に立たされたことにも「よくわからないけど悔しい」と感じるまでだし、自分がなぜ好きでもない洋ちゃんを籠絡しようとしているのかまるで意識できたことがないだろう。あの日、慧ちゃんに振られて傷ついた脆い乙女心を認めたくないからだ。

はじめて内省するのが5巻終盤だが、男の子への復讐心という本心からピントのズレた答えを出すことで、問題の本質から無意識に目をそらしている。もちろんそこから得られるのは、洋ちゃんからの拒絶という失敗体験である。

そして最も恐ろしいのが、こうも無自覚な三谷に対して、「実はこうなんじゃない?」と言葉をかける存在がまるでいないということだ。

ここまで見てきた三谷の心理状況について、洋ちゃんと慧ちゃんはある程度まで分析しているし、共有もしている。そのうえで慧ちゃんは「洋ちゃんが救ってやりなよ 三谷を」なんて声をかけたりもする。が、三谷への直接的なフィードバックは無い。

三谷は何も知らない。

最終巻、阿野含め4人の集まる病室で、慧ちゃんと洋ちゃんが「男を降りる」という2人のテーマ(詳しくは後編にて)について恍惚としながら言葉を交わし合う場面。2人だけの世界で盛り上がろうとする彼らに、三谷は

おいてかないで…!

7巻 p.18

と叫ぶ。彼らには、何か今の苦しみを無くせる試みがあるらしい。私も仲間に入れてよ……。

しかし、三谷は苦しみを滅そうとする段階にいない。

洋ちゃんや慧ちゃんが、苦しみの元は自身の内部に宿る性欲であり、そこから解脱したいとイメージしているのに対して、三谷はまだ苦しみの源を自分の中に見つけていないのだ。男の子のせいとか、洋ちゃんが大切にしてくれないとか、慧ちゃんと洋ちゃんがまだ私を置いてきぼりにしてどこか良いところへ旅立とうとしているとか、そういう外的な要因に目が行っている。

自分のせいで自分や他人が傷ついていると知る者は、「私のほうがよっぽど自殺したい」なんて台詞を他人に言わない。

慧ちゃんにキスされ、感動的に優しい表情で「<女>だって降りられるよ」と囁かれた三谷は、感化された様子で「さよなら」と2人との恋愛関係に別れを告げる。

だが、家に帰った彼女は納得したままでいられただろうか。性の苦しみを解決するには、性から降りたらいいらしい。

では私はどうやって自分の性から降りたらいいのか?

というか、性から降りるとは具体的にどういう状態になることだ?

三谷はきっと、何も分からないままだ。


(後編へ続く) 



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