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先生! 一方的な契約打ち切りって、許されますか?〜フリーランスの契約事件簿

第5回

ビジネス街の中、一本の路地を入ったところにひっそりと佇むバー「Legal」。この店は、契約の悩みを抱えるフリーランスが夜な夜な集まることで知られている。どうやらそこには、フリーランスの悩みごとに答えるさすらいの弁護士がいるというーー。

その日、開店と同時に店を訪れたのは、3人の男女。噂を聞いてやってきたのだろう。

「えっと……季節のフルーツカクテルを」
黒板を見ながらおずおずとオーダーをしたのは、先月フリーランスのインテリアコーディネーターとして独立したばかりのカナだ。
「わたしたちも同じものを」
そう言いながら、カナの友人夫婦のケイコとコウタもスツールに腰をかける。

「本当にココでいいんだよね?」
カナが不安そうにケイコに目をやると、ケイコは「ほら」とすばやく視線を動かした。
視線の先には、カウンターのすみでバーボングラスを傾ける男の姿。

「さすらいの弁護士、マスダさんですよね?」
ケイコに声をかけられた男は、グラスをそっとおくと「聞きましょう」と微笑んだ。


契約の一方的な解消でトラブルに

先月、10年間勤めた家具メーカーを退職し、フリーランスのインテリアコーディネーターとして活動を始めたカナ。早速、会社員時代に取引のあった企業から、「独立したなら、今度ウチがオープンするカフェの内装を」と依頼を受け、滑り出しは上々だ。

「それで、初めて契約書というものを結ぶことになったのですが……。先方から送られてきたドラフトに目を通したものの、文言がさっぱり頭に入ってこないというか……。とりあえず署名をすればいいのかなと思いながら、一応フリーランスの先輩でもある友人のケイコに相談してみたら、そこですごく怖い話を聞いちゃったんです」

カナの言葉を引き取って、ケイコが話し出す。
「私はフリーランスのエンジニア、夫のコウタはフリーランスの家具職人です。わたしたち2人とも、契約に関して苦い経験をしていて。カナには同じ轍を踏んでほしくないんです」

ケイコには、取引先から依頼を受けてアプリ開発を行ったものの、納品段階になって「ほかのアプリを採用することになった」と依頼を取り消された経験があるという。完成したアプリは受け取ってもらえず、報酬も支払われなかった。
「担当者が突然電話してきて、納品は不要ですって一方的に。契約書もなかったし、どうしていいかわからずに、結局泣き寝入りしてしまって……。思い出しても腹がたつ!」

「ケイコちゃんがそんな目にあったあとに、今度は僕です。僕が作っているのはオーダーメイドの家具なんですけれど、ある取引先から納品後に『仕様と違うので契約を解除する』って言われて。仕様書と違うといっても、細部のデザインですから、とんだ言いがかりです」

契約書は取り交わしていたが、この契約書が曲者だった。

「本来100万円で受注した家具なのに、仕様と違うことを理由に先方は支払いを拒否。そのうえ制作物の所有権は先方に帰属する、契約解除後もこの効力は存続するという契約条項を盾に、納品した家具は返ってこなかったんです。契約解除によって生じる損害賠償金という名目で10万円が振り込まれたのですが、10万円では材料費にもなりません」

カナは、グイッと身を乗り出した。
「契約書がないからって突然納品を拒否されたり、契約書があっても不利な契約解除をさせられたりなんてことがあったら、フリーとして安心してやっていけません。先生、契約解除のトラブルを防ぐ方法、教えてください!」

契約解除トラブルは約4割のフリーランスが経験!

「これを見てください」
3人の話を聞き終えたマスダは、バッグからタブレットを取り出して画面を見せた。

「フリーランス協会がまとめたフリーランス白書のデータです。取引先とのトラブルとして、『契約の一方的な変更を受けた』という回答が38%にも上っています」

出典:フリーランス白書2020

「フリーランスの仕事スタイルは、請負契約か準委任契約によるものが多いです。
完成した仕事の対価として報酬が支払われる場合は請負契約、決められた時間・期間で事務を行う場合などは準委任契約と位置付けられます。
契約の解除がされた場合であっても、業務を行った事実が消えるわけでもありません。ですが、契約解除を理由に、それまでの業務に対しても一切の報酬が支払われなかったというケースもあるところです。契約を中途で解消する場合はトラブルに発展するリスクが非常に高いため、あらかじめ契約書でどんな場合に契約を解消できるか、その条件などを定めておくことが大切です」

契約書がないケースでは?

