闘病記(46) くせになりそう。
「しばらくの間、オムツをつけてトイレはベッドの上でしてしまうものと割り切りましょう。」
尿意に集中し、それを感じたらとにかく出してみることを習慣づける、という介護福祉士からの提案を自分は受け入れた。(この辺の経緯を説明していると、今回のテキストが終わってしまうので、興味のある方は45話あたりを読んでみてください。)
それ以降、自分が身に付けるオムツには、パッドというものが付けられるようになった。パッドと呼ばれるそれを、実は自分は一度も見たことがない。退院し年月が経った今に至っても見たことがない。見てしまうと、また緊張感や罪悪感が募ってしまうのではないかと思ったからだ。
「少し、ゴワゴワするね。」
初めて装着した時の感想を話すと
「大丈夫!すぐ慣れます。」
と、いつものポジティブな応えが返ってきた。こうして「尿意と排尿直結大作戦」が始まった。
最初の頃は、少し尿意を感じても、「これは、尿意ではない。尿意に似た何かだ。騙されんぞ。」と我慢する。
それを繰り返すうちに、「だめだ。これは確実に出るやつだ。我慢できん。どうする?本当にこのままベッドの上でしてしまうのか?シーツは大丈夫なのか。本当に漏れないのか。また、大迷惑をかける結果になってしまうのではないか。」などと考えるうちに、尿はどんどん出口へと向かい、あきらめにも似た感情とともに放出された。頭の中では、
「あぁ…。」
と言う長い溜め息が鳴り響いていたように思う。
とっさにお尻を浮かせてシーツを触ってみたが、濡れている様子は無い。おむつの中も全く気持ちが悪くなかった。「本当に出たのだろうか?」と思いながら、ナースコールを押した。看護師さんが来てくれてオムツを確かめてくれた。
「よかったよかった。出てるね。バッチリ。オムツ変えとこうね」
と、優しく対応してくれた。
もちろん、尿意を感じて(強く感じて)尿が出たと思い込み、ナースコールを押したら、
「あら、残念。今回は出てないね。次回に期待しよう。」
と言うようなことも珍しくはなかった。ありがたいことに、ナースコールをして、尿が出ておらず無駄足に終わっても、誰もが優しく接してくれた。また、介護福祉士の男性が話してくれたとおり、ベッドに寝たまま排尿しても不快な思いをする事はなかった。
それらのことが良かったのか悪かったのか…。自分はベッドの上で排尿することがだんだんと気持ち良くなってきた。考えてもみて欲しい。おしっこに行きたいと思えば、普通は布団やベッドから抜け出し、トイレまで歩き、ズボンを下げ、夜中ならふらふらとしながら寝ぼけ眼で用を足すのだ。そういった面倒なことが一切ないのだ。昼夜を問わずベッドの上で用を足し、おしっこが出ていたら褒めてさえもらえるのだ。
「やばい…。気持ちよすぎる。これは癖になる」
そう思い始めた頃、
「そろそろ以前のように、ナースコールをして車椅子でトイレに行って用を足すようにしましょう。もう大丈夫だと思うんですけどね。」
と言う声がかかった。
以前よりもゆったりとした気持ちでナースコールを押し、車椅子に乗せてもらい、トイレへと向かった。そして無事、用を足すことができた。終始自分が落ち着いていられることに驚き、嬉しかった。
1つ気になることがあるとすれば、ベッドの上で用を足していた頃、ナースコールを押して、看護師さんや介護福祉士さんが到着した時、自分はうっとりとした顔をしていたのではないかと言うことだ。途中から気持ちよくなってしまったからなあ…。「最近の赤松さん、なんかベッドで排尿すると幸せそうな顔をするようになってきたよ。そろそろもとに戻さないとまずいよ?」みたいな会話がナースステーションで交わされていたりしませんように。
とにもかくにも、およそ2週間ほどの赤ちゃんプレイ期間を経て、普通にトイレに行けるおじさんになったわけである。今日はこのあたりで。
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