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カマドウマについて

これは(多分)高校一年生のときに、カマドウマに遭遇してその気持ちを赤裸々に綴ったものです。多少書き直しをしているところもありますが、ほとんど当時のままの文章となっております。所々おかしい言葉遣いがありますが、勢い任せに描いた真実味としてご理解いただければ幸いです。



目が合った。クソキモい奴だった。ウマオイの茶色バージョン。まあまあデカくて触覚クソ長くて足もクソ長くてほんとにほんとにクソキモい。だから咄嗟に閉じ込めた。近くに透明のこけしケースがあって良かった。
閉じ込めたから安心。意外と跳ねない。バンバカバンバカ跳ねられたらたまったもんじゃないから。だが、大事をとってこけしを錘として乗せておいた。安心。
調べれば、「カマドウマ」って言うらしい。名前は立派だな。『徘徊すると不快な虫』と書かれている。実にそうだ。どうやら、カマドウマは数多くの人間のトラウマとなってるらしい。実にそうだ。本当に気持ち悪い。
奴を見ると寒気がする。
奴はケースの側面を登ろうとしていた。が、3、4歩のところで落ちてしまう。ツルツルしているケースに奴のギザギザは通用しない。それなのに何回も何回も登って落ちて登って落ちてを繰り返す。
仮に上まで登れたとしよう。その先はない。底のない箱に閉じ込めたのだから、ジャンプして箱を持ち上げない限り、脱出できない。
そう、お前は面に包囲されているのだ。
上まで登れても、上にまた壁があると知ったら奴はどうするのだろう。ほんとに。どうするのかね。脱出を諦めるのだろうか。はたまた違う方法で脱出を試みるのだろうか。ジャンプをして箱を持ち上げようとする頭脳と脚力は期待しないが。
もう寝る時間なのだ。あたしが目を覚ました頃には死んでいて欲しい。もっとも、あたしは奴に見守られながら寝るのが本望でない。
「死んでいて欲しい」なんて、たとえ相手が虫でも言ってはいけない言葉だ。世間では「虹色の戦争」という歌が流行っている。「人々は平和を謳うがその一方で平気で生物を殺めている」。そんなことを歌っている。しかし、私は今、命や地球のことなど一切、頭に無く、この恐怖から逃れたいのだ。ヤツが死ぬことは恐怖からの解放を意味する。死んでほしい。心からそう思ってしまう。文字に起こしてしまうほどそう思っている。
倫理観を一瞬で変えてしまう。奴はそのくらいおぞましい。
第一、バッタ類は恐ろしい。テレビで見たことがある。大群になって飛び、次々と荒地にしていく。なんて恐ろしい奴らなんだ。
第二、虫は恐ろしい。刃牙で見たことがある。虫(なんの虫かは忘れた)が人間ほどの大きさになると、ビル(何階のビルかは忘れた)を飛び越える跳躍力があるのだ。
勿論、跳躍力だけでなくスタミナ、繁殖力、その他諸々、人間より長けている。恐ろしい。ぶっちゃけ、人間ほどの大きさにならなくとも、大群になって人1人を襲えば毒などなくても殺すことが可能だろう。人間を殺すことが奴らにとってメリットになるかどうかは知らないが、とにかく、恐ろしいと思う。
虫は体力オバケだ。そう。オバケなのだ。虫ではない。オバケだ。身体能力も、ビジュアルもオバケだ。恐ろしいからオバケなのだ。
これ以上、人間の元凶とならないことをただただ願うばかりである。

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