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映画はお好き?

映画って、多くの人が好きで受け入れられるものだと思ってた。

しかし、「映画はなかなか観ない」、「なんなら映画とか映像系は苦手」、って思っている友達が実は身の回りにいたことを最近知った。

きっかけは、友達と歴史についての雑談をしていた時だった。私は歴史を好きになりたいけれども歴史の暗記はどうも苦手で、ここぞとばかりに歴史が大の得意である友達にコツを聞いてみようと思った。まずは手始めに、「歴史好きなんだったら、大河ドラマとか見るの?」と尋ねてみた。
すると、彼女からは、「や、一回も見たことない。むしろドラマとかは苦手かも。」というあっさりした答えが返ってきた。
私は個人の好みに対して口うるさくするタイプではない(と信じている)。普通はみんな、相手のこだわりや趣味や好き嫌いを淡々と受け止めることができると思うし私も基本そうだ。だがその時ばかりは、映画大好きな自分が、その発言に対して確かにショックを受けてしまったことを感じた。

「ショックを受けた」と言ったが、最初に断っておきたい。映画が苦手な彼女を嫌いになったという話では全くないのだ。
むしろ、後の話に繋がるが、この出来事のおかげで映画について考えるにあたりとても重要な見方を取り入れることができたのでむしろ刺激的な体験となった。

映画より本派、の彼女に言われたこと

その子が言っていたことは、こんな感じ。
・文章の方が圧倒的に理解しやすい。
・ドラマは決められた時間スクリーンの前に座ってなくてはいけないので苦痛。
・ドラマは、自分が内容が理解できたできないに関係なく進んでいってしまう。本は自分が理解したら前へ進める。

はあなるほどなーと思った。私が高校生の時にまんま同じことを言われたことがあったからだ。
映画が好きであまり本を読まなかった私に対して、先生は「本は自分のペースで理解して進めていくことができるじゃないですか。映像もいいけれど、読書も進んでしてみるといいですよ。」と言ってくれた。実際、当時の私にその言葉は響いたようで、その年の夏休みから本格的に読書に励むようになり、フツーだった現代文が得意な科目になった。(そう思うと、本好きの人の方が映画好きよりも頭がいいみたいな話にも思えてくる。)

私が例の彼女に、「私、歴史がどうもできないんだけど、楽しめるようになりたくて。歴史の勉強になんかコツとかあるの?」って聞いたら「まあ無理に好きになろうとしなくていいんじゃない?笑」って切れ味の良すぎるナイフでスパッと返された。

映画好きの私が歩み寄ってみてもいいですか?

じゃあそれと同じように、映画好きな私が、映画を好きになれない人たちに歩み寄ろうとするのは不必要なことになってしまうのだろうか。

ここで同時にある体験を思い出した。
私はある時、海外の大学で映画分析や批評や映画史、映画理論について勉強したいと思っていたのだが、海外大学に留学に行くためには学内選考を通過しなければならなかった。学内選考の最終ステージとなる面接で、関西弁で話すガハハなおじさんタイプの教授に質問を受けた。

「君は、映画が好きじゃない人とはどう分り合いたい?」

恥ずかしいことに私は映画が好きでありながら、好きではない人とどう分かりあうかなんて正直考えたことが記憶になかった。その唐突で核心をついた質問に私はどうやって答えていただろうか。

少なくとも今の私だったら、「観る人が内容を理解できなかったとしても止まってはくれない」という映画の性質が関わっていることに目を向けながら答えたと思う。

映画は言葉に加えて映像という要素も用いて表現がなされる。書き手が生み出した言葉や文章だけなら数通りの解釈で済むところが、映像という要素も掛け合わさることでもっと複雑な表現と解釈のパターンが生まれる。それなら、何かを体系的にビシッと理解するには本が向いているかもしれない。なぜなら解釈の可能性を広げるものとしてではなく、できれば1通りの解釈で物事を理解してほしいのなら、盛り込む要素を最低限に抑え、言葉のみで論理的に伝えられるからだ。

しかし、芸術に触れる上で、「理解できないこと」にぶつかる大切さもあることを伝えたい。

「映画」という長い説明を頑張って聞く気持ちでいたいだけ

1時間の映像があったならば、それは作り手による1時間にわたる表現なのだ。
私たちが本を読んでわからないところは時間をかけてゆっくり理解をするように、映像の作り手だって、時間をかけて何かを表現をしている。私たち観る側は、その長い長い’説明’にじっくり向き合わなければならないのだ。もしかしたらその’説明’が終わって、結局何が言いたかったんだろう?ってわからないままかもしれないし、もしかしたら次第にわかってくるかもしれない。それは自分次第だし、完璧に理解することばかりでなく、よくわからないことに出会う経験自体だって自分と世の中を知るいい機会になるのではないか、と私は思う。

そんなことがいつか、誰かに伝わって、映画が持つ可能性に1人でも多くの人が救われてほしい、。

フランス語を学んでいて、「100%理解できない事柄もたくさんある」と先生に言われたことがある。これは、言語と言語に触れる者との関係のみならず、映画と映画を観る者の関係においても重要と言える価値観だと私は考えている。

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