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「事実」を扱ったフィクションの見方 「兎、波を走る。」から考える

2023-7-9、東京芸術劇場で「兎、波を走る。」を観劇した。
以下ネタバレしかない。



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「兎が通り過ぎると人が消える」

「そのワード頭にチラチラしているんだけど……」「拉致」

「妄想するしかない国」「もう、そうするしかない僕ら」

「平熱38度線」

「地上の楽園」

散りばめられたモチーフーー振りかけられたフィクションは不思議の国のアリス、鏡の国のアリス、桜の園。
ただ、フィクションの中の現実を隠す気がない。
実際の事件の中の人物名が出てきたことに驚いた。
「エッグ」「フェイクスピア」では、無辜の民が主人公であり、その事件の具体性は見る人達の記憶に委ねられていたように感じる。
事実、御巣鷹山事件を題材にした「フェイクスピア」では、私は最後までなんの事件か分からないまま泣いた。

ただ、この物語ではそのワードがひどく直接的だった。兎という比喩も最後には「拉致工作員」「特殊拉致工作員」と明言され、拉致するための手順が一から説明された。そのシーンの尺はかなり長く、そのあともその手順でアリスがさらわれて行く様を再び演じていた。
その事に違和感がある。
どうして?と思っている。

そして、そうされてしまったが故に、私はこの作品から意見を持つことが出来なくなってしまった。
(さらには、アリスを攫った工作員側の事情ーーアリスに小型の無線機を使用しているところを見られてしまったから彼女をさらわざるを得なくなったーーまで語られる。そんな些細なことで一人の人生を、ということなのかもしれないけれど、ウサギの苦悩を見ていると、彼らへの同情すら湧いてしまった。)

拉致は理不尽で、不条理な事件で、
いまだに探されている子供がいて、
母親の中ではその子供は、ずっと子供のままである。

ということが、お芝居になったせいで、
事実からフィクションに揺らいだように感じたのだ。
だってものがたりだから。

高橋一生演じる兎の末路だって違う。
アリスを救うために、何度も国に戻ろうとしたのは現実ではない。(参考資料と、Wikipediaを眺めた程度だから断言できるほどてはないけれど)

それは、この物語全体への疑いを産んでしまっているように感じた。



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