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言葉を失った瞬間が1番幸せ

こんにちは!

金魚乃蜜です。

宇多田ヒカルさんの曲の中に、

「言葉を失った瞬間が1番幸せ」

という歌詞が出てくることを、ふと思い出しました。

この曲の歌詞の意図はわかりませんが。

音や文字が組み合わさって言葉になり、言葉に意味を見い出していますよね。

私達にとっては当たり前過ぎるほど、当たり前の事というか。

そうそう、一時、瞑想中かなんかの時に、頭の中が言葉にならない瞬間があったんです。

ただの文字がフワフワしてるだけというか、文字が羅列にならないというか。

その時、なんとも言えない、安心感に包まれたんです。

頭の中に言葉がなかったら、幸せなんじゃないかな、と気づいたんです。

言葉に意味を付けて、それがストーリーになり、苦しみになる。

私を苦しめているのは私(解釈)であって、事実が私を苦しめているわけじゃない。

それを実感したんです。

起きている事、事実はいつだって中立。

良い悪いで判断するものではないらしいんです。

でも今はまた、頭の中で文字は瞬足で言葉になり、意味を付けて、

「このままじゃダメだ。優秀にならなければ生きていけない。認められなければ、怒られないようにしなければ…」

と、グルグル堂々巡り。

「お金が◯円くらい貯まればオッケーにしてあげる。転職すればオッケーにしてあげる。離婚が成立すればオッケーにしてあげる。パートナーが出来ればオッケーにしてあげる」

自分に対してジャッジの嵐。

ありもしない未来への期待。

今この瞬間の否定を、無意識に繰り返しています。

幸せって考えるモノじゃなくて、感じるモノですしね。

お風呂入って、

「はー、気持ち良い」

とか、

ご飯食べて

「はー、美味しい」

とか、

仕事が終わって家に帰って、

「はー、やれやれ」

とホッとした時とか。

思考が消えた瞬間、幸せを認識することが出来るのかなと思います。

海外に行くと、言葉がわからないからホッとする部分もあります。

そんなに頻繁に海外に行けないけど、今年の5月に台湾に1人旅に行ってきまして。

日本語が聞こえてこない事、看板を見てもなんとなくしか意味がわからない事が、なんだか嬉しかった。

日本に帰って来て、広告の多さ、実家の父のテレビの音の大きさなどにストレスを感じました。
(そうでなくても父のテレビの音の大きさには毎日ストレスを感じていますが笑)

帰国してすぐは、とにかく頭の中に言葉が入って来るのが物凄く嫌で仕方なかった笑

以前、「奇跡の脳」っていう本を読んだ事があります。

脳科学者の女性が脳卒中になり、文字が意味のわからない記号にしか見えなくなり、言葉を読み取る事が出来なくなった。

けど、それがなんとも言えない幸福感で満たされているという、実話らしいです。

言葉が頭の中から消えたら、幸福感で満たされるって、なんとも言えず不思議ですね。

赤ちゃんも言葉がわからないので、ありのまま、そのまんま、考えない、感じるだけの世界にいるのかもしれませんね。

赤ちゃんに戻る事も、言葉の意味を消す事も出来ないけど笑

考えるな、感じろ!ですね笑

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