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闘病記(42)採尿パーティー


 「赤松さんから600mℓいただきました!」
これ、尿の話。これまでの経緯を知らずにタイトルを見た人は、もしかすると眉をしかめるかもしれないけれど、内容はいたって真面目なのです。「トイレトレーニングがうまくいかず、リハビリ病院に入院してからもなかなかバルーンが取れないことに悩む脳幹出血患者の、ジェットコースターのような日々の記録」。少しでも興味のある方は、是非(38)話あたりから読んでみてください。
 本当にざっくりとした説明をしてしまうと、バルーンと言うのは、自分の意思で排尿ができない状態にある患者に対する処置です。
 尿道から管を入れ膀胱に留めておき、そこから体の外へ尿を出し、袋に貯めていきます。膀胱内に管を留めるために、管の先を膨らませるので、「バルーンカテーテル」と呼ばれます。  
 この処置を受けている間は、自分の体にいつも管と尿をためておく袋がついて回ることになります。ものすごく不自由なわけです。管が入っている違和感もありますし。そんなわけで、早くバルーンをとってしまいたかったのですが、「自分の意思で排尿」がうまくできず、苦しんでいたわけです。
 さて、再びバルーンを外すこととなった自分は、前回テキストの終わりにも記した通り、ものすごく張り切っていた。「〜時から〜時までに〜mℓの尿を出そう。」と言う具体的な目標をもらってモチベーションも上がった。
 バルーンがとれてしばらくの間はベッドの上で身軽になった自分の状態を確かめ、喜びを噛み締めていた。しかし、すぐに「いや、勝負はこれからだ。いつもよりも水分を多めに摂ろう。」と、ナースコールを押し、来てくれた介護福祉士の男性にお茶を頼んだ。数分後、
「キンキンに冷えているぜぇ。」
と、アニメのキャラクターの真似をして再登場した介護福祉士の男性は、
「赤松さん、今日はリラックスして水分を多めに摂りながらやっていきましょう。それから、トイレは絶対に遠慮しないでくださいね。呼んでくれたらすぐに連れて行きますから。行って、出なかったら出なかったで、いいんですよ。誰にでもそういう時はありますから。また、呼んでください。どうも、スティーヴン・セガールでした。」
と、カーテンを閉ざして去っていった。(彼はいつもそんなふうに愉快に登場したり、去っていったりする人で、自分の入院中にいつネタが切れるかと楽しみにしていたのだが結局ネタが尽きる事はなかった。)
 言われた通り、本当に遠慮なくナースコールを押してトイレに連れて行ってもらった。今回は採尿する目標値があったためか、毎回トイレに行くたびにどのくらいの尿が取れたかを調べた。方法は簡単だった。片手鍋の取っ手の部分と鍋半分を取り除いたような、プラスチックの容器を洋式のトイレにセットしてもらう。そして自分が「出ろー。出てくれ。」と祈ってみたり、逆に無心になって目を閉じてみたり、膀胱のあたりを軽く抑えてマッサージしてみたりするわけだ。
 しかし、最初は全く尿が出なかった。
 気分が落ち込み、焦りだけが募る。そんな中、コールするたびに迎えに来てくれる看護師さんや、介護福祉士の皆さんは、車椅子を押しながら自分がリラックスできるように声をかけてくれた。特に、よくお茶を持ってきてくれた介護福祉士の方は、まるで野球チームの監督が選手を落ち着かせ、ベストのパフォーマンスを引き出すような不思議な包容力だった。
 そして夕方になってようやく風向きが変わった。少しずつ尿が出始め、採尿ができるようになったのだ。うれしいことに、その量はどんどんと増えていった。病院スタッフの皆さんが、我が事のように喜んでくれた。
 今でも忘れられないのは、自分が(一体どこがどうなっていたのか) 600mℓも排尿してしまったときのことだ。その時は、よくお茶を運んでくれた介護福祉士の方が車椅子を押し、採尿してくれた。彼は自分がたくさん排尿したことに大喜びすると、
「赤松さんから600mℓいただきました!」
と、採尿器を掲げて見せた。
「あれ?赤松さん、私の時は150mℓしか出してくれなかったのに。どういうこと?」
と、通りすがりの看護師さんにいたずらっぽく声をかけられたりした。車椅子を押してもらい病室へ帰ろうとすると、自分の息子であってもおかしくない位の若い男性看護師が、
「赤松さん、いいですか。人間の膀胱の容量は大体300mℓから400mℓとされています。それをですね、600mℓというのはこれ、いかがなものでしょうか?つまりですね、赤松さんの膀胱は、人類のものを超えているということですよ!冗談抜きで、下腹部の痛みとか重たい感じはないですか?」
と、車椅子の横を、中腰で早歩きしながら話しかけてきた。痛み等は無いことを伝えると、
「ちょっとでも痛みや違和感があったら必ず教えてくださいね。」
と言い残して去っていった。
 その後も自分の大量の排尿は続き、そのたびに病院スタッフの皆さんが大喜びをしてくれた。
「赤松さんから〜mℓいただきました。」
と言う介護福祉士の彼のセリフはすっかり定番となり、そのたびにトイレに患者を連れてきていた他のスタッフが小さく拍手をしてくれたりした。とてもとても不謹慎だが、ちょっとした何かのパーティーのようだった。
 
こうして自分は、「バルーンを外してもよし。」とのお墨付きをもらった。
 病棟スタッフの皆さんのおかげだった。
 
しかし、「バルーンを外せる」と言う事と、「尿意を完全にコントロールできる」と言う事はまた別物であることを思い知らされることになる。それについてはまた次回以降で。

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