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あの頃の夏休み。早朝のおにぎりとサービスエリアのカレーライス。

少女は暗がりのなか目を覚ます。
両親の話し声、布の擦れる音、水の音...
点と点をつなぎ合わせるように、ぼんやりとした頭で考える。

8月10日
カレンダーの大きな赤丸。
「おばあちゃん家!!」

田舎の祖父母の家まで車で7時間。
少女は毎年この夏休みの帰省をなによりも楽しみにしていた。

前日、はやる気持ちを抑えながら荷物を詰めたボストンバッグに躓きつつせっせと準備を済ませる。

サンダルを引っかけ一番乗りで外へ出ると空はまだ薄暗く、まるでどこか見知らぬ街のようだった。
時刻は朝の4時。
いつもとは違う匂いがする。
少女はぐるりとまわりを見渡した。

いつもは空っぽのトランクに、これでもかとぎゅうぎゅうに荷物を詰め込む。
最後に弟が眠そうな足取りでやって来て助手席へすとんと収まる。
「さぁ、出発だ。」
その声に車のエンジンがブォンと元気よく返事をする。

早朝の出発というのは特別だ。
なにもかもが「トクベツ」なのだ。

いつもならまだ寝ているはずの時間。
そんな時間でも通りに出ると車は走っているし、コンビニはその存在感を知らしめるかのように明るく光っている。
私の知らない間にも世界まわっていたんだ、と少女はこの時実感する。

途中、近くのセブンイレブンで朝食を買う。
弟とカゴにこっそりお菓子を入れた。
こんな時間にコンビニで買い物なんて、ワクワクする。
アルバイトらしき店員があくびを噛み締めた顔で面倒臭そうにレジを打つ。
少女にとっては特別で非日常的な時間でも、この人にとっては当たり前の日常らしい。
もったいないの。
少女は少しガッカリする。

たっぷりとしたレジ袋をふたつ抱えて車へ乗り込み皆でそれぞれの朝食をとる。
車の中で食べるおにぎりは特別な味がする。
幸せそうに齧り付く少女を眺めながら母親が微笑む。
「おいしいね。」

やがて車は高速道路を走る。
心地よい揺れが眠りを誘う。

ガタンという音と振動、後ろから微かに聞こえる両親の話し声。
少女はいつの間にか眠っていた。
トランクを開け荷物を漁っている音だと気づくのに少し時間がかかった。
もう祖父母の家に着いたのかと思い、眠い目を擦りながら窓の外を覗く。

そこはどこかのサービスエリアだった。
空はすっかり明るくなり太陽が顔を出していた。

ドアを開けると、冷たくて気持ちのいい風が頬をかすめる。
大きく息を吸う。
新鮮な空気が入り込み身体中の骨や筋肉、内臓や血管までもがひとつひとつ深呼吸をして目を覚ます。

周りは高い山に囲まれ、都会のジメジメとした不快な空気を知らない風がふわりと少女をくすぐる。
遠いところに来たのだと実感する。

固まった体を伸ばしながら自動ドアをくぐり抜け、食堂へ向かう。
食券を買って食べるご飯は特別感があり少女を更に高揚させた。
少し薄い味のカレーライスをぺろりと平らげ、一息つく。

一行は車に戻り、単調な道をひたすら進んでいく。
しばらくすると弟の寝息が聞こえてきた。
満腹感のせいもあり、少女もまたうとうとし始める。

少女は父親の運転する車の後部座席、母親の左隣で眠るのがとても好きだった。
小さく流れる少し前に流行った音楽と、両親の何気ない会話、弟の笑い声、そんなあたたかく幸せな時間の中で安心感に包まれゆっくりと眠りに落ちるその瞬間が好きだった。

少女はまた、子供ながらにこの時間はとても儚く尊いものだと薄々感じ取っている。
それが有限であることを知っている。
だから心の奥の大切な場所に、いつでも取り出せるようにそっと仕舞っておくことにした。

少女は柔らかい眠りから目覚め、麦茶で渇いた喉を潤しながら窓の外を眺める。

外の景色は段々と建物が減っていき、山や森に変わっていく。
流れていく緑、緑、また緑。
世界が緑に染まる。

やがて見覚えのある道へ出る。
あの大きな家まであともう少し。

目が痛むほどの青空とくっきりとした入道雲。
風を受けてなびく青々しい田んぼと虫の歌声。
きらきら光る小川のせせらぎと冷えたスイカ。
シャツに染み込む汗と水色のビーチサンダル。
そして大好きなおじいちゃんとおばあちゃん。

今年も、少女の夏休みがはじまる。

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