『極度感想』「祐介の生成。」毎秒感想

やってやろうじゃあねえの、という気概が湧いたのでやってみよう。

以下は、『極度感想』に収録されている「祐介の生成。」の「ここ好き!」感想である。


文章を引用しつつ、ここが痺れるほど格好いいだとか、面白いと思ったところをできる限り徹底的に説明したい。


ーー

そして祐介は命を落とした。(p155,l5)


乗用車に撥ねられた、鞄とハンカチを持っていた、運転手が自首し、軽微な罪に問われ、「そして」命を落とすという結果が出る。

人が車に撥ねられるというショッキングな出だしから、よくある轢き逃げにはならず出頭するという落とし方を一度しておくところも個人的にテクニカルでとても好きだが、この「そして」は自分ではとても書けない。

まるで、事故が起きて、それが数値化されるまでは死が訪れていないような奇妙なずれが生まれていて、不可思議な感覚を持たせている。


暗い部屋の中で山崎がディスプレイを凝視しながら独り言を呟く。青白い彼の顔の目の周りには深いクマが出来ていた。

部屋のいたるところに本が積まれ……(後略) 「これは関くんかな? (後略)」

祐介の葬儀のために山崎は映像を編集していた。


カメラの切り替え、アップ、それからカメラを引いて、セリフへ。

映画である。

不可解な情景と、「祐介の死」をドラマチックに描いたあと、カメラが切り替わる。そして部屋の中の人物をアップで撮した後に、彼が悩んでいるだろうことが、「山積みにされたエナジードリンクの空き缶」でさりげなく示されている。(読者を信じる心)

では一体この人物は誰なのか?

読者がそう悩む暇もなく、冒頭で登場した名前がセリフで語られ、ついでこの物語の世界観と山崎の行動が端的に伝えられる。

完璧すぎる……

情景描写のお手本である。映された情報に過不足がなく、順序も論理的だ。脳内で映像が再生されるだけではなく、小説としての美しさがあるのは数少ないが効果的に配置された「ぼんやりと」や、後に出てくる「温かい光」と言った多少の主観を含む描写のおかげだろう。


山崎はトラックボールを操作し、映像を再生した。(p154,l3)


トラックボールなのだ。マウスではなく、ただ映像を再生した、というだけではなく。

細やかで、在り来りではない表現はこういうリアリティの積み重ねである。

(並大抵だと、「山崎は考えながら映像を再生した。」だの、「山崎は、二度と動かない友人の笑顔を見つめてから映像を再生した。」だの要らぬ心の動きや、動作を入れてしまうように思う)

あくまでもカメラは内心を映さず、映像だけを切り取っている美しさがある。


七輪の上に並んだ虫から汁が滴り炎が揺れる。祐介は目をつむり手を合わせ、一本の串を取り上げて口に運んだ。(p154,l19)


さり気ない描写だが、最後に現れる「目をつむり、手を合わせ」がきちんとここに描かれている。

同時に、人物のセリフと軽いやり取りの中で、一度カメラが引いて「七輪」の描写がされることで一気に物語の背景が見やすくなっている。


山崎の記憶では、関祐介が酔ってうわ言を呟いたあとでハンカチを彼にプレゼントしていた。

全く驚かなかった。不思議ではあったが、不気味ではない。なぜか笑ってしまった。(p163,l4-5)


ここまでの「逆再生」と祐介のセリフまでの発想の凄さとカメラの淡々とした回し方の格好良さは語るまでもない。

この行の凄みは、「笑ってしまった」という描写だ。山崎は、逆再生にした時に何故か明瞭に発された友人の言葉に驚かない。不気味だとも思わず、「笑ってしまう」。なんならその後に彼はこう語る。


自分たちは関祐介をきちんと理解していたのかもしれない。だからこそ自分は映像を逆再生することを思いついたのかもしれない。(p163,l19-p162,l1)


「友人」という端的な言葉でだけ語られていた二人の関係性が、これらの描写でグッと深度を増す。しかし「親友」や「~~で一緒だった」などの主観的な感想や、立場が含まれないことによって、ただ間柄だけがじんわりと浸透する。

ものすごく強気だ。それだけに超絶格好いい。


夜が開けていた、窓の外が白ずんでいた。

山崎の思考は徐々に不鮮明になり、印象と思考が溶け合った。

そして彼は久しぶりに眠りに落ちた。夢すら見ない深い眠りだった。(p162,l2-4)


からのこう。格好良すぎる……

映像を追いかけ、編集する姿の後、逆再生という手段を見つけて祐介について一種の理解を見出した時間経過が一行で表されている。

そして「白ずむ」というあまり使われない表現と、霞んでいく山崎の思考が重ね合わされると同時に、それが「久しぶりの眠り」だと分かる。

凄い。

最初にあった、山積みのエナジードリンクから綺麗に感情が回収され、それまで眠ることのなかった山崎の心情が、描かれていなくても伝わってくる。情景描写の情は心情の情~~!!!!

