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犬になりたい理由

 犬になりたい。犬ってのは、楽に生きていける。もちろん、その飼い主次第というのはあるけれど、それは人間だって同じだ。親次第だ。だから、そんなことを議論するつもりはない。
 まず、あれだ。余計なことを考えなくていい。
 おおよその人間は、ただ飯にありつけると聞くと喜ぶ。が、それが何週間、何か月続くと、少なからず後ろめたい感情を抱くものだ。何もしていないのに、本当にいいのだろうか。相手にとって、負担にはなっていなかろうか。罪悪感というやつかもしれない。しかし、犬にはそれがない。目の前に餌を置かれれば、喜んでそれに食らいつく。何年間もだ。しまいには、餌に食らいつかないなと不思議に思ったら、冷蔵庫を鼻で指し、こんなのはいいからさっさとデザートをよこせと吠える。彼らの人生に、後ろめたさはない。
 それから、些細なことで狂喜乱舞できる。もし、人間である私たちが、今日のデザートは生のトマトだ、なんて言われたらどうするか。デザートなどど期待させておいて、結局のところ唯のトマトじゃないか、と不満を漏らす。まあ、昨今のトマト事情を鑑みれば、一概に不満を漏らすわけでもあるまいが。何にせよ、犬は喜ぶ。干した小魚、たった一つまみで舞う。前足で床を蹴り、私の周りを駆け巡る。果たして、獲物は私の方だったのか。やっとの思いで器までたどり着いて、さあ私の手にある獲物を明け渡そうと思えば、器に盛られるのを待たずして、私の手から奪おうとする始末。行儀の悪い子だが、犬だから許そう。べっとりと付着したよだれは、後で洗い流すとするよ。いやはや、ほんの数秒で平らげてしまう。特段美味いもんじゃないと記憶しているがね。私の舌が肥えてしまったのかな。今じゃあ、素材を味わおうとなんか、なかなかしないものな、私たちは。君は幸せだよ。
 散歩に連れて行けば、ところどころ、何もないところで止まって、地面やら棒やらの匂いを夢中でかいでいる。匂いフェチというやつか、あれは。
 ああ、このあいだの氏神様、頼み損ねたお願いは、私の来世を犬にする、でどうか頼みます。


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