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コンビニ行く時もプロであれ

こんばんは。
今をときめく立派なアラサー!
今日も酔いどれ、
だけど仕事は残ってる!

そんな感じでポチポチと
書いていこうじゃありませんかぁ。
(仕事しろ。)

「コンビニ行く時もプロであれ」
その言葉は果たして人生を導く名言か、
それとも私を縛る呪縛なのか。

私をこの道に連れてきたうちの重要な1人が
言った言葉だ。
彼には私の行く末が、
混沌たるものだと
見えていたんじゃなかろうかと思っちゃう。

当時私は個人経営の
洋服店でアルバイトをしていた。

ただの学生アルバイトだった私に
彼ははっきりと強い語気で言い放った。
なるほど。
その言葉に圧倒されて
帰りしな、1人反芻しながら帰った。

つまり。
つまりだ。一介の販売員としてでなく
常に人に見られる、
人をファッションの世界に導く“プロ“として
常に人の目を意識して生きろ。
そう、ハタチそこそこの私は、
暗い夜道で結論に至った。

コンビニに行く時だよ?
深夜お酒が足りないやぁ、とか
タバコがなくなったぁ、
そんな時も、プロとして人前に立つ。

アラサーになった今までずっと意識していた。
時を経て販売員ではなくなったけれども、
この道のプロでありたいっていう
プロ意識がそうさせる。

歩けば数分のコンビニに行く時も、
私らしくあるのか、
私の推し出したい世界が
身なりに表れているのか。

考える。常に考える。

勿論、常に綺麗にビシッとキメている訳じゃない。
コンビニにはコンビニに相応しい、
着崩した、だけどどこか小慣れていて、
そして私の愛する思春期のような痛々しさ、
それがあるのか、ないのか。

世帯臭くなってない?
大丈夫?
私の世界はそこにある?

常に私を俯瞰で監視する。

ふと、街を歩いてみれば
人は自分にそれほど意識を向けていないことも
もう大人の私は気がついているけれど、
それでも、
裾の折り目数センチ、
カットソーのシワがないこと、
靴の爪先がいかに綺麗か、
そんな細かい気配りに
全体の雰囲気(雰囲気という言葉は好きじゃないけれど)が
いかに左右されるか知っている。

だけども。
それは私を生きやすくしているのかしら。

確かに、あの言葉は私をここまで連れてきてくれた。

でも、
常々うんざりする時もある。

人を待つ待ち姿、
タバコに火を点ける所作、
スマホを持つ指先。
ひとつひとつに
「コンビニ行く時もプロであれ」
この言葉が内在している。

うんざりする。
どうしてこんなにも人の目を気にしているのか。

そもそも自信などないから
こうして身なりを整える。
ファッションで人に私たるものを伝える。

嗚呼、
結局自信がないのだわ。

でもその自信のなさを、
ファッションで昇華して
プロであるよう努めて、
この道のプロとして、
自信のない“君“に、
綺麗な景色を魅せてあげたいよ。

あの言葉をくれた彼は
どんな気持ちで
この言葉を語気強く、語ってくれたのか。

わからないけど、
ファッションは
私たちの肌を、精神を、
補強して
もう少し、胸を張って生きてみるか、
そんな気持ちにさせてくれるから。

うんざりしては、
助けられる。
「コンビニ行く時もプロであれ」
その言葉は名言か呪縛か。

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