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基礎・基本を学ぶ必要性

基礎・基本って本当に重要?

初めに断っておくとこの記事は基礎・基本が重要と言いたい記事ではない。言いたいのはその逆で基礎・基本に拘り過ぎて挫折する人が多いだろうから、そんなのは捨てて最初から本題をやったらどうか?という提案記事である。

勘違いしていた学生時代

私はアマチュアながら大学生の頃からずっと数学が好きでやっていて学生時代には本テーマに関して今とは真逆の感覚を持っていた。その誤り(※今の感覚からすると)についてハッと気づかせてくれたのは、SNSの主に質問サイトで仲良くしてくれていた物理学の研究者である。
10年弱前の話にもなるので記憶がいささか曖昧だが、どこにでもありそうな質問内容は「量子力学を学ぶためには大学数学が分からないと駄目ですか?」という感じだったように思う。その質問に対して未熟すぎた回答者である私は「線型代数とか微積などの基礎をまずはしっかりやるべきだと思う」的な心の底ではその人を思っていない、回答をしたと思う(※おそらく心の中ではこういう質問をする人にどうせ学問は無理だ、的な歪んだ感情もあったのだろう)。これとは逆に、物理の先生は「量子力学をやりたいならば今すぐに量子力学の本を探して取り組むべきだ。テーマを選べば必ずしも高度な数学は必要じゃない」という回答をしていた。この回答を見て当時の私は恥ずかしさでいっぱいになった。

本題から入る事の大切さ

今の私はXをやりたいならXを深める上で必要となる基礎・基本からやるべきでは無いと思っている。
特に数理科学をやる上で応用数学であろうと必須になる数学は線形代数と微分積分であるが、例えばAI数学(※機械学習と呼ぶ)をやりたいなら機械学習の本からやるべきなのに高校数学までを完璧にしなきゃならないと思う層は多く、むしろ多数派な気がしている。殆どの選択はトレードオフなので勿論それに良いところはある(※後節で述べる)もののデメリットがかなり大きい。
デメリットは私が先ほど心の中で思ったと言った事付近にある。つまり「どうせ挫折するだろ」という侮蔑である。即ち基礎・基本には間接的モチベーションしか存在していないのにも関わらずハードであり、本題に到達せずに辞めるだろうなという感覚である(※そして実際的にもそうなるであろう)。

他分野もそう

このことは別に数理科学に留まらない。ひとつ例を出そう。
私は趣味で筋トレをしているのだが、昔から懸垂をしてみたいという思いがあった(※なぜならば公園で懸垂を見せつけることが出来るとカッコいいからである)。ここで悪い思考は、本題の懸垂に入らずに懸垂に必要な背中を一生懸命鍛えるべきという思考である。
例えば背中を鍛える代表的な競技にデッドリフトと言うものがある。そして実際に私はデッドリフトの沼にハマってしまい、少しでも懸垂が出来るようになったのは数年後である。
ここで懸垂→デッドリフトという思考は背中を強くするという意味でそこまで大きく間違えてはいないのがミソであり、しかも背中の筋肉の絶対量を増やすためにデッドリフトというのは最も負荷が大きい競技の1つであるから後々沼があった時にやるべきものになってくるかもしれないというのもある。
しかし、実際に懸垂をやってみたいというモチベーションから始まったのにも関わらず、基礎・基本にハマってしまい一向に懸垂が出来るようにならないではないか。筋トレはまだ良いが、数理科学の場合は基礎・基本に拘り過ぎるとそこから脱却するには慣性を崩すようなかなりの思考のエネルギーが必要になってくる。そしてほぼ100%に近い人間(※趣味勢)が本題に入る前に嫌になることだろう。

基礎・基本のメリット

では何故本題から入らないカリキュラムが存在しているのだろうか?
それは最先端に到達する速度が違う(※これは人生有限性の本質であり、学問的本質ではない)と信じられているからである。例えば数学のフロンティアに到達したいのなら、適切な抽象度で論を進める事が必須になる。例えば代数学の群・環・体と言うものはその典型であり、枠組みを「群を具体化した何か」にしても良いのだが、各ステップに通ずるものとして「群である事」が本質であった場合、より本質的にとある対象を理解し、より先に進むためには群を導入しなければならない。そうするとモチベーションとしてあった元々の対象を理解する為にはまず群を理解せねばならないという基礎・基本の理解にモチベーションが移ってしまう。
ではフロンティアに到達する上で必ずその障壁があると先人が知っている場合にカリキュラムはどう作られるだろうか?
もうお分かりのように、殆どの人はまずモチベーションの存在しない群を学ばせるカリキュラムを策定する。その結果大学の4年間の内に一生懸命代数学を学んだとしても一部の秀でた人間を除き、オチの存在しない数学の理解で終わるという悲劇を迎えることになる。
競争的ポジションを勝ち取りたいのならそれがひとつの局所最適解になっているものの、私はこれは数学の本質である所を損ねているのではないかと感じている。また、そうやって育つから人間が「歩みの自己肯定化」的本質を持っていることより、昔の私のような考え方を信じてしまうのだろうと思う。

勝負からの脱却

これは私の記事の中で何度も言っているが、「数学の本質は勝負では無く、自由」である。
我々は小学校からテストの点で勝負させられ、大学になってもそうであり、研究者になるとオリジナルの部分において局所的に世界一にならなくてはならないという業を抱えている。即ちそのストーリーにおいて数学は勝負であり、教えている側もそうなのでそこから脱却するインセンティブは存在しない。しかし、研究者とは学問にとって寧ろマイナーな存在であり、恐らくそれよりも多くの趣味勢が存在するだろう。
数学科には代数学、幾何学、解析学の全てを高いレベルに持っていこうとする人は多いが、自分の興味のない事など一切知らなくて良い。それよりもモチベーションがある時にそのモチベーションを否定せず自由気ままに学習する事の方が自分のメンタルにとっても大切なのではないか?
つまり、解析学に興味がある貴方が代数学の試験で100点を取っても社会は何も変わらないし、人によっては群・環・体を知らなくても全く問題ないし、恥ずかしくもないという感覚は大切だ。

応用数学のすすめ

応用数学は色んな人にとって面白いものであるからもっと広まれば良いのにと思う。
ひとつ例を出すと前回紹介した「ゲーム理論」は人の行動原理を知る上で面白いと思う。

この記事を書く上で参考にした本は数理モデリングをかなりしっかりやっているので、初心者には難読だが、例えばブルーバックスやその他入門的な本、同じ著者でも数学成分が少なめな簡単な方の本も存在する。
ここでゲーム理論はミクロ経済学を進んだ先にあるから、最初にミクロ経済学を学ぼうとか、経済学部1年生の必履修科目はミクロ経済学の他にマクロ経済学もあるな、それもやらなきゃという思考があまり必要ない思考であるとこの記事では述べた。

まとめ

モチベーションがあるならぜひ本題から入り、必要に応じて基礎・基本を学びなおすのが良いのではないでしょうか?
挫折する必要のない所で挫折するのはもったいないです!
もっと気軽に自由にやれば良いのだと思います。

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