無料で百合を読もうとする乞食の戯言讃歌【踊り場にスカートがなる 3/2】

踊り場にスカートが鳴る2/2に目を通してくれた読者であればこの「3/2」という珍妙な文字列の意味を理解できるであろう。

自分事ながら己の計画性のなさに驚かされることが度々ある。
3/2とはまさにその表象である。

前語りが長くなってしまうと前回と同じ轍を踏むことになってしまいかねないので、
早速。


「……知ってたよ」
「ききは昔から あたまのほうが好きなこと」

ききのパートナー役である、紫苑の台詞。
「たいやきのあたまが好きかしっぽが好きか」という二元論的な議題を用いて主人公の趣向について言及するシーンである。

このシーンにおいてたいやきの二項対立はまさに「社交ダンスの男役(リーダー)か女役(パートナー)か」の二項対立に置き換えられる。

紫苑はききがたいやきはあたまの方が好きということを知っている=紫苑はききが心奥では女役を望んでいると知っている
という認識で間違いないだろう。

そう心得ておけば次のページで紫苑から切り出される「別れ話」も、動機が「紫苑がききのことを嫌いになったから」という線を排して安心して読み進めることが可能になる。

百合ライフハックである。

「制服は好き」
「可愛いものを罪悪感なしで着られるから」
 


二話冒頭より。ききの独白。
初めて見たとき、本当に度肝を抜かれそうになった。
1、2話を通じて最も好きな台詞と言っても過言ではない。

率直に疑問なのだが、この表現は男性に可能なのだろうか?
ちなみに私は男であるが、こういったフレーズは何百年生きながらえようと浮かぶ気がしない。
もし作者のうたかた游氏が男性ならば脱帽モノである。

女性同士の交信による繊細な心情の描写こそ百合文学の本懐に違いないが、こういった女性にしか表現し得ない独白をピンポイントで鑑賞することができるのもまた百合文学である。天晴。


「いや何言ってるんですか? 食べたら運動ですよ」


ききとペアを組みリーダー(男役)を務めようと一点張りの後輩・鳥羽見の台詞。
二話にしてレズは策士と言われる所以を見せつける。

が、同じ一迅コミックには一話にしてメインヒロインに重箱弁当を二段食べさせ強制嘔吐させた女もいるため、鳥羽見の策略は相対的に常識の範疇カウントである。
上には上がいる。


「リーダーをやりたいじゃだめですか?
無理とか難しいとか考える前にやりたいって気持ちのほうが勝つんです」


二話終盤での鳥羽見の台詞。
策士の直後にこれ。
精神の気高さのアップダウンに脳震盪を起こしそうになる。

この台詞は物語序盤のテーマであろう「現実と理想の葛藤」に対する一つのアンサーになりうる。

結局、凝り固まった諦念を破壊できるのは理屈を除いたまっすぐな感情なのではないだろうか。

「好きなことを好きなようにすること」の匙加減を問う。
常識、通念、他人の目、そして何より自分の目。
彼女たちは作中で、私たちは現実で問いと向き合っていくのだろう。


「…一曲踊ろう」
「最後に」


もはや何も語るまい。
こういう台詞をきれいに出せるのはこの作品最大の強さの一つである。


「____なんで逃げるんですか!」
「…ねえ先輩」
「物事はぜんぶ中身を見るまでは」
「本当の部分は分からないようにできてるんですよ」


百合哲学。イデアの概念を唱えたプラトンもこんなこと言ってた気がする。


「本当は あの子のパートナーになってみたい」


実質的な告白(邪推)。



以上が『踊り場にスカートが鳴る』1・2話の感想である。
いくら何でも最後が勇み足すぎるように感じるのはおそらく気のせいであろう。画竜の睛は入念に仕上げたはずである。

やはり1・2話を丁寧に読んでみると後の展開も同じように続きも丁寧に扱わねばならないという有意義な自戒の念が湧いてくる。
まだ他の作品に触れていないため言い切れはしないが、この作品はかなり優先度が高くなりそうな予感がする。


名残惜しくも『踊り場にスカートが鳴る』は以上である。

では、新たなる百合との会遇を求め、いざ別の作品へ。

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