「でも正直、契約書を結ばずに始める仕事も多いんですよね……」とケイコがため息まじりにもらす。
ケイコが見舞われた契約解除のトラブルも、まさに契約書を結んでいない取引先とのものだった。

マスダも大きく頷く。
「ケイコさんの体験したトラブルも、口頭で契約の解除を伝えられ、契約書もなかったというケースですね。この場合、もし裁判を起こすとしても、取引先から『そもそも発注をしていない』『ケイコさんが勘違いして、勝手に制作を始めたものだ』などと言い逃れされてしまう可能性もあります。契約書が重要なのは、トラブルがあったときにも強力な証拠となるからなんです」

「ただ、そうはいっても現実には契約書を結ばないことも多いでしょう」とマスダは続ける。

「まず、ケイコさんが取引先から依頼を受けてアプリを制作した、という実績はある。この成果については、報酬を支払うように請求できます」

契約書という決定的な証拠がない場合は、先方からケイコに有償でのアプリ制作の依頼があり、ケイコがこれを受託していた(つまり、先方との契約があったこと)が推測できる証拠の有無が鍵となる。

・メール、チャット、SNSなど、先方とのやりとりの記録
・依頼された業務のために行った作業の記録
・一方的な契約解除であることを示すメール、手紙などの資料
・成果物

これらはすべて、取引先のために活動していたということを裁判所に客観的に認定してもらうための証拠となり得るという。メール、チャット、SNSなどのやりとりも、すべて保存・保管しておくことが重要だ。

「これまでの関係性で、『契約書を作ってほしい』と言い出しにくいこともあるでしょう。
そうしたときは、先方と話した内容を証拠となる形で残しましょう。たとえば、打ち合わせ内容を改めてメールで送るのも一案です。お互いの認識にズレがないことが確認できるうえ、トラブルになったときの証拠ともなり得ます。そして、送ったメールに対して「了解しました。」等といった承諾の返信をもらうように心がけましょう。一方的にメールを送っておくだけでも、その後の事情によっては契約の証拠となることもありますが、あくまでも原則は、双方の意思が合致していることが証拠によって裏付けられていることが重要となります」

お世話になっております。
先日はお打ち合わせをありがとうございました。
以下のご依頼内容で業務を進めてまいりますので、よろしくお願いいたします。
依頼内容 健康管理アプリの制作
納期 2024年7月1日
検収 貴社にて納期から5営業日以内に仕様書と適合しているか確認をお願いいたします。納期から5営業日以内にご連絡がない場合には、仕様書と適合し、検収に合格したものと取り扱わせて頂きます。
報酬金額 30万円+税
報酬が発生する時期 納品時に20万円+税、検収合格後に10万円+税の支払い。報酬発生後30日以内に、当方指定の口座にお振り込みください(手数料は貴社のご負担でお願いいたします。)

口頭で話した内容を、文書にまとめてメール送付することでも、トラブル時の証拠に。

フリーランスを守る法律を味方に

また、下請法(正式名称は「下請代金支払遅延等防止法」)、独占禁止法(正式名称は「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」、通称「独禁法」)もフリーランスを守る盾となる。

「資本金1000万円以上の企業は、資本金1000万円以下の企業や個人事業主と下請対象取引を行う場合、下請法の規制を遵守する義務があります
下請法には、受領拒否の禁止、という規定があります。一方的に契約を解除し、成果物の受け取りを拒否してはならない、ということですね
また、発注の際に、その内容をきちんと書面で交付することも、企業側の義務として規定されています。
下請法に違反すると、公正取引委員会から勧告を受けたり、場合によっては刑事罰の対象となったりすることも。こうした事態は企業の価値を下げるもので、資本金が大きな会社にとっては避けたいことですね」

また、個人事業主よりも企業のほうが立場が強いことを笠に着て、支払いを遅延したり、一方的な契約解除、受領拒否をすると、独占禁止法の「優越的地位の濫用」に抵触すると判断されることもある。

「さらに、2024年11月1日にはフリーランス新法(正式名称は「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」)が施行予定です。フリーランス新法においても、適用対象取引について、発注主はフリーランスに取引条件を書面又は電磁的方法(メール等)で明示すること、責めに帰すべき理由がないにもかかわらず受領拒否や返品をすることを禁止しています。自分を守る法律の存在を知ることも大切ですね」
 
「なお、今回の皆さんの取引についても、それぞれの法律が適用されるかはもっと事情を伺って検討する必要があります」

いつのまにか3人はノートとペンを開いて、「独禁法」「下請法」「フリーランス新法」とメモをとっている。
口々につぶやきながらポイントを書き記す3人の表情は、真剣そのもの。落ち着いた「Legal」の照明も心なしか明るくなり、授業の様相を呈してきた。

契約書に不利な条項がないかチェック!

