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闘病記(34) じゃんけんおじいちゃん。

 
 
 ベッド右側の窓から差し込む朝日と、左耳から聞こえる柔らかな笑い声で目が覚めた。他の患者を起こすまいと言う配慮からであろう、笑い声は抑えられてはいたが、そこにいる誰もがお腹を抱えて笑っているのが分かった。起床の時刻を知らせ、着替えの手伝いなどをするためにやってきた看護師や介護師の皆さんだった。
 笑い声の合間に、小さいながらゆっくりはっきりとした声が聞こえてきた。
「〇〇さん、じゃあ行くよ。じゃんけんポン!あぁ負けた!〇〇さん、強いね。」
「〇〇さん、次は僕行くよ。じゃんけんポン!勝った!ごめんね。勝っちゃった。」
「じゃあ次僕。じゃんけんポン!あいこでしよ!あいこでしょ!あぁ負けた!」
「やっぱり、〇〇さん強いね。俺たちとは経験が違うんだよ。(笑)」
 あまりに楽しそうなのと、〇〇さんと呼ばれたおじいちゃんと1度も会話らしい会話をした事はなかったため、「朝からこんなに元気にじゃんけんをするような人なのか。しかも、強いんだな。」とベッドの上で上半身を起こしみんなの方に見入ってしまった。すると気づいた介護福祉士の男性のが、
「赤松さん起きた?おいでよ。勝負してみたらいいよ。強いよー〇〇さん。」
と話しかけてきて自分を車椅子に乗せると、みんなが集まる小さな輪の中へと連れて行った。
「お、赤松さんも挑戦してみる?」
別の看護師の人が車椅子をおじいちゃんのベッドへと近づける。
おじいちゃんは.体を起こしているわけではなく寝たままだった。顔も上を向いたまま、瞳は天井を見つめている。
 
ここから先、ジャンケンをし終えるまでの間、自分には2つの記憶があり、どちらが本当なのかわからないのだ。1つは布団から顔の前に手を出し、こちらとしっかりと視線を合わせてじゃんけんをするおじいちゃんの記憶。もう一つは天井を見つめたまま、布団の腰のあたりで手首から先だけをちょこんと出して、じゃんけんをするおじいちゃんの記憶。誰もが、「勝った。」とか「負けた。」とわかりやすく伝えていたことから考えて、2つ目の記憶の方が正しいのではないかと思うのだが…。なぜかそこだけが曖昧なのだ。
 いずれにせよ、自分は一発で負けた。(それはよく覚えている。)
「負けたよ。おじいちゃん強いっていうのほんとだね。」
自分は、そこにいる看護師さんや介護福祉士さんに笑いながら話しかけた。すると誰もが、
「顔、顔。」
と囁くような声で言う。そこで何気なくおじいちゃんの顔を見た。
 
そこには、めちゃくちゃうれしそうに笑うおじいちゃんの顔があった。
サンタクロースから赤い帽子とヒゲを取ったような、幸せそうな笑顔がそこにあった。
 魅力的なのは勝った時だけではなかった。負けた時は、ジ〇リの作品に登場するキャラクターが大泣きをするときのような顔で(もちろん涙は流さないが)悔しがり、悲しむ。
しかもおじいちゃん、表情の切り替えがものすごく速い。それがまた笑いを誘うのだ。自分は、「こ、これは本当に人間技なのか?実に精巧なからくり人形のようだ。いやあ、朝からありがたいものを見せてもらった。」と思ったほどだ。自分を連れてきてくれた介護福祉士さんに
「面白いおじいちゃんだね。」
と言うと、
「でしょ。しかも本当に強い。(笑)」
と、ニコニコと笑っていた。
 車椅子でベッドまで送ってもらい、自分は再びベッドの上で上半身を起こした状態になった。「それにしても、面白いおじいちゃんだった。」と、ついさっき起こった事を反芻していた時、彼らの声が聞こえた。
「じゃぁ、〇〇さんまたね。」
「また、勝負しようね。」
口々におじいちゃんに別れを告げた後、出入り口を出て行くとき彼らはこういった。 
「かわいいよね。」
「いつあっても、ほんとかわいいね。」
満足げな彼らの言葉に、自分は雷に打たれたようになった。「面白い」とは感じたが、「かわいい」とは自分は感じることができなかった。時に過酷に見える仕事に笑顔で向き合う彼らと自分との違いは、これほどにも身近なところにあったのだと、愕然とした。
 
介護や看護の仕事は、誰にでもできるものではないなあ。まず、才能がいるんだなぁ。
 
心の底からそう思った。
 

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