「被害者であることをやめた」空魚とオーセンティシティの話

裏世界ピクニックの主人公の話と、メンタリストDaigoの動画にて知った「オーセンティシティ」という概念が繋がったのでメモ。

・オーセンティシティとは
「自分に素直に/忠実に生きること」「生まれ変わっても自分に生まれたい」というような感覚らしい。

個人的には「自分の思い通りに、自分らしく在ること」と解釈しております。過去にそれを実現できて生を楽しんでいたので。

・裏世界ピクニックの主人公空魚について

陰キャオタクかつ依存性サイコパス、好きなものとそうでないものに対する扱いの差が無自覚に激しくクソ度胸。
自己評価が低い部分もあれど、客観的にはわりといいやつな面もあるというなんとも人間臭いキャラクター。
群れるのを好まぬ故の客観性の乏しさ、自己評価と他者評価の乖離が陰キャには「あぁすげぇ分かる…」ってなるんじゃないでしょうか。

空魚ちゃん、親がカルトにどハマりしていまして拉致られたり学校に迷惑かかったり災難な身の上、3巻にてこんな台詞があります。

「カルトから逃げるにしても、戦うにしても、自分のことをかわいそうな被害者だと思っている限り、私はあいつらに人生を支配され続ける。だから、考えを改めたの。あいつらは私の人生になんの関係もない。私の主導権は私だけのものだって。(後略)」


結果的にはそのカルトは…な結末なのですが、この発想で人生の主体性を取り返した訳ですねこれまさしくオーセンティシティ!なんじゃね?という連想でもってこの記事を書き殴っています。ただそれだけです、帰るなら裏世界ピクニックかそいねドリーマーをポチってから帰れ。アニメ化もするから今が旬だぞ、読め。

空魚は被害者をやめれば加害者になる? いやそれも違うなと葛藤がある中、鳥子に「共犯者」という肩書きを与えられ、それが「新しい居場所」になったと…あぁ尊いですね。
もう全ての舞台設定とイベントが強烈にこの女と女の関係性を強く具象化する方向性に働いていて、心が満たされます。
個人的に「共犯者」したことある相手との関係はズブズブに深くなった経験などがございまして、もう4Bの鉛筆で何度も何度も塗りつぶすように関係性は濃くなりますよ…
共犯者ってフレーズ大好きです、エモい。退廃的なもの好きで、メンヘラ入ってる人には深く突き刺さるんじゃねぇかな

ま、それはさておき。
この著書のインタビュー記事が最高に頭おかしくて大好きなのですが、異世界ピクニック読むとその片鱗を理解した気になれます。読もう!買おう!拝もう!
そんな訳で、人と人との関係性を鑑賞するのは楽しいぞい。

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