「でも先生……契約書があってもひどい目にあった僕のようなケースもありますよ」
片手を小さく挙げて発言したのは、家具職人のコウタだ。

マスダはコウタに向き直ると、「そう、それもポイントです」と大きく頷いた。
コウタはリュックからクリアファイルを取り出し、マスダに手渡す。
「これが、そのときの契約書です」

眉間にシワを寄せながら契約書に目を走らせると、マスダはこうつぶやいた。
 
「まず、コウタさんが作る家具の所有権は、発注主が持っており、解除の影響を受けない、ということが明記されています。」
 
「それから、ここも。仕様書に合致しなければ、その程度の如何を問わず、発注主は契約を解除できるという条項も入っています。」
 
「ううむ、これもです。この契約によってコウタさんに損害が生じたとしても、賠償額は10万円が上限だ、と決めていますので、今回の解除による損害賠償の請求も10万円が上限とされますね。」
 
完全に発注主に有利な契約書です」

コウタはガクッとうなだれた。
「契約書なんて形だけのものだと思って、ろくに読んでいなかったから……」

「契約書は結べばいい、というものではありません。内容が先方に著しく有利になっていることも少なくありません。業務内容や報酬額だけでなく、どの段階で報酬が発生するか、不利な規定が入っていないかをチェックすることも大事です」

マスダは、契約の解除以外にも、受注者側となるフリーランスが契約一般に注意すべき条項の要旨として、次のようなものを挙げた。

・所有権・知的財産権の帰属先
 例:本契約に基づいて作成された目的物の所有権及び著作権などの知的財産権は取引先に帰属するといった内容。

・秘密保持条項
 例:フリーランスは、取引先が提供した一切の情報について、本契約締結中及び本契約終了後は第三者に漏らしてはならない、といった内容。

・ペナルティの条項
 例1:本契約に違反したら、理由の如何を問わず、違約金10万円を支払う、といった内容。
 例2:フリーランス都合で本契約を解除する場合には、取引先はフリーランスに対する本契約の報酬支払義務を免れる、といった内容。

・競業避止義務
 例:フリーランスは、本契約を締結した日から本契約終了後2年の間、取引先と同一同種の事業を関東地方で営んではならない、といった内容。

・損害賠償額の上限
 例:本契約によって取引先がフリーランスに支払う損害賠償額の上限は10万円とする、といった内容。

ペナルティ条項、競業避止義務、損害賠償額の上限が書かれていたら、この条項は外してほしい、修正してほしいと交渉することをおすすめします。特に競業避止義務を課されたら、フリーランスとしてほかの取引先と仕事をすることができなくなってしまいますよね。その取引先との契約が終わったあと、一定期間、仕事ができなくなってしまうリスクを含んでいます。どうしてもこの条項は外せない、一切修正もできないといわれたら、契約を結ばない、仕事を断るという判断も必要でしょう」

契約書は業務を進める指針になる

「僕の場合、向こうに有利な解除の権利も設定されていたし、所有権の帰属、損害賠償額の上限も書かれていた。でもその契約に合意してしまった以上、争うことはできない、ということなんですね。高い勉強料だったけど……よくわかりました」

コウタは自分を納得させるように、何度も小さく首を振りながらそう言った。

「先方から契約書を提示されたとき、不利な条項があれば、まずは内容の変更を求めましょう。変更に応じてもらえない場合、内容によっては契約を断るのも選択肢のひとつです。文言でわかりにくいところがあれば、取引先に『この条項は、具体的にはどういう場面でしょうか?』と直接確認するのもいいと思いますし、弁護士や専門家に相談をするのもよいでしょう」

「契約書ってトラップっぽい……」
熱心にメモをとっていたカナがぼそっと呟く。

「なんとなく契約書なしで業務がスタートしちゃうことも多いけど、本当は結んだほうがいい。でも、契約書を結んだとしても、しれっとこちらに不利なことが書かれていることもあって、気づかないと大変な目にあったりする。気づいたとしても、交渉できない場合もあるかもしれないし、面倒なこといって仕事がもらえないと困るって考えるフリーランスも当然多いですよね。契約書の攻略、むずかしすぎません?」

カナはフルーツカクテルをあおるように飲み干した。

「いえいえ、そんなことないですよ。契約書はお互いの条件を整理するきっかけにもなりますし、仕事を進めるうえで気をつけなければいけないポイントを押さえるためにも役立ちます。
それに、不利な契約を迫るクライアントは、その後、業務を進めるなかでも一方的な要求をしてくる可能性が高いとも考えられますよね。契約書は、長くお付き合いできる取引先かを判断する材料にもなるんです」

「う……、確かに。毎回、契約書をこまかく読むなんて面倒すぎるって思って、ちょっとヤケになっちゃったけど、逃げてちゃダメですね。企業と対等な立場で仕事をするためにも、契約って大事。この契約書も、しっかり読み込まなきゃ!」

契約を解消するときのポイントは?