行動には心情が付随する、というのをこんなこと出来るんか……という文章。

天才。ここで読み手は一息つくんじゃないだろうか。

描き出される姿は穏やかで、綺麗で、温度は低いがひんやりと暖かい。


串は焼き網の上で炙られている。

赤々と炭が七輪の中で燃えている。

関祐介は最後の虫を吐き出し、最後の串を置いた。

祐介は手を合わせ、祈るように目をつむった。(p162,l6-10)


いや綺麗すぎる……。串と炭の流れは普通逆である。カメラがだんだん引いていくなら、七輪の中の火と炭→串→そして串を持つ祐介になるはずだ。だがどう考えてもこっちの方が美しいのは、このパラグラフの中での主題は「串」にあったからだろうか。

繰り返される「最後」という単語と、本来食事の始まりである「手を合わせ、祈るように目をつむる」動作が矛盾していることもこの美しさに一役買っている。

かっこいいよーーーー、逆立ちしても書けねえ。


そして、役物を挟んで物語は続く。


祐介は眠っているかのように安らかな表情で目を閉じ、夜露に濡れて黒々としたアスファルト舗装に横たわる。(p162,l14)


目をつむる、という動作からシームレスに事故現場にカメラが切り替わる。

魚さんが無意識に書いてたとしたらマジモンの天才である。

あくまでもさりげなく、シーンとシーンにはある程度の類似性がないと切り替わりに違和感が出る。

冒頭では人のスイッチと一気に野外から屋内にカメラを移すことでドラマチックさがあったが、ここの場面切り替えは、同じ人間の同じ動作を描くことによって静かにスムーズに行われている。

カメラだと、お店を背景にして静かに手を合わせた姿の後に、画面がぼんやりと滲んでいき、倒れた人が映る感じであろうか。凄い。映像的でありながら、異なる効果がある。


彼の耳に、路面に広がった赤黒い血がゆっくり入っていく。キラキラと輝く細かなガラスの破片の上を赤い液体が生き物のようにのたくる。(p162,l15)


静から動へ。

横たわり、穏やかに目をつむっている姿は「黒々としたアスファルト舗装」の上にあり、モノクロームに近い映像だがそこに「生」と「動」を指すように赤色が「のたくる」。

のたくる!! 出てこないよ「のたくる」!!!!

また、ここまでで逆再生される虫の絵が何度か描かれていることによって、ここの不可思議な様子がさらに読者の頭の中で明瞭になっているということも語るべきだろう。

いやすげえわ……


車は祐介から逃げるように後ろ向きに走っていた。(p162,l19)


ここで擬人法使うことある????

祐介の死は最初に決定的に示されている。しかしその死を与えた車は「逃げるように」走り去っていくのだ。


祐介はボンネット目掛けて飛んだ。

車と祐介が、伸びたゴム紐でつながれていたかのように互いに距離を縮め衝突する。衝撃音と共に、ボンネットの凹みが膨らみ、四方から飛翔した白く細かなガラス片が透明なフロントガラスになる。(p165,l1-3)


映像的な文の美しさもさながら、やはり色の使い方が凄い。

黒、赤と来て白の破片が透明に変わっていく。細密で丁寧な描写がされる。読者の頭にはこれらの情景が鮮やかに映されるだろう。

そして。


と、祐介は道路に立っている。(p165,l4)


このシンプルさである。

格好良すぎる。

一気にカメラが引き、彼は死から生に引き戻される。ものすごく丁寧に書き連ねられた奥にあるのがこれか。どういうことなんだ……。凄い。


そしてラストまでは怒涛の駆け抜け。虫を焼く時に「1000パーセント」まで描写された中で最後に提示される「100パーセント」が輝く。

彼が生きている/いたことが鮮やかに描かれる。


また、改めて読み直して、


そして彼は久しぶりに眠りに落ちた。夢すら見ない深い眠りだった。(p162,l2-4)


がラストに効いていることを感じた。

この文言によって、ラストのパラグラフの描写に「夢ではない」という無意識が加算される。祐介は過去と未来に伸びる二つの時間軸を持っていることが、「夢すら見ない」という一言によって実在感を帯びる。

逃げ出す車を受けて軽やかに立ち上がり、後ろ向きに走り出していく祐介の姿は、決して、友人を喪い映像を作成する中で山崎が見た夢ではないのだ。


なんて文章だろう。

無粋かもしれないが、ありったけの敬意とこの物語への愛を込めて、ここら辺で筆をおこうと思う。よ、四千字ある……。


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