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鬱と宗教

私の家は無宗教よりの仏教だ。仏教といっても初詣に神社に行くくらいしかしてないのでほぼ無宗教といってもいいだろう。
私は常に何かに救われたいと思っている節がある。手っ取り早いのが宗教というわけだが悪いイメージを持ちがちだし、そもそも心が健康になった時にわたしには宗教は必要ないのかもしれないといつも調べることなく思考を終わらせてしまう。
死んだ時に救われたいのではなく死ぬ前に救われたい。いつか心が楽になる時が来るなら宗教だって信じるが信じた先にあるものが破滅だった時の絶望を味わいたくない。死にたい気持ちと死にたくない気持ちが同時存在する肉体を、早く解放して幸せになるならそれなら宗教を信じて早く死んでしまってもいいのかもしれないと悪魔が囁いてくる。宗教を信じて死んでいった人はちゃんと救われているのだろうか。自分たちの神を信じることで死の瞬間怖くないのかもしれない。それだけがただ一つの救いだ。
傾倒することで楽になるのならお手軽に推しを作ってみるのも手なのかもしれないが、それは生きている時に救われるもので死後を保証するものではない。わたしが欲しいのは生きている間の安楽と死を安らかにするものなので話は戻るが何かを信仰した方が良いのかもしれない。

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