店に入ってきたときとは打って変わって、すっきりとした面持ちのカナ、ケイコ、コウタ。
「先生、お会いできてよかったです! ありがとうございました!」
グラスをあけ、腰を浮かせる3人を、マスダが呼び止めた。

「ちょっと待ってください。契約解消のトラブルは、解消される側になるとばかりは限りませんよ。みなさんが解消する立場になることもありえます。実は、フリーランス同士の仕事でも、契約の解除でトラブルになることがあるんです」

3人はすっと席に座り直すと、「マスター、おすすめのカクテルお願いします」と次なる1杯を注文した。

「たとえば、企業と業務委託契約を結んだものの、業務量が想定よりも多かったり、報酬の支払遅延があるなどで、フリーランス側から契約の解消を希望する場合もありますね。しかし、一方的に契約を解除すると、損害賠償を求められるなどのトラブルに発展する恐れがあります。

また、別のフリーランスの方に仕事をお願いしたけれど、なかなかうまくいかなくて契約を解消したい、ということもあるかもしれません。契約を解除する際に必要なことも、知っておくといいでしょう」

マスダは、契約の解除に必要な手順を次のように整理した。

STEP1 意思表明の文書を作成する
契約を解除する際には、前もってその意思を相手方に伝える必要がある。

STEP2 内容証明郵便で送付する
契約解除の意思表明は、原則として、相手方への到着をもって効力を生じる。
確実に到着したことを証明するためにも、普通郵便やメール、チャットなどではなく、内容証明郵便での送付がのぞましい。配達証明とセットで利用することで、いつ、誰から誰に、どのような内容の文書を送付し、いつ到着したかが証明できる。

「また、契約書にあらかじめ、このような条件のときには契約を解除できる、という条項を入れておくこともポイントです。事前に中途解約の条項を定めておき、その条項に基づいて解除することを『約定解除』といいます」

約定解除として盛り込まれる条項の例としては
・報酬未払いが⚫️カ月以上続いた場合
・⚫️日以上の納品遅延があったとき
・取引先に対し、本契約を解除する日の⚫️カ月前に申し出たとき
などがあり、そのパターンはさまざまだという。

「契約書に約定解除の条項がない場合、法律に基づいて契約の解除を進めることになります。その場合は、相手方に非がなければ、解除はできません。
契約を解除するときのポイントは、解除されるときのチェックポイントの裏返しです。一方的に解除すれば、相手から損害賠償を請求される場合があることも十分に予測しておかなければなりません」

「フリーランス同士で仕事をお願いするとき、お願いされるときも、きちんと契約の条件を合意することが大事ですね。たとえ仕事がうまく進まなかったからといって、自分がされては困ることをほかのフリーランスにしてしまうことがないようにしなくちゃいけないですね」
3人のなかでいちばんフリーランス歴が長いケイコがゆっくりと考えを整理すると、カナとコウタも唇をキュッと結んで頷く。

「さ、今日の授業はここまでです」とマスダは茶目っけたっぷりにほほえむと、バーボングラスを掲げた。

「先生に礼!」
3人もおどけて席から立ち上がると、深く礼をして笑い合うのだった。

こうして今日も「Legal」の夜は更けていくーー。

この話はフィクションであり、「マスダ先生」は架空の人物です。
また、この話はモデルケースであって個別の事情により結論が変わることがあります。そのため、具体的なご相談については、下記の中小企業法律支援センターまたは監修者までお問い合わせください。

監修者プロフィール
益田 樹(マスダ・タツキ)

弁護士法人ダーウィン法律事務所・弁護士。
中小企業法務(訴訟対応、契約書作成・確認など)、交通事故、漏水・火災、業務災害などの損害保険業務、不動産取引トラブル、相続手続、刑事事件など、さまざまな分野を取り扱う。
「同じような悩みを抱えている人がいれば、ぜひ私の所属する東京弁護士会の中小企業法律支援センター(https://www.toben.or.jp/form/chusho1.html )に相談ください」


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