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カルマ特別委員会について vol.3


vol.1〜2を通して、日々の生活でカルマ特別委員会を意識することが増えたのではないでしょうか。

今回はカルマ特別委員会の真相に迫ります。

因果応報と公正世界仮説

vol.1にて、カルマ特別委員会は因果応報を司る委員会だと紹介しました。良い行いをすれば良い報いが、悪い行いをすれば悪い報いがある。原因(行い)に応じた結果(報い)になる。それが「因果応報」です。

これに共通する考え方を見つけました。

公正世界仮説」をご存知でしょうか?
公正世界仮説とは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みです。また、この世界は公正世界である、という信念を公正世界信念といいます。(Wikipediaより)

詳しくはこちらをご参照ください。⤵︎


私たちはこの考えを小さい頃から刷り込まれてきました。猿かに合戦、カチカチ山、舌切り雀など。イジワルな者には制裁が下され、心優しき者に幸福が訪れる。世界はこうあるべきだという理想、信念、正義は大多数の人が持つものだと思います。

被害者への非難

この世界公正仮説が顕著に表れるもののひとつに「被害者への非難」があります。
例えば、ある女性が痴漢をされたとします。短いスカートを履いていた女性が悪いんだという人もいますよね。痴漢は被害者の行いによって引き起こされたことだから自業自得だと。
そういう人は公正世界説によって非合理的な考え方になってしまっています。

IT起業家の関口舞さんは公正世界仮説についてこう述べています。

「誰もが秩序ある世界であってほしいという理想があるので、被害者に非があったほうが納得できるし、何の原因もないのに被害にあう世界であってほしくない。被害者が悪いと思った方が安心できるので、その原因を被害者に探してしまう傾向がある」


実際、被害者の服装が痴漢を誘発することはあると思います。ですが、適否は疑いようもなく、加害者に非があります。容姿や服装がどうであれ、勝手に他人の体に触っていいわけがありません。

こういった場合、どこに原因があるのかを重要視してしまうとおかしなことになってしまうのではないかと思います。誰が法を犯したのか、単純な視点で物事を捉える必要があります。なぜなら原因と悪が一致しない場合があるからです。それに、原因を辿ると原因の原因があってそのまた原因があって、全てが全てに誘発されていると錯覚することがあります。「原因」はそう簡単に特定できるものではないため、原因を重要視するあまり責任を問うべき人を誤ってしまうことがあると思います。

被害者が悪いという意見も理解はできますが、それは被害者を責める反面、加害者を肯定することになります。加害者の行いが軽視され、被害者は痴漢被害に加えて非難に苦しみます。それこそ公正性に欠けるのではないでしょうか。

公正世界仮説の是非

公正世界仮説は認知バイアスと言われています。さきほどの例のように悪い方向に働いてしまうことがあります。しかしそれはごく一部で、公正世界仮説は倫理観の基盤となる良い考え方だと私は思います。公正であろうとする意識がなければ世界は破綻してしまうことでしょう。
公正世界仮説自体が悪いわけではなく、それによって非合理的な考え方になってしまうことが問題です。
解決策として、公正世界仮説を認識することが大切なのではないでしょうか。公正な世界であって欲しいという意識は誰しもありますが、それを意識している人は少ないのではないでしょうか。いわば深層心理のようなもので意識の範囲外で意識しているものだと思います。
自分の理想とは違う事実を受け入れられないあまり、自分の理想を事実にしてしまう。そういう考え方になっちゃいがちだよねってことを認識する、自分の思考の癖を自覚することで非合理的な考え方を防げると思います。

世界は公正であるとは言えません。そもそも世界はこうであると断言できる人なんているのでしょうか。公正や平等、平和などといった概念を事実として断言することは困難です。だからこそ世界はこうであると強く願ってしまうのかもしれません。

公正世界仮説は一種の護身術だと思います。自分が理由もなく不幸な目に遭わないように、世界は公正であると決めつける。そうすると良し悪しが明瞭となる。不幸な目に遭ったときは自分の今までの行いが悪かったからと自分自身を納得させる。理由があると安心する。理由が分からないと不安。
公正世界仮説は安心材料となるのです。


カルマ特別委員会の真相

実は、カルマ特別委員会にも同じことが言えます。
因果応報を司る委員会が常に私を監視している。私の行動に応じた報いを下す。カルマ特別委員会は絶対で、干渉することはできない。だから悪い行いはしない。
カルマ特別委員会は、こうあるべきだという強迫観念によって生み出されたものなのかもしれません。「こうあるべき」というのは自分と世界に対しての理想です。その理想に反する者を制裁する絶対的な存在=カルマ特別委員会 がいると安心します。絶対的であるゆえ、私たちを正しい方向へ導いてくれるのです。自分の判断が正しいかどうか分からないときがたくさんあります。カルマ特別委員会は「報い」を通じて私たちにそれを教えてくれます。
そうやって自ら絶対的な存在を作り出すことで自分の行いの可否を委ねることができるし、どんなことが起きてもカルマ特別委員会が理由になる。出来事を自分の中で消化することができる。

不確かなことが多い世の中で、人々は安心材料となる絶対的ななにかを求めているのでしょう。それが世界公正仮説だったり、カルマ特別委員会だったり、はたまた宗教だったりします。

人々の強迫観念が絶対的ななにかを作り上げます。それは人々を善行へ導いたり不条理から守ってくれたりします。しかし、ときに不条理を正当化することになり不条理をまた生み出します。自分の身を守るためのもので他人を傷つけてしまうことがあります。

自分が本当に求めているものは一体なんでしょう。それを見失うことなく、絶対的存在と付き合っていきたいものです。

これからも私はカルマ特別委員会の監視の元で生活しますよ。

ちなみに最新の情報によると、地獄の大江裕もカルマ特別委員会なのではないかと言われています。

いかにもな風貌

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